2012年7月5日木曜日

揺らめく空気  「真珠の耳飾の少女」   <きらめく星座3>

                          真珠の耳飾の少女 ヨハネス・フェルメール 
                          1665年ごろ マウリッツハイス美術館

「真珠の耳飾の少女」の左目と右目は、指摘されているように、たしかに微妙にずれている。モデルを見る画家の目が揺れ動いているからだとの意見があるらしい。

対象を見る画家の目が動いているのは当然のことだ。よく知られているように、セザンヌが描くサント・ヴィクトワール山の輪郭線は二重、三重にダブっている。
セザンヌのりんごを描くタッチはダブりながら横にずれていく。セザンヌの目が動いているからだ。でも、それが重要なのではない。
震える輪郭線やずれるタッチは山やりんごなどの物とそれを取り囲む空気とを通いあわせて空間にふくらみをだしていることが重要だ。

フェルメールも同じ。「真珠の耳飾の少女」に似たポーズをしたレオナルド・ダ・ヴィンチのルーヴル美術館の「岩窟の聖母」の天使も左目と右目とがずれている。
「真珠の耳飾の少女」も「岩窟の聖母」の天使も、左右の目がずれることによって、見ているわたしに向かって視線が求心的に狭まらならないで、空間の広がりが生みだされている。

                       レオナルド・ダ・ヴィンチ 岩窟の聖母
             ルーヴル美術館

ベラスケスの「ラス・メニーナス」では、描かれている場面を見ているのは鏡の映っているフェリペ4世だ。フェリペ4世が見た場面が描かれている。視点=消失点はフェリペ4世のはずだ。
しかし、「ラス・メニーナス」の部屋の空間の線遠近法的な消失点はフェリペ4世ではない。もっと右にずらされている。消失点が二つある。「ラス・メニーナス」の空間に広がりや開放感があるのはそのためだ。

「真珠の耳飾の少女」も同じように、少女と見ているわたしとのあいだに空間の広がりが生まれている。

フェルメールの絵画は手前の暗がり、中央の光に照らしだされたシーン、奥の壁が一般的な空間のセッティングだ。「真珠の耳飾の少女」では逆になっている。奥の暗がり、中央の光に浮かぶ少女、そして、その前に立つ見ているわたし。
ひたむきな眼差し、もの言いたげな口元。少女と見ているわたしとの間の親密であると同時に近寄りがたい空間の広がりをつくりだしている。
こうした両義的な空間の広がりが、感情の揺らめきに彩られた空気感をもたらしている。
(早見 堯)

*この文は、「きらめく星座2」展(人形町ヴィジョンズで開催中の14名による展覧会、73日~721日 http://www.visions.jp/)の出品作品として、展覧会会期中、「ほぼ」毎日、更新される予定です。

2012年7月4日水曜日

隔たりの詩学  <きらめく星座>2



      ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの少女」ベルリン国立美術館 1662-65年 
      油彩 カンヴァス 55×45cm

身につけている真珠の首飾りを窓の横の小さな鏡のなかに見ている少女。首飾りとそれを身につけている自分の姿に夢中になっているかのようだ。フェルメールは人目を気にしないでなにかに没頭している人物を取りあげることが多い。

ルノワールやアルフォンス・ミュシャの没頭している女性の官能的な恍惚感とは違っている。ルノワールやミュシャの女性の動きのあるポーズとは異なる背筋を伸ばして動きを抑えたポーズだからなのだろうか。ルノワールやミュシャに似ている荻原守衛の「女」を想いおこしておきたい。
フェルメールの少女は没頭しながらも、没頭する自分から距離をおこうとしているのである。こうした没頭と節度とが調和した雰囲気が女性の「ひたむきさ」を醸しだしている。恍惚感や官能性とはことなる「ひたむきさ」は、鏡のなかの自分を見ているという点では自分自身との「近さ」であるにもかかわらず、それとは逆に、鏡と少女との間の空間の広がりがつくりだす鏡と少女との「遠さ」との相反する二つの距離感からも生みだされている。
相反する近さと遠さ、親密感と疎遠感とが生みだす特有な隔たりの感覚。それを「隔たりの詩学」と名づけてみたい。

絵画の中のシーンと見ているわたしとの間にもこうした隔たりの感覚がある。絵画のなかの奥の壁、窓からの光に照らしだされている中央の少女やテーブルなどの私的な部屋、そして手前の暗がり。手前の暗がりは絵画を見ている「わたし」につながっている。「わたし」は手前の暗がりから少女の私的なシーンを「覗いている」感じの「近さ」でありながら、同時に通りすがりの遊歩者の気まぐれなまなざしが一瞬見ただけといった「遠さ」も感じさせる。

部屋は外光に照らしだされて感情で潤んだ夢想の空間に変貌させられている。外光は絵画を見ている「わたし」のまなざしでもある。フェルメールの絵画を見た後、わたしはなにげない光景の細部が詩的に輝き始めたことに気づかないわけにはいかなかった。
(はやみ たかし)

アーティスト/マジシャン-岡本太郎と高松次郎<きらめく星座>展1


 *
岡本太郎生誕100年展を東京国立近代美術館で見たのは5月初めだった。
会場出口付近のモニターでタモリと話している録画ビデオが放映されていた。その前に立ったとき、メディア化と情報化が進む時代にあえてそのシーンに入っていった芸術家岡本太郎、と、誰によってだか忘れてしまったが、どこかに書かれていたのを想いだしていた。メディア化と情報化される前の岡本太郎の作品や活動も多少は知ってはいた。けれどもわたしの岡本太郎像は、花田清輝との「夜の会」や二科会、アンフォルメルなどにかかわるアヴァンギャルド芸術扇動者、あるいは縄文土器論の文化イデオローグといったものだった。なによりも「重工業」と「森の掟」で日本戦後美術史にメルクマールをうちたてた画家だ。
あらためて岡本太郎に気づいたときには、1970年万博「太陽の塔」の岡本太郎としてすでにメディア化、情報化されてわたしの前にたち現れていて、いわゆる「現代美術」のシーンからはずれていた。そういえば、「青春残酷物語」の大島渚も同じタイプの芸術家として仕立てられていったようだ。
そういうわたしのなかでの岡本太郎像を一新させたのは、2007年春に世田谷美術館で開催された「世田谷時代1946-1951の岡本太郎」展だった。「戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流」と副題されていた。戦地から復員して二科会に参加、「夜の会」やアヴァンギャルド芸術研究会、「森の掟」発表、日本橋三越での個展開催、そして縄文土器再発見と続く世田谷在住時代の「岡本太郎」生成のプロセスを鮮明にする丁寧な展示だった。
今回の生誕100年展は、パリ時代のピカソへの挑戦から始まって、「きれい」や「わび」「さび」、そして自分自身への挑戦など「対決」七番勝負といったシナリオだ。ところで、この「七」とは?芸術と生活の総合化をめざす岡本太郎と生涯の親友となった芸術と革命の総合化をめざす花田清輝。岡本太郎がモース&バタイユ風始原的供儀に共感していたからといっても、花田清輝の七の供儀的な神秘を描いた小説「七」に70+10年の歳月を越えて呼応しようとしていたわけではないだろうが。
パリから帰った岡本太郎には、日本の西欧風モダニズム美術は反社会的な趣味性におぼれているし、一般的に日本人は「わび」「さび」「しぶみ」などの「封建的諦め気分」を伝統的美意識だと勘違いしているようにみえた。そしてなによりも日本のアーティストは生ぬるい「ムラ」的美術画壇で情緒的な反応に終始しているとしか思われなかった。それらに「ノン」をつきつけ、それらと対決すること。「岡本太郎」という文化現象(というものがあったとして)はここから始まった。
生誕100年展や世田谷時代展が明らかにしようとしていたのは、岡本太郎の「美の呪力」(講談社 1980年)に書かれている次のようなことばが的確に指し示している。
「われわれが現在生きている絶対感」と、過去の「象徴的事物にひそんでいる根源的な生命観とふれあうとき、なまなましい手ごたえとしてひらめき出るものがある。それを追うのだ」。
あるいは、これも同様のことを語っている。
「ものとしての絶対感は、その生命が人間精神とともにひらく瞬間にこそ生きる」。
「絶対感」は、今、ここの疑いえない実在性のことだろうか。実在のわたしが、過去の遺物に触発されてひらめき出るもの、あるいは、「もの(作品や過去の遺物)」はそれを見る者の気持ちによって実在性として甦る。こうしたポジションから岡本太郎に芸術家としてだけではない全体的な人間としての姿をとらえようとしていたのだ。ここから見て説得力のある発言をしているのは、岡本太郎をアヴァンギャルド啓蒙家として喧伝している美術関係者たちではない。文化人類学者の今福龍太やフランス文学者の酒井健だ。
わたしは岡本太郎を全体的にとりあげるようなタイプではない。「美の呪力」から最初にあげた文の「象徴的事物」や次の文の「もの」を岡本太郎の作品に当てはめて考え直してみるのがわたし自身にはふさわしいように思われる。岡本太郎の作品が、始原的な「なまなましい手ごたえ」としてわたしの「精神とともに」花開く瞬間を確認してみることだけが、ここでの目的である。
 *
10年間のパリ時代、1934年に描かれ54年に再制作された「空間」は、岡本太郎の最初の本格的な絵画だ。単純に見える「空間」には、以後の岡本太郎の作品にみられるほとんどすべてが兆候として現れている。
しなやかで、しかも鋭い有機的な曲線と無機的な直線という正反対のモチーフが鮮やかだ。流線形や勾玉形といえるような形を形成する「し」字状曲線と、斜傾する形態や構図となる直線とが対比的だ。前者は布状の不規則な形態、後者は棒状の直線的な形態として左右に並置されている。布状の形態は左上から右下へ向かう動きと左下から右上へ向かう動きと、相反する動きを感じさせる。棒状の形態は上部を基点にして右から左に振れているのだろうか。それとも下部を基点に左から右に振れているのか。単純なので両義的だ。
左側では平面的なかたちが不規則にカットされ、グラデーションを施され裏をみせられているだけで蠢く布状の有機的な始原的生命体に変貌する。暗い海中を泳ぐエイか、夜空に翻る旗を想起しないだろうか。
右側では幾何学的な直線が具体的な実在の棒に変貌している。左側が暗い陰になって、右側は金属質の輝きを発散させている。色むらか刷毛跡のような濃淡がつけられた背景の空間に潜んでいるわずかな光を集めて輝いているかのようだ。
布状形態も棒状形態も、どちらともとれる両義的な動きと、抽象的で幾何学的な形態と生命的だったり実在的だったりする具体的な形象との間でゆれているのである。
生誕100年展で「空間」を見たとき、わたしは自宅の近所にある武者小路実篤記念館で見たことのある一つの絵を想いおこして、いくぶん脱臼気分になってしまった。実篤の筆による南瓜と胡瓜の絵だ。「仲良き事は美しき哉」との添え書きもある。球状の南瓜と棒状の胡瓜。岡本太郎の布状生命体と棒状実在体に似ていないだろうか。
南瓜と胡瓜、布と棒は、そう思われがちなように、互いに異質なものだろうか。そうではない。位相変換としてとらえると両方ともぐるりとまわってつながっている同じ「構造」体だ。見かけは異なっていても実は同じ。太郎も実篤も同じことを考えていたのだと思う。唐突ながら、シュルレアリスムのキャッチ・コピー「手術台のミシンとこうもり傘」も実は異質どころか、尖っているところなど似すぎている。花田清輝の「月とすっぽん」を想いだしておきたい。
わたしは生誕100年展で最初に「空間」を見て、最後にまたあらためて「空間」を見直してみた。布状形態と棒状形態のヴァリエーションが岡本太郎の作品のほとんどすべてに現れていることを確信しないわけにはいかなかった。
どう見ても布状形態やそのヴァリエーションは日本の伝統的な「筆意」を通した形の生成を感じさせる。だから「し」字状曲線といってみたくなったのかもしれない。「し」字状曲線から生まれる複合された流線形や勾玉形が、当時、パリで流行していたハンス・アルプなどのバイオモーフィック・フォーム(生物学的形態)に近似しただけなのではないのか。実際、太郎は60年代以後、書道的運筆の「筆意」がもろにうかがわれる絵画や立体に向かった。北大路魯山人が弟子入りした「版下書きの名手」で町書家の岡本可亭が太郎の祖父だったことを、しかし、今、想いだすべきではない。
      ★挿図1 岡本太郎「空間」1934年1954年 川崎市岡本太郎美術館

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ここまでで確認しておきたいことが三つある。
一つは、布状形態にみられるバイオモーフィック・フォームに結晶している「筆意」の身体的アクションがわたしを画面に引きこんでいくことだ。「空間」とは違って一つの画面にいくつかのモチーフが描かれた作品の場合には、異なる多数のモチーフを連続的に貫く流れの中にわたしの身体が巻きまれていく。指摘することにいくぶん抵抗があるが、岡本太郎が再発見した縄文土器の渦巻く隆線文の効果に似ている。
詳しく知っているわけではないが、わたしは等伯の「凛涼感(凛とした涼やかさ)」や光琳の「からきり感(からり&きっぱり)」の、臨界点まで圧縮された状態で平衡を保っているかにみえる始原的生命のエネルギーを感じさせる高い緊張感が好きだ。こうした凛々しい爽快感こそが日本の伝統的美意識なのではないだろうか。
かつて見たことのある十日町市博物館にある縄文時代の国宝の土器にはあからさまでなまなましい原始的生命のエネルギーを感じる。緊張感の高さに等伯や光琳との優劣はつけがたい。これらにくらべると、永徳の大画面様式、若冲や曾我蕭白の異形性は「形象」のつくり方での高度な技巧に注目するとしても、わたしはあまり高い緊張感を味わえない。
実際、岡本太郎のことなど想いおこさないまま見た十日町市の縄文土器の無方向にエネルギーを発散している魔術的としかいいようのない隆線文の記憶が、生誕100年展の会場で岡本太郎の作品の上に知らず知らずのうちに重なり合っていた。岡本太郎の作品も十日町の火炎土器も、始原的生命力でその場の供儀にいつの間にかわたしを引きずりこんでしまう。
二つ目は、これら二つの布状と棒状の形態の「形象性」以上に、暗く塗りこめられた背景が、これらの「形象」によって平面的なのに無限の空間だと感じられるようになってしまうことだ。だからタイトルが「空間」なのだろう。ここでも形態性や形象性を越えたかたちの機能を見ることができる
もう一つは、棒状形態は「形態性」や「形象性」よりも画面を斜めに方向づける「構図」の原理になっていることだ。斜傾線状であることで、布状の形態の不規則で不安定な動きに半ば拍車をかけ、それを半ば抑制している。わかりやすくイメージしてみると、翻る旗を支えるポールとして機能しているのである。そして、そうであることで、背景を奥行きのある空間として現れださせている。
もしそうなら、これは目に見える「構図」の原理というよりも、むしろ、形態と背景を形象や空間にまとめあげる目に見えない「統辞」的な役割を果たしているといった方が正確ではないだろうか。ポールに支えられた旗は、風の向きや強さに応じてはためき方や翻り方を変化させる。逆にはためき方や翻り方の違いで風向きや風力を、もしこういってよければ、空間をわかるようにさせている。風向きや風力と旗との関係、すなわち空間を「統辞」的に制御しているのである。文でいえば形態や形象に該当する単語をまとめる文法がここでの金属質に輝くポールだといってみたい。けれども、それが文法、つまり「統辞」として機能するときポールは見えなくなる。
 *
この三点を確認した上で「空間」をもう一度見直してみよう。
右上から左下に向かう「統辞」的な斜傾線を軸にしてそれに反発したり貫入したりする「筆意」から生まれてくる形象の氾濫。以後の岡本太郎のほとんどすべての絵画の基本だ。「空間」からわたしに確実に見えてきたのは、岡本太郎の絵画を岡本太郎の絵画にさせている形態を形象に変貌させる始原的な力の「筆意」と、ダイナミックな動きをもたらしながら氾濫し散乱する形象をまとめあげる「斜傾線状の統辞法」だ。そうでなければバラバラに砕けてしまう無数の星を束ねる星雲か、多数多様に飛散しようとする莫大な数の水滴を秩序づける台風の雲の運動を思わせないだろうか。あるいは、いくつかのことばで構成されている文に意味を与える「文脈」的な機能だといっていいのかもしれない。
「空間」を時計方向に90度回転させると、シュルレアリスムのイデオローグ、アンドレ・ブルトンをも魅惑した「傷ましき腕」(1936年/1949年再制作)に位相変換される。あるいは、「空間」の布状形態を右側に横滑りさせて棒状形態に重ね合わせると「傷ましき腕」になるといった方が正確だろうか。わたしには、「空間」は、「傷ましき腕」以外にも秀作の誉れ高い「重工業」(1949年)や「森の掟」(1950年)、それを展開した「燃える人」(1955年)、そして巨大な「明日の神話」(1968年)など岡本太郎の大半の作品に二重写しになって見えてくる。
    ★挿図2 岡本太郎「傷ましき腕」1936年/1949年再制作 川崎市岡本太郎美術館

「傷ましき腕」で60度の角度で連結されている右上から左下方向の上腕と逆方向の下腕との斜傾性は、同じような統辞的仕組みで「重工業」でも機能している。連なる三角錐のモチーフと長ネギに60度の角度で連結された閃光がそれだ。同時に、「重工業」での赤い歯車と黄色から赤に変わる閃光は、「傷ましき腕」のリボンだ。リボンの周囲を縁取る明るい青色は、「重工業」では歯車の周囲の青い気流とそこに巻き込まれる人といったところだろうか。「重工業」でのいかにも唐突な長ネギは「傷ましき腕」では腕にからみつく紐でもある。共に妙になまめかしく動いている。「重工業」の斜傾状につらなる長ネギと三角錐、そしてそれから横にずれてたわんだ工場のような建物が、「空間」の棒状形態(ポール)と同じように機能して絵画を統辞的にまとめながら文脈的に意味を与えているのである。
「傷ましき腕」が再制作された49年に制作されたのが「重工業」だということは特別問題にする必要はない。49年に描かれた赤色の兎と黄色の肉々しく始原的な有機物を暗い青色の背景に並置した「赤い兎」は「傷ましき腕」を飛び越して54年再制作の「空間」につながっているのは明瞭だ。47年の「憂愁」や「電撃」「夜」、48年の「夜明け」「真昼の顔」「作家」などの49年以前の絵画も「筆意」と「斜傾線状の統辞法」で彩られている。再制作されなかったとしても、「傷ましき腕」や「重工業」は最初の絵画「空間」から始まる「筆意」と「斜傾線状の統辞法」を共有しているのである。
「重工業」や「森の掟」を当時の河原温や池田龍雄などのルポルタージュ絵画と関係づけてとらえることはできるだろう。歴史的な意味はあるかもしれないが、わたしにはあまり生産的だとは思えない。というよりも、ルポルタージュ絵画そのものをもう一度見直してみるべきだろう。


         ★挿図3 岡本太郎「重工業」1949年 川崎市岡本太郎美術館

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岡本太郎の作品を始原的な力の「筆意」と形象をまとめあげる「斜傾線状の統辞法」のポジションから述べていくことはいくらでも可能だ。けれども、岡本太郎を考えながら、もう一つ、先ほどから気になっていることがある。「空間」で登場する布状形態、わたしがそれを翻る旗とか泳ぐエイとたとえてみたときからひっかかっていた。
わたしにもっとも「現代美術」的な刷りこみのイニシーションとなっているのは高松次郎だ。1965年、東京、電通通りのビルの地下にあった、いとう画廊で展示されたシェル美術賞展の高松次郎の「影」は篠原有司男のイミテーションアートとならんで、たとえ勘違いだとしても、初めてわかったと思えた「現代美術」の一つだった。
その高松次郎が1984年の「水仙月の4日 空に舞う雪の化生たち」以後描いた絵画に登場するエイのようなかたちが、岡本太郎を今、ここで考えている間中、わたしの気持ちの片隅で明滅を繰り返していた。いったい、これはどうしてなのだろう。
高松次郎が1993年に描いた「形/原始 N0.1360」や「形/原始 N0.1362」などを、あらためて図録で見てみると、岡本太郎「空間」のエイが体勢を変えたか、あるいは風向きと風力の変化で翻り方を変えた旗か、どちらかに違いないと思わざるをえない。
          ★挿図4 高松次郎「形/原始 N0.1360」1963年

身体のアクションによるドゥローイングが痕跡として紡ぎだした始原的なかたち。それが高松次郎のエイだ。高松次郎のエイは横の軸線は画面の上下の枠に対して右下がりに斜傾し、縦軸は右上から左下に向かう斜傾性になっている。このエイのなかに岡本太郎の「空間」のポールが斜傾したクロスとなって潜んでいるのでは、と、わたしは思う。
このことの検証する前に高松次郎の「影」よりももっと明快な版画「日本語の文字」(1970年)を見てみよう。
  *
「日本語の文字」は、わたしの勝手な推測だが、タイプライターで打ち込んだ文字をオフセットで印刷したのだろう。2年後のアルファベット文字を組み合わせて繰り返した「THE STORY」ではゼロックスコピーが使われている。「日本語の文字」でもオフセットで印刷する前に拡大コピーのプロセスがあったに違いない。
オフセットといっても、いわゆる当時の軽オフセット(?)だからなのか、あるいは印刷する前に何度も拡大コピーを繰り返したせいなのか、文字の輪郭がかすれて不規則になっている。紙のいたるところにインクの染みもある。じっくり見たのは3年前の「わたしいまめまいしたわ」展(東京国立近代美術館)だ。
インクの染みは視覚的な芸術性、いいかえると視覚的アクセントだとだれかがいっていたような気がする。わたしにはそうは思われない。むしろ、「この七つの文字」という印刷文字が指示する「この七つの文字」という意味内容を脱臼させ、空虚にさせている原因のように思われる。
「この七つの文字」だけに注目し「ことば」や「文」などの記号として理解すると、印刷文字「この七つの文字」は意味内容「この七つの文字」を指し示している自己言及、あるいは類語反復(トートロジー)だということになる。これは哲学や文学系の人が得意とするところだ。
「指し示すものと指し示されるものが同一であることによって生じる循環が、人に、合わせ鏡の無限廊下に立ったときのような目眩を覚えさせる」(三浦雅士「高松次郎の現在」展図録、1996年)。
なるほど。でも、わたしはそう思わない。「ことば」や「文」の意味は文脈の効果にしかすぎないことを忘れてはならない。「日本語の文字」は版画であり、美術という文脈でプレゼンテーションされている。哲学的アフォリズムでもなければ、文学的な言語表現でもない。白紙にただ「この七つの文字」が置かれているだけではないからだ。印刷されたインクの痕跡による文字なのである。インクの物質性が透明になって、ことばという記号的側面だけが見えてくるわけではない。
文字の輪郭のかすれや不規則なぎざぎざ、多分、繰り返されるコピーのプロセスを経たので小さな汚れが徐々に鮮明になった染み(1970年前後によくみられた手法ではあるが)などの視覚にさしだされているもの。こうした印刷のインクの痕跡、それらの造形とはいえない反色彩と反形態こそがこの版画作品で注目すべきところだ。
そこに注目すると、インクの痕跡は痕跡がつけられている支持体の紙とともに、わたしの眼前に迫りだしてくる。すると「この七つの文字」の意味は脱臼され空虚になりながら遠のいていく。次の瞬間には意味が近づき痕跡と紙が遠のく。「目眩」を覚えるのはこの二つの作用の短縮遠近法的繰り返しが原因なのだ。意味と痕跡、もしこういってよければ記号性と物質性や物体性とのズームレンズのようなシーソーゲーム。
シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)といった記号的関係の問題を脱臼させ、そこからずれていくところが「日本語の文字」のきわだった特徴だ。いたって形而下学的なのである。「影の形而上学」とか「実在と不在」などと、ともすれば視覚を越えて形而上学的に問題を展開しているかにみえる高松次郎は、逆に物質的で感覚的な視覚的事項を丁寧に取りあげなおしていたのだった。


★挿図5 高松次郎「日本語の文字」1970年 東京国立近代美術館

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夏目漱石の小説「坊ちゃん」で文字のインクの濃度やかすれ、染みに注目していてはマドンナの美貌は想像できない。小説で文字の視覚的な物質性に着目したのはル・クレジオが思い浮ぶ。小説は文字のインクの痕跡という物質、いわば支持体を透明にして、支持体に表面として重なり合っていることばを記号として読んでいくものだ。だから、書棚に並んでいるすべての「坊ちゃん」は複数あってもすべて本物なのである。
「日本語の文字」は印刷された版画であることで、唯一無二の描かれた絵画とは違って、小説と同じような複数あっても本物、したがって、記号として「読む」ものだと勘違いしやすいようにされている。高松次郎らしいシニカルな落とし穴だ。だから、紙に七つの記号としての文字が置かれているだけだと早とちりしてしまうのだろう。画集などの複製でみるととりわけそう見えるのかもしれない(それにしても花田清輝の亡霊「七」が現れているはずはないだろうが)。
唯一無二の「もの」として「見る」作品である「日本語の文字」は、印刷されていることで透明な記号である「文」として「読む」作品であるかのように装われている。けれども、見ればわかるように、繰り返されたコピー(印刷)のプロセスで非物質的な記号性を徐々に剥ぎとられて不透明で物質的なインクの痕跡性が強調されている。痕跡性はそれらを支えている支持体の紙も不透明な物体として気づかせる。文の意味とインクの物質性や紙の物体性、記号と物質や物体との短縮遠近法のようなズーム効果が「見る」ことのシーソーゲームなのである。
高松次郎の作品を見ていると、こうした「見る」ことのシーソーゲームに目眩しながら自分の意識や考えを革新していくのが美術作品を見るという経験なのだとあらためて実感することを迫られる。
「この七つの文字」から、1980年初め、銀座の鎌倉画廊で見たジョセフ・コスースのネオン管による「five words in five colors」をわたしは想いおこす。当然のことだ。五色の色光が五つのことばになっている。異なるメディアである紙に五色で書いても同じだ。「もの」をベースにした表現しているメディア、すなわち感覚できるもの、見えているものは違っていても「わかる」ことは同じ。「わかる」ということは物質的で感覚的な表現メディアの差異、あるいは視覚的なルックスとか見たくれには左右されない。
美術史では視覚的なルックスのテーストを「様式」として語ってきた。モダニズムの美術はその延長線上で視覚性にこだわってきた。コスースのコンセプチュアル・アートはそれを脱臼=転位させたのである。モダニズム美術の核心部に侵入して内側からモダニズム美術を脱構築したといってもいいかもしれない。
高松次郎はそうではない。コンセプチュアル・アートのような見たくれを装いながら、視覚をもう一度問い直している。これ以前の「影」や「遠近法」、「単体」のシリーズでもこの姿勢はかわらない。あるいはさらに、これらのシリーズでのテーマは同一だとみなすことができる。「日本語の文字」はコスースのコンセプチュアル・アートのように「わかる」ことを問題にするために、「見えている」視覚的内容のテーストを名ばかりのもにしてはいないのだということは強調しておきたい。
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「影」の作品も同じように経験することができる。東京都現代美術館の「扉の影」(1968年)は観音開きの二つの扉が、一つは半開き状態、もう一つは開いてしまった状態で影が描かれている。開かれた二つの扉の向こうは空いているのが常識だが、不思議なことに、そこには開く以前の扉に扉を開く身振りをしている人物二人が描かれている。しかも、開かれていない扉の影とすでに開かれている扉の影とは左側の扉では連続している。ルネ・マグリット風トリッキーといわれたのはこうした仕掛けが原因なのだろう。そういう作品を、多くの論者が指摘したようなトリックだとか、トリッキーだかとはわたしは思わない。美術作品、特に絵画の始原的な魔術性、いいかえると美術作品が成立する条件を明らかにするマジックだといっておきたい。そして、美術作品が成立する条件を明らかにするマジックを武器にして美術作品としての表現を獲得しようとしたのだ。


           ★挿図6 高松次郎「扉の影」1968年 東京都現代美術館

左側の二つの影と右側の二つの影。版画「日本語の文字」と同じで、影の元になっている人物はどうなっているのだろうか、と考える必要はない。影は光と物体との関数だ。影は光のアクションによってそれが投影(描写)されている扉という支持体の物体性をきわだたせる。そうすると影は萎えて遠ざかる。アポリネールの分析的キュビスム解説小説のなかでのオノレ・シュブラック氏が失踪した壁のようにわたしの眼前に扉が立っている。
描かれた影だから絵画だという前提で、絵画でのカンヴァスにあたる扉を透明な支持体だと考えるる一方で、同時に扉を実在の物体だとも考えると、四つの影がトリッキーな「不在と実在」の「現象学」のように見えてくるのかもしれない。イリュージョンの場としての絵画と物体としての扉、そこにある影とは・・・?謎はマグリット風に深まっていくばかりかも。
こうしたことがもっと明快にわかるのは、壁の帽子掛けのようなL字型ビスがとりつけられてそこに吊り下げられている鍵の影だけが描かれた絵画「影(鍵)」(1966年)だ。ここでは、元のオリジナルの鍵はビスにはぶら下がっていない。影は光と元の物との関数なので、物と光と支持体の壁との関係で決定される。だから元の物、すなわち鍵などを問題にするまでもなく、描かれたにすぎない鍵の影を受け留める壁こそが光と共に現前してくる。
影絵遊びで手が狐の形象になっていたことを想いおこしておけば、高松次郎の「影」の元の対象が不在だとか、どこにいるのかなどを問題にする必要がないことが理解されるだろう。「影」にジャスパー・ジョーンズの「旗」やロバート・ラウシェンバーグの「ベッド」との共通性を検討してみれば、「影」を「もの」と絵画、支持体と表面、そしてそれの淵源にある「地」と「図」の関係という現代絵画の最初の問題設定にまで遡ることができる。
描かれた影の表面とそれを成り立たせる支持体の扉や壁。ここでは、影という記号と支持体としての物体との目眩するようなシーソーゲームがわたしに視覚的な物体=「絵画」について考えさせる。
高松次郎は影を描いているというよりも、影を通して逆説的に影を影にしている扉や壁を描いている、あるいは扉や壁を支持体の物体として提示し直しているといえるだろう。影という「表面」と扉や壁という「支持体」との分離と融合。描かれた表面とそれを支える描かれるべき表面。絵画ではこの二つは決して一つにはならないとして、それらを一つにするために、すなわちイリュージョンを消滅させるために三次元の箱に向かったのが60年代のドナルド・ジャッドだったということに気づいておくのは重要なことだ。
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高松次郎は不確かながら、そしてかたちをかえて、「影」以降、表面と支持体とが織りなす絵画の始原的な場に降り立っていったのではないのか。そこを問題にしなくては高松次郎を取りあげる意義はないのではないだろうか。表面と支持体をめぐって「影」の絵画から始まって、遠近法シリーズや単体シリーズ、複合体シリーズが展開されたのだ。
ここで取りあげている「影」の作品では表面と支持体を問題と同時に、それを問題にする過程で次のような事態が派生している。扉や壁は光というアクションが生みうした影を受けとめ、それをまとめる「統辞的」仕組みとして機能している。これが「影」の作品でもう一つわたしに興味深いことがらだ。そして、この「統辞的」仕組みは「水仙月の4日 空に舞う雪の化生たち」以後の絵画にも同じように機能している。
「水仙月の4日」では根源的な描く身振りといってもいいようなアクションで描かれた線の痕跡のなかから形象性を帯びたかたちが登場している。「影」の作品で光のアクションが影をつくりだしているのと同じだ。ここでは高松次郎の描く身体のアクションが光なのだ。光を受けとめた画面は描かれたかたちを平面として統辞して形態や形象に変貌させていく。
けれども、平面の統辞的仕組みから誕生したかたちは、徐々に平面から分離していったのが1993年の「形/原始」だ。「形/原始」での画面いっぱいにひろがるエイの形象のようなかたちは、画面という支持体から遊離しながら見えない斜傾するクロスに統辞されて、ゆれながら画面につなぎ直されている。
高松次郎の根源的な描く身振りは岡本太郎の「筆意」に匹敵している。高松次郎の「形/原始」の場合には、根源的な描く身振りで生みだされた始原的生命体のかたちを見えない斜傾したクロスが統辞的に画面に繋げ、まとめて、背景との関係で不穏な死の気配をたずさえた供儀的な生命的衝動という文脈的な意味を醸しだしているのである。
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岡本太郎と高松次郎。わたしの現代日本美術史を貫くいくつかの重要なポイントのなかでも特に目立つ二人だ。とりわけ高松次郎に関しては、「現代美術」イニシエーションのトラウマとか「美の呪力」からわたし自身が自由になっているとは思われない。けれども、それが、岡本太郎風にいえば、「われわれが現在生きている絶対感」だと思う。
パリの躍動する芸術と思想のさなかで育まれた岡本太郎。和風化されたアメリカ現代美術とモダニズム美術観のなかで育った高松次郎。二回りほど年齢が違うとはいえ、二人のマジシャン=アーティストは戦後復興期から高度経済成長、消費社会にいたりそれを越えて連続している情報技術革命期の「日本」で生きて戦いつづけた。
そして、二人は、「もの」と「筆意」や描くアクション、そして近似した統辞性などを武器にして驚くほど始原的な美的世界を魔術的に出現させている。そこに共感したい。
高階秀爾は「日本近代美術史論」のなかで、青木繁はイギリス19世紀の世紀末のロマン的雰囲気を、そうするには悪い場所、日本で実践しようとしたと指摘している。岡本太郎や高松次郎もそうだろうか。いや、二人は、芸術の実践のシーンで、逆に、それを展開する日本を悪い場所だと措定したときに初めて自分の芸術の方向が見えてきたのだし、戦う目標が定まったのではないかと思う。
最後に、「ネオテニー」展のコレクターのことばにならって近代日本の和魂洋才の「洋食」メニューで二人を考えてみたい。岡本太郎は激辛カツカレーライス、高松次郎はプレーンオムライスのような気がなんとなくする。共に瑞穂の国、日本の象徴的食品「ライス」が支持体になっている。ライス(rice)は民族や競争(race)とダブる(?)。不思議ではない、か。
(はやみ たかし)

2012年6月25日月曜日

クリエイティブの力-「信用」と「価値」



グローバル化して世界が一つにつながる。それに反比例して人と人との「つながり」が失われていく。古いコミュニティ(集まり、共同体)である「村」はなくなってもそこに群れる人だけがつながる「ムラ」意識が残り、多くの人がつながる新しいコミュニティは未成熟。つながりをもたない孤立した「ひとり」が広がっていく。日本の社会に活力を与え直すことができる「つながり」をどうしたらとりもどせるのか。「つながり」のある新たなコミュニティをどう再構築するのか。わたしは昨年ここでこう問いかけた。
クリエイティブにかかわる者は、つねに「わたしはなにをしたいのか」を自分に問いかけながら「わたしはなにをすべきなのか」を探っていくことが重要だと、わたしは考えている。自分の<存在の根拠>と自分の<社会的役割>とをできるだけ重ねあわせるようにしたいからだ。
この二つの問いをもう一度とりあげ直して、アートやデザインに関わっているわたしたちのクリエイティビティ(クリエイティブらしさ)を考えてみたい。
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昨年、ここに掲載する文をつくりながらコミュニティの再構築について考えていたころ、エジプトではグーグルのネット(網)でつながった人々によってムバラク大統領の長期政権が崩壊させられようとしていた。それがリビアに飛び火した後、1960年代の世界的な価値の転倒に匹敵するほどの政治的、経済的な変動が連鎖反応的に世界中に燃え広がっていくのを見た。わたしたちが東日本大震災の惨事に飲み込まれてしまったのは、その後すぐ、文が掲載された作品集が刊行されてまもなくのことだった。
東日本大震災以後、「つながり」はさらにいっそう求められるようになった。今年のキーワードは「糸」ヘンだといわれる。「絆」「縁」「結」「紐」「綱」「網」など「糸」に由来して「つながり」を意味する漢字だ。わたしは「糸」へんに、「信」「介」「伝」「作」「来」「価」「値」などの人と人とのかかわりを示す「人(にん)」べんを加えたい。東日本大震災では世界中の多くの人の励ましや支援をとおして「人」と「人」とのあいだに力強くて優しい「糸」、すなわち「つながり」があることを実感することができたのだから。

けれども、もう一方では人と人との「こころ」のつながりが見えなくなり「信」用不安が世界を覆っていることに気づかないわけにはいかない。EU経済圏での金融危機が典型的だ。アメリカのリーマン・ショックがすでに先例として起こっていた。お金の貸し借りをコントロールする金融市場への依存と、公的な規制から自由になった金融市場の過剰な交通と思いあがりが大きな原因だ。その結果、ものごとの「価値」が変動し不安定になったことを世界中の人が再確認した。
あるものごとにどのくらいの値うちがあるのかという価値は常に一定しているわけではない。ことばの意味はことばを発信する人とことばを受信する人とのその時その場での関係、つまり文脈(コンテクスト)によって決まる。思想家のヴィトゲンシュタインがそれを「日常言語の規則は事後決まる」、すなわち、ことばの意味はことばがやりとりされた後で決まると指摘したのはよく知られている。
価値も同じだ。「価値」の「価」の右側のツクリは「賈」が元で、人が品物を「売」というのが本義。そこから「ねだん」という意味になったようだ。「値」は「直」がまっすぐ立つことで、人がぴたりと位置に「あてはまる」ことから「ねだん」を意味するようになったといわれている。「価」も「値」も「ねだん」のようだが、人と人、人と品物との関係、あるいは文脈によって「ねだん」が決まるところがポイント。世界各国の国債のランクづけを思いだしたい。
カール・マルクス以後の経済学の分野で「価値の幽霊的性格」といわれてきたのはこのことなのだろう。商品の価値は物それ自体として使われる安定した自立的な「ねだん」以上に、商品の売り買いが交通する市場という文脈で、その時その場でのやりとりによって変化する「ねだん」で決まる。
もともと不安定であるほかはない価値が決定される場合、市場でもっとも重要なのが信用だ。「信用」の「信」は人の「言(ことば)」。嘘をつかないのが正しい社会のきまりだから「信」は「誠実」を意味するようになった。人と人とのあいだで「誠実」が確認されて信用が成り立ったとき初めて「ねだん」、つまり価値が定まる。「信用秩序などの社会的事前確率」とEU経済圏での金融危機に対していわれているのはこうしたことだ。

けれども、「信」にはもう一つの場面がある。「信」の「言」は「申」に通じている。「申」は二つの両手をまっすぐ伸ばして重ねあわせること。そこから「信」は、人と人との「言(ことば)」と「意(こころ)」とがぴたりと重なることを意味するようになったというのだ。・・・なるほど。その時、人と人とが「つながる」にちがいない。
ここまでで、「糸」へんも「人」べんも、人と人、人と物との「つながり」や状態を意味しているのだということを、わたしたちは理解することができた。「つながり」や関係は、その時々の文脈の違いで変化する不安定な「価値」をうみだす。人と人とのあいだで「言(ことば)」と「意(こころ)」との一致が確認されたときだけ「信用」がうまれ、「信用」をもとにして「価値」が安定するのだということを忘れないようにしたい。
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価値の前提になる「信用」。「信用」の「信」の「言(ことば)」と「意(こころ)」とが不安定になって大きく揺れたのは今だけではない。ルネサンス芸術が花開いたイタリアの15世紀から16世紀にかけて、華やかな芸術の背後で権力者の思いあがりとそれに対する民衆の信用不安とが西欧をおおっていた。
フィレンツェのアカデミア美術館にミケランジェロの「ダビデ」像(図版1)が展示されている。ペリコンテ大理石から彫りだされたイタリア・ルネサンスの優れた彫刻だ。ダビデはユダヤ人の敵ゴリアテとの戦いを前にして身構えている。古代ギリシア由来のコントラポストの動的なポーズは造形的に完璧だ。戦いに勝てるという自信と勝てないかもしれないという不安とが交差しているユダヤ人の最初の王にして英雄ダビデの様子に、わたしたちは自分と同じような人間性を見出して安心と勇気をえる。強いダビデでさえこうなんだから、弱いわたしは情けないままではなく強くなれるかも、と。
ダビデ像はミケランジェロ以前には、戦いに勝って切り落としたゴリアテの首を踏みつけている形式で表現されてきた。ミケランジェロはどうして戦う前のダビデとして彫刻したのだろうか、と疑問がわく。

このダビデ像は、1870年にイタリアが統一された後にアカデミア美術館に収蔵された。それまではルネサンス時代のフィレンツェ共和国の政庁舎、ヴェッキオ宮殿(現在はフィレンツェ市の市庁舎)前の、今はレプリカが置かれているシニョーリア広場に面したテラスに置かれていた(図版2)
彫刻は本来、造形的な鑑賞美術品ではない。なにかを記念するモニュメント(記念碑)の役割を果たしている。日本の仏像も鑑賞美術品ではなく手をあわせる礼拝像だったことを想いおこしておきたい。
ミケランジェロのダビデ像は、16世紀の初め、荒廃したフィレンツェ共和国を再興しようとしたフィレンツェ国民の願いの象徴として企画された。
15世紀末、フィレンツェ共和国はフランス軍の侵入、それまでフィレンツェを支配していたメディチ家の失脚、そしてメディチ家逃亡後のサボナローラのキリスト教原理主義的な締めつけといった三つの過剰と思いあがりとによって崩壊寸前となる。これら三つの敵に立ち向かう国民の意志の象徴としてつくられたのがダビデ像なのだ。
「敵がきたら戦うぞ!」。人々の決意がここにある。だから、ミケランジェロのダビデ像は戦う前の姿でなければならなかった。設置場所はフィレンツェ共和国のもっとも共和国らしい場所がふさわしい。放射状に広がる街の空間的中心シニョーリア広場、共和国の政治的中心ヴェッキオ宮殿前という二つの条件を満たしているのがフィレンツェ共和国時代の設置場所だった(図版2)
ミケランジェロのダビデ像にわたしたちは当時のフィレンツェ共和国の人々の「言(ことば)」と「意(こころ)」を一致させて相互に「信用」しあい、力をだしあおうとする強い「つながり」を読みとらないわけにはいかない。
400年後、青年ピカソは、公的な記念碑ダビデ像を個人的な自分の分身像に置き換えた。1903年の「人生」だ(図版3)。右側の母で象徴される過去から離れ、寄りかかる美神に鼓舞されながら、不安に満ちた中央の未来の芸術へ旅立とうとする決意の表明。過去への惜別と未来への怖れを支えてくれるのがピカソが「つながっている」と信じている芸術なのだ。ミケランジェロ「ダビデ」像の生まれ変わりのようではないか。オフィシャルな表現がプライベートな表現に変わったときに「芸術」というコンセプトが誕生したことを物語っている。
さて、「信用」を乱した最大の原因は、フィレンツェ共和国を栄えさせると同時に長く支配してきたメディチ家がつくりだしたのでは。メディチ家は英語風にMedicineといってみるとわかるように、医薬関係の出自だとされている。しかしメディチ家が台頭したのはローマ教皇の財政管理まで担当したことによく示されているように金融業、お金の貸し借りを牛耳る銀行業の隆盛によってだった。

イタリアのルネサンスプロジェクト15世紀後半のフィレンツェのメディチ家、ローマのローマ教皇ユリウス2世らをパトロンとして推進された。このころのローマ教皇は西欧キリスト教世界の「こころ」の中心であるよりも世俗的な権力の中心という側面の方が強かった。外国の侵入にどう対応するかが重要な仕事だったからかもしれない。
キリスト教の思想や文化をそれとは異質な古代ギリシアの思想や文化と調和させることが、ルネサンスプロジェクトを推進したローマ教皇ユリウス2世の意向だった。15世紀末にフィレンツェ共和国をほっぽって逃亡したメディチ家は1513年にはローマ教皇レオ10世として復活を果たす。レオ10世はユリウス2世的なルネサンスの理想を継続して遂行しようとする。ローマキリスト教の総本山サンピエトロ大聖堂新築のための資金集めとして免罪符を売りだしたのだ。
実体をもっていないのでどんなものとも交換できる「ゼロの記号」である貨幣。貨幣をやりとりして富をえた金融業隆盛時代のメディチ家のコンセプトが幽霊のようにつきまとっている。「信仰」という以上に「信用」ブランドであるローマ教会=ローマ教皇を前提として、免罪符に「価値」を与えようとしたのである。
キリスト教信者という消費者が、目に見える商品としての免罪符を購入し「所有」することで、人間が生まれながらもっている原罪を贖(あがな)い帳消しにできるという、目に見えない機能を「確信」できれば免罪符に「価値」が生まれる。そのためには、免罪符の売り手にして「言(ことば)」と「意(こころ)」の発信者であるローマ教会とローマ教皇に対して、信者が「信仰」をうわまわる「信用」をもっていなければなんの「値うち」も生じない。お寺や神社で購入するお守りを想いおこしておこう。

キリスト教に限ったわけではないが、信仰を市場での商品の交換という文脈でとらえてみるとこんな構図になる。信仰は信者(消費者)と神仏(フェティッシュな商品)とが、「信用」を前提にして寺院(市場)で交通することで成り立つ。ミシンとこうもり傘が解剖台の上で「無意識」を前提にして交通する、シュルレアルな「驚きの美学」と多少似ているかもしれない。
中世キリスト教のイエスとかマリアの図像(図版4)や、日本の奈良時代、そしてそれを再興した鎌倉時代の慶派の仏像などは、その前に立つわたしたちをじっとみすえ、わたしたちに話しかけ「こころ」の「つながり」へと誘(いざな)っている。たとえば、ギリシアにある敬虔なギリシア正教徒に守られたアトス自治修道士共和国のプロタトン聖堂の聖母子。信者と神とのインタラクティブな会話、相互の「こころ」の「つながり」と「信用」があって初めて信仰が生まれることを証明しているのである。
レオ10世のようなローマ教皇は、信仰は相互の「信用」によって成り立つことを忘れ、ローマキリスト教という「信仰」ブランドをローマ教会=ローマ教皇の「信用」ブランドだと勘違いしていたのだろう。「価値」は「信用秩序などの社会的な事前確率」によってしか生まれないという近代経済学の大前提に気づくことはない。今、世界に蔓延している信用不安による金融危機と同じ構図だとわたしは思う。

ローマ教皇のこうしたキリスト教のブランド性=権威にあぐらをかいた思いあがりによる「信用」構築の怠惰は、ローマ教皇がパトロナイズしたルネサンス絵画にも別のかたちで現れている。
そこではマリアとイエスが絵画のなかで親子の対話をしているばかりで、絵画の前に立つ観客を見て観客と直接つながろうとはしてはいない。西欧美術史ではここに近代的な自律した絵画の萌芽を見た。けれども、信仰の立場からすると、絵に描いただけの信仰への後退、すなわち信者と神との「言(ことば)」や「意(こころ)」の相互交通によって生まれる「信用」にもとづいた信仰が失われたことを暗示しているのではないだろうか。
教皇や当時の権力者に支援されたラファエルロの聖母子像は、描かれたマリアやイエスとそれを見る信者との絵画の前での「つながり」の不在が、絵画とそれを見る観客の「つながり」へと置き換えられて、信仰の対象から美的鑑賞の対象という自律的な絵画に変換されて登場していたのだ(図版5)
免罪符発行を契機にしたローマ教会=ローマ教皇への「信用不安」は、印刷術の勃興による聖書の広範な広まりにともなって、1517年、聖書にもとづいて信仰を再構築するマルティン・ルターの宗教改革に発展した。「記号の商い」である金融に振り回されることなく、聖書の「言(ことば)」と「意(こころ)」に真摯に耳と目を注ごうとしたのだった。今、世界をおおっている金融危機と信用不安の次のステップが見えてくるような気がするのは、わたしだけだろうか。
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信用不安は、目下、イランの核兵器疑惑でも盛りあがっている。かつてアメリカはイラクのフセイン大統領に対する大量破壊兵器製造疑惑にもとづく信用不安から湾岸戦争を引き起こした。北朝鮮やイランは人が人を信じることができない人間の性向に働きかける。人間の見えない「こころ」に見せない核兵器をほのめかす。対象が見えなくて不在のときだけ想像力が働き、対象が現に目に見えているときには想像力は働かない。ノーベル賞を拒否したジャン=ポール・サルトルが的確に指摘している。見えないために想像力や妄想力は過剰になる。同時に、見えないものは「所有」できない。だから壊すことも奪うことも買うこともできない。見えなくて「所有」もできない究極は純粋な精神である神だろうが。自分ひとりで「所有」することはできないが、多くの人と「共有」することだけが可能だ。

こうした「所有」を拒否し目に見えない「信用」だけを「共有」させる美術作品が、「神」に張りあうかのようにして現れたことがあった。1960年代に登場したコンセプチュアル・アート(概念芸術)だ。
目に見えるビジュアルを大前提にしているのがアートやデザインであることはだれでも知っている。それなのに、目に見えているビジュアルを意味のないものにしてしまったのがジョセフ・コスースの分析的コンセプチュアル・アートだ。
「三つの椅子と一つの椅子」で知られるジョセフ・コスースの東京都現代美術館に所蔵されている「三つのシャベルと一つのシャベル」(図版6)はわかりやすい。写真のシャベル、実物のシャベル、辞書のシャベルの項目を拡大コピーしたことばによるシャベル。三つのメディア(材料、コミュニケーションの形式)の異なるシャベルが並んでいる。メディアが違うということは見え方が違うということだ。美術ではつねに見え方=ルックス(ビジュアル)の違いがもっとも重要だった。
ルックスの違いは美術作品が物だから生じている。だから、唯一無二の物としての「この」作品を「所有」することに「価値」がある。美術史も見てくれのスタイル(様式)の違いで美術様式史を美術史として織りあげてきた。
けれども、コスースの作品では、メディアの違いによる見てくれすなわちビジュアルを通して「見える」シャベルは三つとも違うのに、「わかる」ことは一つのシャベルという名称なのである。三人の人間は三つの個性をもっているが人間としては一つだということと似ている。個性と人間、どちらに焦点をあてるのかの違いだ。
言語学のフェルディナンド・ソシュールの指摘にしたがえば、シャベルということばはシャーベットや喋る、キャベツといったことばの空間のなかで、ほかのことばとは違うことばだという差異だけが支配する記号なのである。コスースの「三つのシャベルと一つのシャベル」は、見たり眺めたり撫で回したりして「美的快楽」をえることや、「世界にたった一つの作品」だからと「所有」して手にもって豊からしく微笑むのにはあまりむいていない。

機能を追及したモダンデザインの究極は、物の色やかたちを目に見えるようにデザインすることではなかった。使うことができる純粋な機能だけになって目に見えないものになること。それが、より良い機能、すなわち機能の純粋化を追及してきたモダンデザインの論理的な究極の理想だ。そういうポジションからすると、電子マネーはモダンデザインの究極の姿といえるだろうか。違うだろう。
モダンアートはメディアの違いによって変わるビジュアルの見てくれを重視してきた。ビジュアルはメディアの違いで決まる。だからメディアを純粋にすることにいそしんできた。「三つのシャベルと一つのシャベル」は写真、実物、ことばの三つのメディアによるビジュアルの違いよりも、色やかたちのないただ一つの名称=概念としての「シャベル」を際立たせる。
だが、それが成り立つのは「見る」という視覚のレベルではない。「わかる」という認識のレベルなのである。「見る」より「わかる」が優先する作品は、わかってしまえばもう見ることの美的快楽は無用だ。「わかる」は物として「所有」することができない。多くの人々と「共有」してはじめて意義が生まれる。

これを流用展開したのがベネトンの黒人、白人、黄色人種の心臓を並べた広告だ。物として「見える」肌の色であるビジュアルは三つ違っても、コンテンツとして「わかる」心臓は一つで同じ。人種差別意識を根底から覆す広告ではないか(図版7)
コスースは、こうして、「所有」のために文化的な物として市場で売買される美術作品を、「見る」物から「わかる」概念へと置き換えた。その結果、美術作品を美的快楽や「所有」を拒絶した、人々が「共有」することしかできない「考え方」にしたのだ。消費資本主義社会への批判ではないか。
「所有」を拒否するコスースの「三つのシャベルと一つのシャベル」が、では、どうして東京都現代美術館に「所有」されているのだろう、と、あなたは疑問に思うだろうか。疑問はとうぜん。でも、コスースの作品は、ビジュアル=メディア万能と信じられてきた「美術作品」を、ビジュアルを機能させなくても「美術作品」が成り立つのだとして、「美術作品」への考え方を根底からゆさぶった。だから「信用」と「価値」をえることができた。
「見る」は物だが、「わかる」は物ではない。「所有」できるのは物だけだ。美術作品は色やかたちを感覚的(美的)に味わう美的快楽の対象だと考えてきたわたしたちの意識をくつがえす。消費資本主義社会の「所有」の欲望を脱臼するとてもスリリングでクリエイティブな行為なのである。「価値」をひっくりかえしたのだから。クリエイティビティ(クリエイティブらしさ)にあふれてはいないだろうか。

コスースがそうであるように、クリエイティブであるとは偏見や先入観を捨てて自由な見方考え方ができることと、それまでのものの見方考え方、意識を変革するというプリンシプル(原理原則)をもつこととが出発点だ、とわたしは信じている。岡本太郎の「今日の芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という「ならない」三ヶ条はクリエイタープリンシプルでもある。「へたであれ、きたなくあれ、不快であれ」とはいっていないことも心に留めておきたい。いまや、こうしたクリエイティブな態度は芸術のアヴァンギャルドが失われて以後、セールスマンと化したアーティストが輩出するなかで、「信用」をえているクリエイターによって保持されているのかもしれない。
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今年1月に惜しくも亡くなったデザイナーの石岡瑛子。わたしたちの意識を変えるクリエイティブをおこなってきた。
もっともわかりやすいのは、デザイナー時代の資生堂のビューティケイクの広告だ。右肩上がりの急激な高度経済成長を背景にポジティブになる女性の姿をビジュアル化している。東京オリンピックのころにつくられたそれは、資生堂が山名文夫(やまなあやお)の時代から主張してきた、世の中で「半歩前」に進んだ女性像を提示していた。ハワイの海岸でじっとこちらを凝視する水着姿の前田美波里。挑発する女性像だ(図版8)
女性の権利回復を要求するフェミニズム運動が先進諸国で起きつつあったころの1970年代、パルコの広告でのディレクションによる「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」と資生堂よりもはるかに強くわたしたちの眼前にたちはだかる女性(図版9)。時代のトレンドという現実を鋭く見すえながら遥かな理想を描く。自分の身辺半径3メートル程度のプチ日常をプチビジュアルに変容させるいまどきのアートとはかなり違う。岡本太郎の三ヶ条も少しだけ添加されている。それが、自律的存在としての芸術とは異なる、他律的存在としての広告の限界でもあった。限定された条件、あるいは広告という束縛を逆用して、いかにクリエイティブな先端性をたせるか。戦略はアートと同じだ。広告デザインもその限界を押し広げることでクリエイティブな力を発揮することができる。
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わたしは、この文の冒頭で次のように書いた。
「クリエイティブにかかわる者は、つねに『わたしはなにをしたいのか』を自分に問いかけながら『わたしはなにをすべきなのか』を探っていくことが重要だと考えている。自分の<存在の根拠>と自分の<社会的役割>とをできるだけ重ねあわせるようにしたいからだ」。
石岡瑛子は、自分の<存在の根拠>になる自分の考えを広告という<社会的役割>に、できるだけ重ねあわせようとしていた。そうしたクリエイティブな心の構えがわたしたちの共感をひきおこしものの見方考え方を変えたのだ。
ジョセフ・コスースも美術という<社会的役割>のなかで、メディアとビジュアル偏重の美術をくつがえそうとして、美術の内部に深く侵入し内側から美術の骨組みを変えてしまう。脱構築である。そうしてわたしたちの意識を変えてしまった。
ルネサンス時代のレオ10世は「信用」を構築する努力なくしてはものごとの「価値」もつくりだせないということに気づかず、ローマキリスト教の「信仰」ブランドを信用不安にさせた。それがプロテスタントというもう一つの別の「信仰」ブランドを生みださせてしまうことになった。
クリエイティブであろうとするわたしたちは、「言(ことば)」と「意(こころ)」とが一致する、目には見えない「信用」と「信用」から生まれる「価値」に真摯に向きあうべきだろう。自分のプリンシプルをつねに確認し、クリエイティブの「信用」ブランドをめざして価値を生みだしたい。人と人、人と物との「つながり」や状態を意味している「糸」へんや「人」べんの漢字の風景を想いおこしながら。
(はやみ たかし)
図版1ミケランジェロ「ダビデ」 フィレンツェ アカデミア美術館
図版2シニョーリア広場のヴェッキオ宮殿前テラスに置かれている「ダビデ」像レプリカ
図版3パブロ・ピカソ「人生」 ニューヨーク近代美術館
図版4プロタトン聖堂壁画「聖母子」 アトス自治修道士共和国 カリエス 中世ビザンチン時代
図版5ラファエルロ「美しき女庭師の聖母」 パリ ルーブル美術館
図版6ジョセフ・コスース「三つのシャベルと一つのシャベル」
図版7ベネトン 広告
図版8石岡瑛子デザイン 資生堂ビューティケイク広告
図版9石岡瑛子アートディレクション パルコ広告


注;この文は阿佐ヶ谷美術専門学校卒業修了制作作品集の巻頭文として書かれたものです。図版はここでは省略されています。