2011年1月16日日曜日

瞑想する平面 ブラック「静物」1910~1911年 国立西洋美術館


ジョルジュ・ブラック「静物」1910~11年 国立西洋美術館 東京 上野

昨年、国立西洋美術館にジョルジュ・ブラックの「静物」が新しく収蔵された。33cmと24cmの小さな油彩画だ。1910~1911年の制作とされている。分析的キュビスムから総合的キュビスムにいたる時期のブラックの絵画で日本にあるのは、わたしが見た限りでは東京国立近代美術館の「女のトルソ」(1910~1911年)、川村記念美術館所蔵「マンドリン」(1912年)と並んで3点になった。

おそらく、「静物」が「女のトルソ」よりも早く描かれたのだろう。「女のトルソ」の方が重なってずれていく面の透明感がより強い。「静物」は画面全体の緻密な結合感が強い絵画だ。

水平線と垂直線に、主として右上がりの斜線が組み合わされた構図になっている。
静物のモチーフがなにかは判然としない。当時、ブラックが描いていた他の絵画から推測すると、画面左右の中央に垂直方向で形成されている形態はラム酒などの「瓶」、それに重なって右下がりの斜めの線が繰り返されて左上方では歪んだ楕円を形づくっている形態は新聞などの「紙類」かもしれない。それらがテーブルの上に置かれているのだろう。右上がりの断続する二本の長い斜線や、左下で三角形の暗い面をつくっている右下がりの斜線はテーブルの縁だろうか。

「女のトルソ」ほどではないが、画面の周囲が希薄で中心が濃密に描かれ、画面上方の半円部分を頂点とした下部が重いピラミッド型の構図になっている。特に画面の垂直の「瓶」から斜めの「紙類」にかけて奥から手前にせりだす盛り上がりが感じられる。
しかし、同時に、そのあたりは明度が上げられ透明性も強められて、「瓶」や「紙類」の盛り上がりを押さえて、画面の表面に押し込まれているようにも感じられる。
画面左下には、左上がりの目立った斜線が、まるでドガのカフェの男女を描いた「アプサント」のように画面のフレームで光景を断ち切る斜めの構図を思わせたりもする。この暗い斜面はそれ以外の光景を塀越しに見ているというような感じにさせてはいない。その斜面は上方の右上がりの斜線と関係づけられて、中心部の盛り上がり感に比較して後退する平面をぐっと手前に引き出している。つまり、塀から見る光景のように、塀が手前、塀の向こうが遠く、というような見え方とは正反対だ。上方を前進させている。そして、中心部の盛り上がる物体感に対抗させているように見える。

ブラックは同時期のピカソに比較すると、モチーフの物体と背景との融合度が高い。
1908年のアフリカ彫刻の影響の渦中での制作なので同じレベルでは比較できないが、人形町Vision’sメールマガジンI・F・C「Inter - for creative」(申し込みはこちらhttp://www.visions.jp/FS-APL/FS-Form/form.cgi?Code=vmailmag )の2011年1月号掲載でとりあげられているエルミタージュ美術館のピカソの「ミルク缶と鉢」などと比べてみてもいいだろう。
わたしは実物の作品を見たことがないので正確なことは言えないが、そこでは、下から上にかけて大きくなる四つのモチーフが曲線や斜線で繰り返されて画面の表面に位置づけられ、堅固な平面的な構造が生まれている。
だが、同時に、四つのモチーフの色彩が変えられ、モチーフの後方の輪郭もしっかり描かれていて、それぞれの隙間が強調されることでモチーフの後ろ側のボリュームも表明されている。前キュビスムに特徴的な逆遠近法的な対象の処理を通して、平面に即して曲線や扇形をリズミカルに繰り返した平面構成と、それとは異質な対象のボリューム感とを、セザンヌ風なパッサージュを使わないで融和させるという困難な道を選択していることがよくわかる。


参考 パブロ・ピカソ ミルク缶と鉢 1908年 エルミタージュ美術館

ピカソのこうした傾向は1910~11年の分析的キュビスムの時期でもしばしば見られる。
これも実際には見たことがないので不正確かもしれないが、人形町Vision’sメールマガジンI・F・C「Inter - for creative」で上記の作品と同様にとりあげられていたピカソの分析的キュビスム最盛期の「瓶とグラス、フォーク」でも同様だ。ピカソはモチーフの対象同士や、対象と背景とのささやかな破綻を意図的につくって、全体のスムーズな統一感をちょっと脱臼させるのが好きらしい。

参考 パブロ・ピカソ 「瓶とグラス、フォーク」1911〜12年 クリーブランド美術館


しかし、ブラックはピカソとはその点では違っている。モチーフとモチーフ、あるいはモチーフと背景の融合度が高い。こうした融合は面をダブらせてずらす、いわゆるセザンヌ主義的なパサージュを応用して描かれ始めたのだった。物体の断片は繰り返されながら背景に融合する。断片化した面を画面の表面に位置づけることができる方法だ。すべての面は必ずどこかに開口部をもっているので画面は連続した表面になる。

これがブラックの「平面性」である。ただ単に平坦なのではない。連続した表面なので、凹凸の隆起や後退をつくりだすことができる。「静物」でもそうだ。断片化したすべての面を絵画としてまとめあげるこうした「平面性」が、絵画空間を統合する役割を果たしていた伝統的な絵画での一点透視図法の代わりとして機能する。面の融合度が高いので「静物」といわずブラックの分析的キュビスムから総合的キュビスムにかけての絵画はピカソの絵画とは違う破綻のない「古典的」秩序感がある。バーゼルにある「音楽家のテーブル」がそうした絵画ではブラックの最高潮だ。秩序のなかでラジカルに憩っている。

「静物」での斜線や垂直線、水平線で区切られた面は、暗いブラウンと青みがかったグレーとを基調にした色彩の縦の細かいタッチが繰り返されて並置されている。並置されたタッチは物体と背景を包含する絵画の空間を触知可能な連続した平面性として感じさせている。褐色と青灰色のコントラストは伝統的な明暗の対比によるのとは異質な量感を醸しだしてはいないだろうか。

物体と背景との距離が失われた連続した平面上で断片化された面がそれぞれの膨らみをもって静かにざわめいている。かすかにヘルメティックな輝きで彩られて、わたしを密かな瞑想へと誘うことをやめることはない。

参考
yahooブログ「アートが丘」2010年12月19日「絵画をわかるとは?ピカソとブラックの分析的キュビスム絵画」
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/hayavoir4324/60367458.html