その場面を現れださせているのは誰なのか
エル・グレコ「福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り」
油彩 カンヴァス 1595年ごろ
サンタ・レオカディア・イ・サン・ロマン教区聖堂 トレド
「無原罪のお宿り」の絵画でもっともよく知られているのは、17世紀スペインのムリリヨの「無原罪のお宿り」(2)だろう。現在、東京都美術館で開催中の「エル・グレコ」展にも2点展示されている(1)。
2 ムリリヨ 無原罪のお宿り
「無原罪のお宿り」は聖アンナの胎内に無原罪で宿った聖母マリアが主役だ。聖母マリアは常に少女の姿で描かれる。
新約聖書のなかの「黙示録」に、聖ヨハネが「無原罪のお宿り」の聖母マリアを幻視する記述がある。これをもとに描かれている。聖ヨハネや人々が聖母マリアを目撃している場面として描かれる。
同じかたちでゴーギャンは信心深いブルターニュの女性の幻視に現れる十字架の黄色いキリストを描いている(3)。
3 ゴーギャン 黄色いキリスト
聖母マリアやイエスの出現は目撃者によって保証されることになる。
フェルメールの「画家のアトリエ(絵画の寓意)」(4)では、絵画の寓意であるかのような青い服の少女を、少女を描いている画家が目撃している。
目撃しているばかりか、少女(絵画)の存在を証明するかのように少女を絵画に描いている。少女と絵画は入れ子状の構造ではないだろうか。
4 フェルメール 画家のアトリエ(絵画の寓意)
こうした目撃者とか証人としての見る人は、すでに古くアイルランドでつくられたローマから来た聖書の手写本の挿絵にも現れている。
「リンディスファーンの福音書」のなかの「マタイの福音書」の扉の頁(5)。神の福音を記述する聖マタイをカーテンの陰から目撃している男がいる。
聖マタイが神の福音を受信していることを第三者が目撃し、証人の役割を果たしている。
5 リンディスファーンの福音書 「マタイの福音書」の扉
よく知られているブリュージュのヤン・ヴァン・エイクの「アルノルフィに夫妻の肖像」も同じだ。
絵画の中央の丸い凸面鏡(6)。後姿のアルノルフィニ夫妻を入り口で目撃している二人。細密に描かれた二人のうちの一人は、この場面を見て描いたヤン・ヴァン・エイクだ。
ヤン・ヴァン・エイクはアルノルフィニ夫妻の結婚の目撃者、証人なのである。
この絵画は結婚証明書ということになる。
6 ヤン・ヴァン・エイク「アルノルフィに夫妻の肖像」部分 鏡
では、ロンドンのナショナルギャラリーにある、17世紀、スペインのベラスケスの「鏡の前のヴィーナス」(7)の目撃者はだれなのだろうか。
ヴィーナスは鏡に映った自分の顔を見ているかのようだ。
そうなのだろうか。
鏡のなかにヴィーナスの顔を見ているのはヴィーナス自身ではない。この場面を見ている者だ。この絵を描いたベラスケス以外にはいない。
背を向けたヴィーナスの背中越しにベラスケスは、鏡のなかにヴィーナスの顔を見ている。
逆に、ヴィーナスは鏡のなかにベラスケスの顔を見ている。
ベッドに横たわり、キューピッドのさしだす鏡を見ているヴィーナスを、そこにそのように存在させているのは、この場面を見て描いているベラスケスなのだ。
そして、絵画の前でベラスケスの位置にいるのは、絵画の前のどこにいようとも、この絵を見ている観客としてのわたしなのである。
7 ベラスケス 鏡の前のヴィーナス
もう一つ、ニューヨーク近代美術館のピカソ「アヴィニヨンの娘たち」(8)の娼婦たちを存在させているのは、だれなのだろうか。
横向きであろうと、後ろ向きであろうと、じっとこちらを凝視する娘たち。
娘たちの眼差しは、この娼館を訪れて、下の三角に突き出したテーブルのこちら側に座っているはずの客の眼差しと切り結んでいる。
だが、同時に、絵画の前に立つ観客であるわたしと娘たちは目があう。
としたら、これらの娘たちの存在を目撃し存在を証明しているのは、絵を見ている観客としてのわたしなのである。
8 ピカソ アヴィニヨンの娘たち
紙とはさみを使ったコラージュによるピカソの「ギター、新聞、ワイングラス」(9)はペインティングが欠如した絵画だ。
青い長方形と木目の模様の紙、下の黒い円弧状の形、そして白い円形。これらをギターだと思うかどうかは観客のわたしに委ねられている(ギターだと思わないこともある)。
わたしは、右上の楽譜、白い紙分析的キュビスムの方法で描かれたグラス、下方の新聞などと関係ずけて、テーブルの上の、これらがギターと一緒に置かれていると「幻視」した(幻視しなくてもよい)。
背景の斜め格子と花柄模様は壁紙。
部屋の中のテーブルの上にギターや楽譜などが置かれてあるのだと理解することができる(理解しなくてもかまわない)。
そうだとしたら、白い円と青い紙、木目の紙、黒い円弧状の紙、そしてワイングラスのデッサンに囲まれた斜め格子に花柄模様の部分は、実に、三つのものを表している。ギターの胴体、テーブル、部屋の壁。
イメージの<LA
BATAILLE S’EST ENGAGE=戦いが始まった>のだ。
この戦いは幻視力や想像力、あるいは妄想力の<JOU(JEU)=遊戯>でしかない。
戦いを始めさせるのも終わらせるのも観客であるわたしなのである。
9 ピカソ「ギター、新聞、ワイングラス」
すべての絵画はわたしの前に差し出されている。
だが、それを現れださせることができるのは、絵画を見ているわたしだけなのではないだろうか。
(はやみ たかし)
※エル・グレコ「福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り」は「エル・グレコ」展(東京都美術館、2013年1月19日~4月7日)から取材しました。
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!