ペーテル・パウル・ルーベンス「キリスト哀悼」
油彩 カンヴァス 151×254cm
「リヒテンシュタイン 華麗なる公爵家の秘宝」展
東京 国立新美術館 2012年10月3日~12月23日
※掲載画像は原作を水平反転しています
「楕円幻想」は花田清輝の名エッセイだ。同じタイトルをつけた池田龍雄の展覧会を、東京、銀座の青木画廊で見たのは30数年前のことになる。
篠山紀信の「写真力」展で巨大なサイズの「山口百恵」を見ていたとき、なぜか「楕円幻想」が目の前をよぎって、少し前にみたばかりの「リヒテンシュタイン 華麗なる公爵家の秘宝」展に展示されていたルーベンスの「キリスト哀悼」へと向かっていった。
そして、さらに、ルーブル美術館に並べられたルーベンスの「マリー・ド・メディシスの生涯」を想いおこさないわけにはいかなかった。
どうしてなのだろうか。
篠山紀信の写真の圧倒的な臨場感と感覚的なリアリティ。いったい、これは・・・!? 同じ疑問と感嘆を、ルーブル美術館のルーベンスの絵画に抱いたのだ。
二つの焦点間の距離によって楕円はさまざまな形に変貌する。円は二つの焦点が一つに重なって固定された状態の特殊な楕円ではないだろうか。
円と違って、楕円はつねに流動している。
篠山紀信の写真の臨場感と感覚的なリアリティは、二つの焦点間の距離という平面上での空間の伸縮を感じさせることからもたらされている。山口百恵の体は対角線を基軸にして伸縮を繰り返す。
さらにもう一つの焦点の伸縮がある。カメラのレンズの焦点距離だ。手前と奥とで伸縮運動を起こしているかのようだ。山口百恵の上方の明るい水面は、日射しを浴びた山口百恵の片方の胸と肩とともに手前に迫ってくる。そうかと思うと、次の瞬間には水面に沈んでいく。
伸縮している。波うち流動しているのだ。息づき、脈打っているのである。ドラマティックではないか。
ルーベンスの「キリスト哀悼」も同じような見え方をする。だから迫りくる迫力がある。感覚的なざわめきを私にもたらすのだ。楕円の力だと言ってみたい。
そういえば、池田龍雄の「網元」にはこうした楕円力的な伸縮と流動があったことを、今、想いだした。
(はやみ たかし)
※「THE PEOPLE by KISHIN 篠山紀信 写真力」展 東京 オペラシティ アートギャラリー 2012年10月3日~12月24日