2013年7月11日木曜日

見ることの誘惑 第二十四回 アンドレアス・グルスキー「スキポール空港」


アンドレアス・グルスキー「スキポール空港」


バロックの海、海のバロック


          
          アンドレアス・グルスキー「スキポール空港」
           インクジェットプリント 61.5×76.4cm  1994 

グルスキーの写真は見たとたんに、遠隔視的な全体と近接視的な細部との伸縮感に圧倒されてしまう。ズームアップとズームバックが同時におこっている。
画面全体は繰り返しや均等な分割によって静謐にまとめられている。それに対する細部での肉感的で物質的な過剰なざわめき。軽い目まいにおそわれる。

繰り返しや均等な分割は、全体をまとめる構成法や統辞法としてみたら、新しさの終わりとしての新しさ、つまりコロンブスの卵である。美術ではモダニズムの究極としてのミニマリズムがそうだった。
グリスキーの写真は、規則的で無機質なアンチ物語のミニマリズムの文法を使って全体を規定し、細部に視線を集中させたときには、ポストモダン風な過剰な物語の現前に立ち会わされてしまう。沈黙のつぶやき、といってみたくなる。

左右が5メートルを越える写真もあるなかで「スキポール空港」はかなり小さい方だ。
グリスキーの写真はデジタル処理がほどこされているとのことだ。遠隔視的な全体と近接視的な細部とのコントラストが強すぎるとデジタル処理の過剰さを感じてしまう。そうすると、写真を見ているリアルな経験がヴァーチャルな幻想に変貌していく。経験の質が違ってくるということだ。

「スキポール空港」はこうしたことを感じさせない透明感が満ちあふれている。写真の空間も制作方法も透明だ。
アムステルダムのスキポール空港のいくつかあるラウンドウェフの一つの端から滑走路を撮影したのだろう。
平坦な内部のグリッド状の床、外部もそれを継承展開して平坦に広がっている。
内部は左から右側に向かって斜めに奥まっていく。外部の芝生や滑走路、さらに遠くの風景も同じように右側に収斂していく。
その端に飛行機の尾翼がとらえられている。左から右への動きの感じがかすかに強められる。
空には青空を覆うかのように白い雲と灰色の雲が広がる。白い雲は手前のラウンドウェフの床の傾斜に平行している。灰色の雲は上の屋根の傾斜に平行しているように見える。

この雲には既視感がある。
オランダ17世紀の画家ヤーコブ・ファン・ロイスダールだ。「漂白場のあるハールレムの風景」を想いおこさないだろうか。
「漂白場のあるハールレムの風景」の画面右半分、地平線のすぐ上の雲二つ。地平線に近い左下がりの雲と、その上の右下がりの雲。「スキポール空港」の白と灰色の雲に重なりあってしまう。
もしこう言ってよければ、空港の天井はロイスダールの一番上の雲と比べることができる。
と言い始めると、ロイスダールの左右に細長い菱形の漂白場はラウンドウエフ室内の手前に続くことを予想させる床に類比することも可能だ。
ロイスダールでは、平坦に広がる大地の手前では麻の漂白作業をする人々がとらえられている。その向こうにはいくつもの風車、教会と街の家並が連ねられている。透明感のある広大な視野と、微細な細部に息づく肉感的な人の営み。筋のない物語が編みだされてくる。

              ヤーコブ・ファン・ロイスダール
                 「漂白場のあるハールレムの風景」

「スキポール空港」をもっと見てみよう。
ガラスに内部の光景が断片的に映り込んでいることに気がつく。外で水平の流れをつくっている風景に重なって、白と灰色の薄い垂直の面が、大地と空、室内と室外とをつなぎとめているかのようだ。
それに気づくと、室内と室外に空気が漂い始める。
遠くの木立や台形に盛られた土。煙突のある建物、そして地平線上に散在する微細な垂直の事物の影が連続しながら、右端の飛行機にまでつながって、声にならない声で物語をつぶやいているのではないかという気がしてくる。

グルスキーの写真での全体と細部、ズームアップとズームバックとが同時に起こっているような感じ。言い換えると「図」と「地」の同時性ということだ。
こうした部分に分割できない「全体性」は、わたしたちに抽象表現主義の絵画やカラーフィールドペインティングを想起させるのではないだろうか。
実際、たとえば、グルスキーの「南極」を見たときの経験は、クリフォード・スティルの「図」と「地」が同時に現れるのを見ながら、それとは異質な圧倒的な一つの形(図)の現前に立ち会っている経験と酷似していた。

全体を規定する規則的で無機質なミニマリズムの文法と、細部にポストモダン風な物語に焦点を当てると過去の違うアートシーンが想起される。
全体の画面の平面性や物質性を強調して、細部の色や形のイリュージョンを空間の廃墟ともいえるような平面的で物質的な画面に宙づりにしたアンゼルム・キーファーやデイヴィッド・サーレ、ジュリアン・シュナーベルなどの1980年代の新表現主義系の絵画だ。

もっと一般化することもできる。全体の幾何学的な枠組みと有機的な形象。
アルフォンス・ミュシャの縦長ポスターでの幾何学的なビザンチン風枠組みと有機的形象。あるいは源氏物語絵巻での、吹抜き屋台という全体の幾何学的枠組みの中で右往左往する細部の人物達。

ここまで言うと、言い過ぎだと思う。別な言い方で穴埋めをしておかなくてはならない。
グルスキーの写真は海を見ているときの経験に似ている。心が晴れ晴れとして気が大きくなる。同時に、エウヘーニオ・ドールスに「バロックは海である」と言わせた海の「バロック性」。
グルスキーの写真は、筋をもたない、つまり、「いま、ここ」の物語がざわめいている。
(はやみ たかし)

※国立新美術館「アンドレアス・グルスキー展」(201373日〜916日)から取材しました。

2013年5月11日土曜日

貴婦人と一角獣 感覚と感覚を越えるもの


我が唯一の望み」(「貴婦人と一角獣」の一つ)


          「我が唯一の望み」(「貴婦人と一角獣」の一つ)
        約376×470cm 羊毛 絹 1500年ごろ クリュニー美術館

6点のゴブラン織りのタピスリー「貴婦人と一角獣」のなかでもっとも大きい。他の5点と同じように赤色と青色を中心に繊細で華麗な植物や動物が散りばめられている。左右に配置されているライオンと一角獣。
ここでは貴婦人は天幕のなかにいる。天幕には「我が唯一の望み」と記されている。貴婦人が首飾りをつけていないのはこれだけだ。侍女がもつ小箱から首飾りを取り出そうとしているのか、それともしまおうとしているのか。

ライナ・マリア・リルケは「マルテの手記」で「貴婦人と一角獣」6点すべてについて記述している。
「ここにつづれ織りがある。アベローネ、有名な壁掛けゴブランだ」と恋人に向かって語りかける。味覚、嗅覚、触覚の次ぎ、四番目にマルテは「我が唯一の望み」の前に立つ。
貴婦人は長いあいだしまいこまれていた鎖を取り出しているのだとマルテは思った。
「人は生きるためではなく、死ぬためにパリにやってくる」とか、「僕をいれてくれる屋根はどこにもない、雨は容赦なく僕の目にしみるのだ」といった調子でつづられる。
いまなら引きこもり小説とでもいえそうな「マルテの手記」を読んだのは、40年以上前のことだ。
心に傷をかかえて1902年パリに来て、ロダンの秘書になったリルケの分身がマルテなのだ。

「マルテの手記」のなかで「貴婦人と一角獣」が記述される直前にはこんなことが書かれている。
マルテだけを愛していたアベローネ。それに対して、マルテは一人の女、アベローネではなく、いわばアベローネの女性性を愛していたのだった。だから、二人の間には大きな埋められない距離があった。
アベローネはリルケがドイツで結婚して、子どもができたのに別れざるをえなかった彫刻家クララ・ヴェストホフなのだろうか。
マルテは想いのなかのアベローネと共に「貴婦人と一角獣」をめぐっていく。
だから、「mon seul desire(我が唯一の望み)」を「わがいとしき一人の人に」(大山定一訳、角川文庫 昭和3813刷)と解釈したのかもしれない。
一角獣はリルケ=マルテ、貴婦人はヴェストホフ=アベローネなのだろう。一角獣リルケに見つめられながら、長い間放棄したままだった愛の首飾りを再び小箱から取り出すヴェストホフ。
なんだかほろ苦い想いにとらわれる。
マルテ=リルケはパリの街をさまよいながら死と生、苦悩と愛の物語を織っていく。
わたしはマルテのように「貴婦人と一角獣」に感情移入することはない。「我が唯一の望み」の貴婦人は、首飾りをはずして二度と再びあけることのない堅い鍵のある箱にしまいこもうとしているところだと、わたしは思う。

感覚を刺激する装飾性と、自分の目で感覚した現実のリアルなサプライズ。1500年前後の西欧では、この二つは絵画や写本などのビジュアルでの新しいトレンドだった。
装飾性の典型はボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」や「春」、100年前の「ベリー公のいとも豪華な時祷書」のイラストレーション。リアルなサプライズは克明な細部に見飽きることのないヤン・ヴァン・エイクの「宰相ロランの聖母」や「アルノルフィニ夫妻の肖像」を想いおこしておきたい。
クエンティン・マセイスの「両替商とその妻」やヒエロニムス・ボス「愚者の船」や「快楽の園」を見れば、精神の光としての神よりも、黄金の光や美味美食の感覚的な快楽へと人々の目が向かっていたことがよくわかる。

こうした状況のなかに「貴婦人と一角獣」をおいてみたい。
視・聴・蝕・味・嗅覚、五つの感覚の寓意。それとは異質な宝飾品を排除した非感覚的なものの寓意「我が唯一の望み」という構図を思い描くことができる。

離婚したリルケがパリに到着した1902年から60年後、同じパリで、イヴ・クラインはロトロ・ウケルと結婚式をあげる。同じころの1月と2月、クラインは「非物質的絵画的感性領域の譲渡」の儀式を行った。金と引き換えに「非物質的絵画的感性」を譲渡し、金はセーヌ河に投げ捨て、領収書も燃やしてしまう。
「非物質的絵画的感性領域」も金も個人の所有から離れて、無にして全の世界に永遠に存在する儀式だ。
仏教が教えるように感覚的な色(現象)は空無なのだから。

1962年2月「非物質的絵画的感性領域」シリーズ4のNo.1
                     金をセーヌ河に投げ捨て、ブランクフォート氏に渡
            した領収書を燃やすイヴ・クライン

宝飾品を体からはずして異次元の箱に封じ込める「我が唯一の望み」の貴婦人の身振り。460年後、プチ・ポンやその向こうのサンミシェル橋が見えるノートルダム大聖堂前の広場を背にしたセーヌ河の河岸で金や領収書を消失させるイヴ・クラインの身振り。
リルケ=マルテを媒介にして、この二つの身振りが結びつけられるような気がする。

それから4ヵ月後、クラインは急死する。
6月6日のことだ。
地上的、感覚的で束の間の存在は、宇宙で永遠の非物質的な存在になるのだろうか。
さらに2ヵ月後にはクラインの愛の化身が誕生している。
死と生、苦悩と愛は繰り返されつづける。
「マルテの手記」や「貴婦人と一角獣」、クラインの儀式もまた完結することなく織られ続けるだろう。
(はやみ たかし)
フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣」展(国立新美術館、2013424日~715日)から取材しました。
 

2013年2月9日土曜日

エル・グレコ「福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り」


その場面を現れださせているのは誰なのか



        エル・グレコ「福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り
        油彩 カンヴァス 1595年ごろ 
        サンタ・レオカディア・イ・サン・ロマン教区聖堂 トレド


「無原罪のお宿り」の絵画でもっともよく知られているのは、17世紀スペインのムリリヨの「無原罪のお宿り」(2)だろう。現在、東京都美術館で開催中の「エル・グレコ」展にも2点展示されている(1)

                     2 ムリリヨ  無原罪のお宿り

「無原罪のお宿り」は聖アンナの胎内に無原罪で宿った聖母マリアが主役だ。聖母マリアは常に少女の姿で描かれる。
新約聖書のなかの「黙示録」に、聖ヨハネが「無原罪のお宿り」の聖母マリアを幻視する記述がある。これをもとに描かれている。聖ヨハネや人々が聖母マリアを目撃している場面として描かれる。
同じかたちでゴーギャンは信心深いブルターニュの女性の幻視に現れる十字架の黄色いキリストを描いている(3)

                          3  ゴーギャン 黄色いキリスト

聖母マリアやイエスの出現は目撃者によって保証されることになる。

フェルメールの「画家のアトリエ(絵画の寓意)」(4)では、絵画の寓意であるかのような青い服の少女を、少女を描いている画家が目撃している。
目撃しているばかりか、少女(絵画)の存在を証明するかのように少女を絵画に描いている。少女と絵画は入れ子状の構造ではないだろうか。

          4 フェルメール 画家のアトリエ(絵画の寓意)

こうした目撃者とか証人としての見る人は、すでに古くアイルランドでつくられたローマから来た聖書の手写本の挿絵にも現れている。
「リンディスファーンの福音書」のなかの「マタイの福音書」の扉の頁(5)。神の福音を記述する聖マタイをカーテンの陰から目撃している男がいる。
聖マタイが神の福音を受信していることを第三者が目撃し、証人の役割を果たしている。

          5 リンディスファーンの福音書 「マタイの福音書」の扉

よく知られているブリュージュのヤン・ヴァン・エイクの「アルノルフィに夫妻の肖像」も同じだ。
絵画の中央の丸い凸面鏡(6)。後姿のアルノルフィニ夫妻を入り口で目撃している二人。細密に描かれた二人のうちの一人は、この場面を見て描いたヤン・ヴァン・エイクだ。
ヤン・ヴァン・エイクはアルノルフィニ夫妻の結婚の目撃者、証人なのである。
この絵画は結婚証明書ということになる。

             6 ヤン・ヴァン・エイク「アルノルフィに夫妻の肖像」部分 鏡

では、ロンドンのナショナルギャラリーにある、17世紀、スペインのベラスケスの「鏡の前のヴィーナス」(7)の目撃者はだれなのだろうか。
ヴィーナスは鏡に映った自分の顔を見ているかのようだ。
そうなのだろうか。
鏡のなかにヴィーナスの顔を見ているのはヴィーナス自身ではない。この場面を見ている者だ。この絵を描いたベラスケス以外にはいない。
背を向けたヴィーナスの背中越しにベラスケスは、鏡のなかにヴィーナスの顔を見ている。
逆に、ヴィーナスは鏡のなかにベラスケスの顔を見ている。
ベッドに横たわり、キューピッドのさしだす鏡を見ているヴィーナスを、そこにそのように存在させているのは、この場面を見て描いているベラスケスなのだ。
そして、絵画の前でベラスケスの位置にいるのは、絵画の前のどこにいようとも、この絵を見ている観客としてのわたしなのである。

              7 ベラスケス  鏡の前のヴィーナス

もう一つ、ニューヨーク近代美術館のピカソ「アヴィニヨンの娘たち」(8)の娼婦たちを存在させているのは、だれなのだろうか。
横向きであろうと、後ろ向きであろうと、じっとこちらを凝視する娘たち。
娘たちの眼差しは、この娼館を訪れて、下の三角に突き出したテーブルのこちら側に座っているはずの客の眼差しと切り結んでいる。
だが、同時に、絵画の前に立つ観客であるわたしと娘たちは目があう。
としたら、これらの娘たちの存在を目撃し存在を証明しているのは、絵を見ている観客としてのわたしなのである。

                       8  ピカソ アヴィニヨンの娘たち

紙とはさみを使ったコラージュによるピカソの「ギター、新聞、ワイングラス」(9)はペインティングが欠如した絵画だ。
青い長方形と木目の模様の紙、下の黒い円弧状の形、そして白い円形。これらをギターだと思うかどうかは観客のわたしに委ねられている(ギターだと思わないこともある)。
わたしは、右上の楽譜、白い紙分析的キュビスムの方法で描かれたグラス、下方の新聞などと関係ずけて、テーブルの上の、これらがギターと一緒に置かれていると「幻視」した(幻視しなくてもよい)
背景の斜め格子と花柄模様は壁紙。
部屋の中のテーブルの上にギターや楽譜などが置かれてあるのだと理解することができる(理解しなくてもかまわない)。
そうだとしたら、白い円と青い紙、木目の紙、黒い円弧状の紙、そしてワイングラスのデッサンに囲まれた斜め格子に花柄模様の部分は、実に、三つのものを表している。ギターの胴体、テーブル、部屋の壁。
イメージの<LA BATAILLE S’EST ENGAGE=戦いが始まった>のだ。
この戦いは幻視力や想像力、あるいは妄想力のJOU(JEU)=遊戯>でしかない。
戦いを始めさせるのも終わらせるのも観客であるわたしなのである。

           9  ピカソ「ギター、新聞、ワイングラス」

すべての絵画はわたしの前に差し出されている。
だが、それを現れださせることができるのは、絵画を見ているわたしだけなのではないだろうか。
(はやみ たかし)
※エル・グレコ福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り」は「エル・グレコ」展(東京都美術館、2013119日~47日)から取材しました。
 

2012年12月11日火曜日

「大地を紡ぎ、空気と光を織る」ー山田正亮「Work」シリーズの絵画

 

            山田正亮 workB-136 1950年代後半


 早見堯

今回の「見ることの誘惑」は、20121220日刊行予定の美術雑誌「ART TRACE PRESS2号」に掲載されている、山田正亮の絵画についてわたしが書いた「大地を紡ぎ、光と空気を織る」です。
雑誌の紹介はこちらです。
「大地を紡ぎ、光と空気を織る」をお読みになる場合は下記リンク先からART TRACE PRESS2号」入手方法を確認してください。

            山田正亮 workC-400 1960年代後半

ここでは、山田正亮の絵画についてのわたしの評論について想いだしたことなどをメモにしてみました。

1、ART TRACE PRESS2号」「大地を紡ぎ、空気と光を織る」書き出しの部分
山田正亮の前に山田正亮の先駆者は見えない。山田正亮の後にも後継者としての山田正亮はみあたらない。山田正亮自身は一時期、日本の抽象絵画のパイオニアで、他の画家とはキャリアの異なる長谷川三郎からの影響をほのめかしたこともあった。長谷川三郎の絵画に影響されたというよりも、抽象絵画系の自由美術家協会の主導者長谷川三郎に、日本の他の美術家とは違う知的美術家のモデルを見て、それと自分とを同一化したいという思いがあったからのようだ。
他方で、1980年代、山田正亮の絵画が日本型モダニズム絵画の典型として脚光を浴びていたころも、山田正亮の絵画を継承展開しようという雰囲気はほとんど見かけたことがない。当時、山田正亮の高く評価されていた絵画がすでに過去のものとなってしまった1960年代の「ストライプ」の絵画だったからというだけではない。
山田正亮は1978年の銀座、康画廊での回顧展以後、日本のモダニスト絵画の重要な担い手とみなされるようになった。日本の抽象絵画の先駆者長谷川三郎からさらに小出楢重にまでさかのぼって日本近代美術史のなかにポジショニングさせたいとの誘惑にかられる。
けれども山田正亮の絵画は継承とか展開、あるいはなんらかの系譜といった通時的な文脈においてみた場合には位置づけにくい。絵画の歴史的展開やモダニズム絵画の還元などといった通時的文脈とか、様式的変遷の観点からするとモダニズム絵画の季節外れのレッスンとしか思われない。
ところが、「なにが絵画たりうるのか」とか「絵画の成立の条件はなにか」という問いに答えようとしているのが山田正亮の絵画だと理解するとよりよく見えてくるものがある。絵画の共時的構造の探求といいかえてもいい。山田正亮の絵画に先駆者も後継者もいないのは、山田正亮の絵画のこうした問題設定あるいは絵画への関心の持ち方に原因がある。
そして先駆者もなく後継者も寄せつけないところにこそ山田正亮の絵画の固有性があるのだ。こうした問いはモダニズムの絵画の自己批評性にとてもよく似ている。だから欧米モダニズム絵画の文脈に整合する絵画の変遷というふうに見えてきたりもしたのだった。

2、山田正亮について書いたことなど
康画廊での回顧展の後、雑誌「みづえ」で対談して以後、わたしは山田正亮の絵画に深くかかわるようになった。
1981年には作品集「山田正亮1950-1980」(佐谷画廊刊 1981年)で「山田正亮—面による思考」を書いてからすでに30年が過ぎてしまった。
1981年からバブル崩壊までの十年近くのあいだは、「机は脚だけではなく、頭でも立っている」という「資本論」のマルクスのことばが、文字通り絵に描かれたような時期だった。文化の流通と消費として取りあげ直される必要があると思う。その間に、山田正亮についての評論を20編以上書いたと思う。わたし自身も知らず知らずのうちに文化の流通と消費の共犯者になっていたのだった。
山田正亮の絵画を全体的にとりあげたものは、山田正亮—面による思考」以外にわたしの著作で4点ある。
一つは「山田正亮 Work on Paper 1950-87」(佐谷画廊刊 1987)所収の「描くこと、表面の発見/再発見」。
次に、ギャラリー米津から刊行された1989年「ストライプ」絵画と1990年の「グリッド&クロス」絵画。これらは山田正亮の絵画を二つのタイプに分けてそれぞれ通覧できる形にしたものだ。20世紀後半のモダンアート共通の「新しさの終わりとしての新しさ」ということができる「繰り返し(ストライプ)」と「分割(グリッド&クロス)」ということになる。
それから、1990年美術出版社からだされた作品集「WORK」での「絵画を生む絵画」。このタイトルは山田正亮の絵画が色や形、構成、タッチなどの絵画の要素のアナグラム的組み合わせによってつくりだされていると理解してつけたことを想いだす。フィリィップ・ライダーがフランク・ステラの作品を「エンジニアリングとしての絵画」と呼んだことに影響されているかもしれない。
わたしが独自に山田正亮の絵画の価値を見いだしたのではない。山田正亮を最初に価値づけたのは評論家の藤枝晃雄だ。
藤枝晃雄が開墾した土地にわたしは種を蒔いただけともいえる。生育不適格な種ではなかったのかと、時に確信が揺らぐことがなかったわけではない。あるいは藤枝晃雄がつくった曲をわたしは演奏していたのかもしれない。アドリブとアレンジが多すぎたような気がする。
山田正亮について書いたものも、そうではないものも、ある時期までの原稿のすべては、基本的には藤枝晃雄と藤枝晃雄を通して再認識したクレメント・グリンバーグの導きによって生まれたことは言っておく必要がある。
グリンバーグ著「芸術と文化」は瀬木慎一訳で繰り返し読んだ。あるとき、藤枝晃雄から原本をもらった。読んでみて、わたしは一体、いままで訳書からなにを学んでいたのか、と、驚かざるをえない部分も多々あった。それもすでに過去の想い出になってしまった。
山田正亮について書き続けていた1980年ごろからバブル崩壊のころまでの十年間、わたしの視野のなかには、常に、グリンバーグによって練り直されマイケル・フリードによって拡大再生産された「ピュア・オプテイカリティ」がちらついていた。
「ピュア・オプテイカリティ(純粋視覚性)」は、ハル・フォスターにならっていえば、文化的・社会的な視覚性の「ヴィジュアリティ」に対する、生理学的視覚である「ヴィジョン」のような位置づけになるのだろうか。
「ピュア・オプテイカリティ」はちょっと手強い。下手に扱うとアナクロの視覚になるし、いま現に見えているものを抑圧しなくてはならなくなる。
ロザリンド・クラウスがマックス・エルンストのオーヴァー・ペインティグ(減算コラージュ)を述べる際に援用した、フロイトの「ヴンター・ブロック」のように、見えるものは「いま、ここ」には還元不可能だということはすでに周知のことだ。「ヴンター・ブロック」では、下の蝋引き板の上にかけられているシートになにかを書いて、シートをめくると書いたものは見えなくなる。でも消えたわけではない。下の蝋引き板にはしっかり保存されている。わたしの子どものころには日本にもあった。
中沢新一の「アース・ダイバー」も「ヴンダー・ブロックwunderblock」の一変種だろう。
こんな感じが、いまは、自然だと思える。でも、文化は「自然らしさ」を越え出て行かなくてはならないのでもある。

3、ART TRACE PRESS2号」
とりとめもないこと述べてきたのは、以下の雑誌を紹介するためだ。
1220日刊行の美術雑誌「ART TRACE PRESS2号」に、わたしは「大地を紡ぎ、光と空気を織る」のタイトルで山田正亮の絵画について書いた。
創刊号で先鋭な美術雑誌との定評をえた「ART TRACE PRESS」は、創刊号のジャクソン・ポロック特集につづいて、第2号ではキッチュ評論家石子順三(今年、府中美術館で充実した展覧会が開催された)、先頃亡くなられた画家宇佐美圭司、ポロックなどと並んで山田正亮が特集されています。
ART TRACE PRESS2号」には早見堯のほかに林道郎、松浦寿夫、岡崎乾二郎、峯村敏明、永瀬恭一など先端的な評論家やアーティストが執筆しています。
下記の書店で取り扱っています。
ジュンク堂書店 池袋本店 >>
東京堂書店 神田神保町店 >>
丸善 丸の内本店 >>
東京国立近代美術館 ミュージアムショップ >>
DIC川村記念美術館 ミュージアムショップ >>
下記のNADiff各店舗 >>
 NADiff a/p/a/r/t
 NADiff contemporary  (東京都現代美術館 ミュージアムショップ)
 gallery 5 (東京オペラシティアートギャラリー内)
 Contrepoint (水戸芸術館 ミュージアムショップ)
 NADiff 愛知 (愛知芸術文化センター アートショップ)


2012年11月13日火曜日

立ちのぼる「在る」

                                                児玉靖枝 「深韻ー風の棲処十五」
                                                         2012年 キャンヴァス・油彩 145.5×145.5cm

ものの「気配」と自分の「気分」との区別かあいまいになることはないだろうか。

ジョルジュ・ローデンバック「死の都ブリュージュ」の主人公ユーグの気分と雨のなかに朽ちていくかのようなベルギーの古都ブリュージュの街の気配。
あるいは、モーリヤックの「テレーズ・デスケイルゥ」のテレーズとフランスのボルドー近郊、ランド地方に吹きすさぶ冬の松林はどうだろうか。

東京、自由が丘の画廊で、秋の午後の陽ざしのなかに現れてくる児玉靖枝の絵画に取り囲まれて、そんなことを思っていた。
黄葉とそれを取り巻くシルバーグレーとが溶け合って、不思議な気配を醸し出している。
その気配は秋の陽ざしにおおわれた高い天井の部屋にいる私自身の気分のようだった。
形ではない気配や気分は、何かがあるというのとは違う、物や形のない動詞型の「存る」を紡ぎだす。

1917年秋の終わり、初めてニースを訪れたマチスが、鈍く、そして深く輝く地中海に感じとったのも、こうした「存る」のざわめきだったのではないだろうか。ふと思ったりせずにはいられない。

                アンリ・マチス「窓辺のヴァイオリニスト」
                 1917-18 ポンピドー・センター パリ

暗いわけでもなく、明るくもない、鈍く深い児玉靖枝の絵画の輝き。
マチスの「窓辺のヴァイオリニスト」と同じように、絵画と私の両方に「存る」の静かな動きを立ちのぼらせるのだった。
(はやみ たかし)
※gallery21yo+jの児玉靖枝「深韻ー風の棲処」展(2012104日~1028日)から取材しました。