田中信太郎「◯△□の塔と赤とんぼ」 2000年
越後妻有「大地の芸術祭」 新潟県十日町市
◯△□の三種類からできているのだろうか、大地から空に向かって伸びる高さ14メートルの塔の頂点に赤とんぼ。
実りの秋をひかえた稲田に赤とんぼは日本人の定番のイメージだろう。
十日町市、ほくほく線まつだい駅のすぐ裏手のまつだい雪国農耕文化センターの近辺にはかなりの数の作品が設置されている。
わたしがもっとも興味をひかれたのは田中信太郎と伊藤誠の「夏の三日月」だ。伊藤誠の「夏の三日月」は何度か書いたことがある。その次に興味深かったのは河口龍夫「関係―大地・北斗七星」。
イリヤ&エミリヤ・カバコフの棚田にブルーやイエローの農耕者のシルエットが置かれた「棚田」や、草間弥生の「花咲ける妻有」などはあまり興味をひかれなかった。
「◯△□の塔と赤とんぼ」はまつだい駅から棚田の間の道路を通って小高い松代城山に向かう途中に設置されている。
まつだいの駅から眺めてみると、すぐそばの渋海川でいったん下がった土地が城山に向かって上昇していく途中に位置している。背後には植林の杉が上昇し、棚田も蛇行しながら徐々に上昇している。
自然のなかの人工的な「美術」作品だと勘違いしそうになる。けれども、杉林も棚田も十分に人工的な「作品」だということを気づいておきたい。
「○△□の塔と赤とんぼ」は、春から夏にかけては周囲の緑と、秋から冬にかけてはブラウンやベージュから雪の白とのコントラストのなかで静かに、上昇しながら漂いつづけている。
大地から垂直に立ち上がる抽象的というか、抽象的なかたちが具体的なイメージに変貌しているアール・デコとさえ言ってみたくなる。ブラウンからレッドに変化する塔と赤とんぼは周囲のグリーンやブルーと溶けあうことはない。
けれども、杉林や棚田の緩やかな上昇感や蛇行しながら連なる棚田や大地の起伏のリズムに呼応している。還元的なミニマルな形態はとても寡黙だ。こうした不動の垂直性は見かけだけで、実は回転しながらするすると上昇する塔、そこから空に低く漂うように旋回する赤とんぼ。ゆるやかな流動感や漂流感があふれだしている。
まつだい駅をはさんだ反対側の芝峠から見下ろすプチ雲海の中にも置いてみたい。
1960年代のアヴァンギャルド、ネオ・ダダ・オルガナイザーズから、ミニマリズムや「点・線・面」への関わりを通して培われてきた田中信太郎の問題提起的なセンスが、わかりやすく結晶しているのが「◯△□の塔と赤とんぼ」ではないだろうか。
訪れるたびにあらたな発見がある。
(早見 堯)
*この文は、人形町ヴィジョンズで開催中の「きらめく星座」展の出品作品の一つです。展覧会会期終了の7月21日まで、「ほぼ」毎日更新予定です。ヴィジョンズが休みの日は休載。