2012年7月12日木曜日

「はなやぎ」のなかで   <きらめく星座 8 >



                                 ピエール=オーギュスト・ルノワール「黒い服を着た婦人」1876年 
                                         油彩 カンヴァス 65.5×55.5cm エルミタージュ美術館

人がゆったりと座っている。眼差しの焦点は中空で漂っている。そこを光が流れていく。

明るい首と顔を軸にして、左側の比較的明るい前景の黒い服と暗い背景、右側の暗い服と明るくて色のニュアンスに富んだ背景とがコントラストとなって画面に生気を与えている。
微妙な諧調の服の黒や背景の褐色のなかにとらえられている明るい首や顔、右下の手、ブラウスの袖口などは、ピンクやベージュ、ブルーなどで彩られてはなやいでいる。

左側のブルーのスカーフから始まって首から胸につながるあたり、ブラウスの襟のホワイトがイエローやベージュ、ブルーで彩られながら、胸のベージュからピンクへと推移していく。服も体も溶解してはなやぐ空気が漂い始める。

ルノワールの絵画のなかでは、フェミニズム批評にはきわめて評判の悪い「桟敷席」(1874年 コートールド美術館)とならんで、黒の諧調が輝くように美しい絵画だ。
ルノワールの女性にしばしば登場する、「黒い服を着た婦人」のような焦点があっていない眼差しは「男性の目にとらえられている見られているわたし」と感じさせる。
そこがフェミニズム批評から「目」の敵にされる最大の理由だ。「男に媚びるな!」とフェミニストの声が響く。

ルノワールの絵画は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や「舟遊び人の昼食」のように、闊達な音楽が流れているような動きのある絵画では、文字通りの動きがもたらす、はなやぐ生の躍動感に満ちあふれている。
けれども、静謐にして生気にあふれ、親しみやすくて上品な「はなやぎ」をたたえているのは、むしろ、動きを抑えたこうした人物像ではないだろうか。
ルノワールは、印象主義最盛期のこの年の前後と、オルセーの「ピアノを弾く姉妹」が描かれた1890年前後がもっとも充実している。

「黒い服を着た婦人」の肩と腕とが形づくる円形、その円形の左寄りにまっすぐに据えられている首と顔は光とともに漂いがちな画面の表面を引き締めている。
不安定な表面の漂いを固定するこうした空間の統合法は、モネの絵画の表面でキラキラざわめく光の乱反射に統合感を与える線遠近法と同じ働きをしている(たとえば、モネでは「1878630日モントルグイユ街」)。
さらに、サテンの織物のように揺らぐ半透明な右側の背景から、右側の左腕の黒い袖、明るい左手と右手、そして左側の右腕の服から顔にいたる白と黒とを基調にした色彩の渦巻き状の連なりは、静かで、しかも、闊達な脈動と息づかいを紡いでいる。

「ピアノを弾く姉妹」は以前から形を越えた色彩の「はなやぎ」に満ちていると感じてきた。けれども、ルノワールの絵画は高貴で上品なハイ・アートという観念からするとミドル・ブローのセンスに流されすぎている、と、わたしは長い間なんとなく感じてもいた。
エルミタージュ美術館展で展示されていたこの絵画を見てから、ルノワールの絵画は違った相貌でわたしに現れてくるようになった。
それとも、19世紀西欧の小市民的美意識に違和感をもたなくなったということなのだろうか。
                                                                                                              (早見 堯)

*この文は、人形町ヴィジョンズで開催中の「きらめく星座」展の出品作品の一つです。展覧会会期終了の7月21日まで毎日更新予定です。
人形町ヴィジョンズ http://visions.jp/

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