2012年7月10日火曜日

翻る光と空気  <きらめく星座 6>




          長谷川等伯 「龍虎図屏風」 1606年 ボストン美術館 
             六曲一双 紙本墨画 各154.2×340cm 

雲をともなって水を巻き上げる龍、風を起こして身構える虎。
中国由来の日本の伝統的なモチーフだ。動の龍に静の虎が伝統的な主題解釈なのだろうか。同じボストン美術館の狩野永徳だとされている「龍虎図屏風」などは典型的だ。

等伯の「龍虎図屏風」で注目したいのは龍と虎よりもそれらの間、余白というよりも、光と空気の空間といったほうがいいだろう。
右隻では龍を取り巻く雲、下の波。左隻の風と光を含んだ大気。
等伯はしばしば中国南宋の牧谿との関連で論じられてきた。牧谿の「漁村夕照図」や「遠浦帰帆図」の光と空気の表現は、西欧絵画の深さと広がりの空間表現とは違って、文字通り気韻生動の趣の高まりがすごい。

しかし、東京国立博物館のボストン美術館展で初めて等伯の「龍虎図屏風」見たとき、わたしは、なぜかティツアーノのいくつかの絵画を想いおこしていた。「バッカスとアリアドネ」(部分)や「エウロペの略奪」などだ。「ダナエ」での黄金の雨とそれを受ける下女も想起すればもっとわかりやすい。 
ティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」部分
ティツィアーノ「エウロペの誘惑」
ティツィアーノ「ダナエ」
画面の左右、あるいは対角線状の斜め方向で二項的な対比があり、二つの間をペインタリーに描かれた光と空気が流れている。
二項性や二元論は、紅白や黒白はもとより、心身二元論や女性男性にいたるまで、わたしたちの思考のフレームになっている。西欧の聖母被昇天やイエスの復活と昇天、受胎告知、日本の風神雷神などはすぐに気がつくモチーフだ。
「一つ」かそうでなければ「二つ」。未分化の「一つ」である単一性でない場合には、「二つ」は「アンバランスのバランス」という古代ギリシア以来モンドリアンさえも手放せなかった「調和」の美学の基本として続いてきた。

思考常套句「二項性」を踏襲しているとしても、等伯やティツィアーノの斬新さは運筆やストロークにあるのではないだろうか。等伯の墨調の運筆、ティツィアーノのペインタリーなストローク。ともに墨と油絵具という物質が完璧に息づく光と空気に変貌させられている。等伯では「松林図屏風」と同じように風と水で鳴る音が聞こえてくるような気がする。
(早見 堯)
*この文は、人形町ヴィジョンズで開催中の「きらめく星座」展の出品作品の一つです。展覧会会期終了の7月21日まで毎日更新予定です。
人形町ヴィジョンズ http://visions.jp/

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。