「没入」中の動物を「見る」
高橋由一「鮭」 油彩 紙 140×46.5cm 1877年 東京芸術大学美術館
上野公園は動物の宝庫。
5月のある晴れた日、生きる条件を模索する必要のないアザラシ*1が動物園で惰眠をむさぼっていた。国立西洋美術館の「罠にかかった狐」(クールベ)*2は生きる条件を必死で模索している。アザラシのような「眠り」はクールベの絵画の定番(クールベ「眠る草刈り女」大谷記念美術館)*3。
*1 上野動物園のアザラシ
*2 ギュスターヴ・クールベ
*3 ギュスターヴ・クールベ
眠っているときは自分のなかに埋没している。マイケル・フリードは「劇場性」とは正反対のこうした状態を「没入absorption」の概念で述べたことがある。生存の危険がないと眠りに没入し、生死の瀬戸際では生をたぐりよせようと懸命に自分のなかに没入する。
5月のある晴れた日、生きる条件を模索する必要のないアザラシ*1が動物園で惰眠をむさぼっていた。国立西洋美術館の「罠にかかった狐」(クールベ)*2は生きる条件を必死で模索している。アザラシのような「眠り」はクールベの絵画の定番(クールベ「眠る草刈り女」大谷記念美術館)*3。
*1 上野動物園のアザラシ
*2 ギュスターヴ・クールベ
*3 ギュスターヴ・クールベ
眠っているときは自分のなかに埋没している。マイケル・フリードは「劇場性」とは正反対のこうした状態を「没入absorption」の概念で述べたことがある。生存の危険がないと眠りに没入し、生死の瀬戸際では生をたぐりよせようと懸命に自分のなかに没入する。
東京藝術大学美術館にも動物が捕獲されている。高橋由一の「鮭」*4。とらえられ塩のなかに没入状態で荒縄に吊るされている。江戸末期の月岡芳年の「英名二十八衆句『稲田九蔵新助』」を想いだしそうになりませんか。吊るされた婦女子と刀をもった侍。鮟鱇(あんこう)の吊るし切りに見立てた血みどろのエログロ見世物幕末浮世絵。高橋由一の「鮭」も見世物仕立てで西洋風リアリズムを「どうだ、この迫真描写!」と突き出しているようにもみえる。和魂洋才の極みだ。
東京国立博物館の「ボストン美術館」にも動物はたくさん飼育されている。長谷川等伯「龍虎図屏風」の虎*5。遠くを見ている上野動物園の虎*6と同じだ。等伯の虎は空の龍を見すえて対峙している。六本木のサントリー美術館には虎に似た麝香猫*7(狩野之信「樹下麝香猫図屏風」)が飼育されている。麝香猫も虎と同じ仲間だからなのか、等伯や上野動物園の虎と似たポーズ。
*5 長谷川等伯「龍虎図屏風」の虎
*6 上野動物園の虎
*7 狩野之信「樹下麝香猫図屏風」の中の麝香猫
サントリー美術館
*5 長谷川等伯「龍虎図屏風」の虎
*6 上野動物園の虎
*7 狩野之信「樹下麝香猫図屏風」の中の麝香猫
サントリー美術館
美術館という世間から隔離された檻のなかでは、生存のための戦いを忘れて訓育された上野動物園の動物と同じように、生存の現場から切り離され人工的な部屋の飾り窓のなかで衆人の目にさらされ、かわいい!きれい!おもしろい!などと嬌声をあげさせるくらい、動物たちは見ることに没入する人間の欲望に応え続けている。
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