いいちこ 「千年のいとなみを思う。」i
ichiko 駅ばり広告 2008年
ichiko 駅ばり広告 2008年
今は、インパクトが薄れたが、「いいちこ」の駅ばりポスターがきわだっていたころがあった。
風景画像に短いコピー、iichikoのロゴ、そして手前にいいちこのボトル。
情報の伝わり方や、イメージとことばの関係についていつも考えさせられたものだ。
駅構内やホームの雑踏のなかで、その場をトランスしたような人の気配の少ない風景が目に入ると、すっと吸い込まれそうになる。
「千年のいとなみを思う。」のコピーに誘われて、異国の広大な草原で展開されてきた太古の昔から変わることなく続けられている羊の遊牧に想像力をたくましくする。
わたしは、今、ボトルになって広大な草原にたたずんでいるなどと、日々、雑事に追われるわたしの生活が雄大な時間と空間に伸び広がっていくことを妄想してします。
しかし、「千年のいとなみを思う。」ではなく、コピーが「羊のあなたへ」だったらどうだろうか。
黙々と草を食みながら歩む羊に簡単に感情移入してしまうだろう。
広大な草原は社会の目に見えないシステムが可視化されたものだと思うかもしれない。
ルネ・マグリットの異質なものの組み合わせを想いおこすまでもなく、イメージとことばの結びつきはとても恣意的だ。写真はイメージとことばとの恣意的な結びつきの本当らしくさをいっそう強調する。
どんなビジュアルだろうと、いま、ここの「それ自体」であることはできない。つね、すでに、別な時間と場所の「それ自体」以外の意味を帯びる。
C・D・フリードリヒ クライスフヴァルド近郊の草地 1822年
同じような光景も、カスパール・ダーフィト・フリードリヒの絵画では、画家フリードリヒを「ことば」にして見てしまいがちだ。
意味は文脈の効果なのである。
(早見 堯)
*この文は、人形町ヴィジョンズで開催中の「きらめく星座」展の出品作品の一つです。展覧会会期終了の7月21日まで毎日更新予定です。
人形町ヴィジョンズ http://visions.jp/
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