2017年3月10日金曜日

見えることの限界 —馬場健太郎、ティル・ナ・ノーグギャラリー個展

「見ることの誘惑」第五十二回 早見 堯

見えることの限界

 馬場健太郎「ハルガスミ」
  2015年 58×58cm 油彩 エマルジョンキャンバス
  ティル・ナ・ノーグギャラリー 2016年10月の個展で展示 東京

              馬場健太郎  ハルガスミ  2015

画面の周縁から描く。だから、焦点をあわせる中心ができない。
これが、馬場健太郎の絵画に一貫して見られる特徴だ。
キャリアの最初のころの「FEFE NAA EFE」(1994年)では、多数多様な色彩の線が縦横に交差している。
線が繰り返されて画面全体が一つになろうとしている。見る者に焦点をあわさせない。とらえどころがないのだ。だから、絵画が見る者の視野を一挙におおい尽くしてしまう。

                                       馬場健太郎 FEFE NAA EFE 1994

2年後の絵画では、1994年の「三つの窓」でオールオーヴァーに展開されている線に秩序をあたえていたような矩形はなくなる。
色彩が融合し、線が消えた初期の秀作「黄色い太陽」が描かれたのは1996年だ。

              馬場健太郎 三つの窓 1994

                 馬場健太郎 黄色い太陽 1996年

2年間で、色彩と線の絵画から、色彩や形態を判別できない色彩によるフィールド(ここでつかわれている「フィールド」は、三次元的な奥行きのなかで「図」が「地」から分節されて現れる「形」とは異なる「領域」や「場」を意味している)の絵画へと移行した。
線を画面の横に並べて繰り返して描くことから、画面の上層と下層に重ねて描くことへの展開でもあった。
作家としての絵画の独自性が、急速にできあがっていることに驚かされる。
それにともなって、とらえどころのなさや、見る者の視野をおおい尽くす特徴は、さらに強くなっている。

色彩と形態は絵画をかたちづくる基本だ。画家は描くことによって色彩と形態をコントロールする。色彩と形態は絵画の基本であると同時に、目に見えるものの基本でもあるからだ。
しかし、馬場健太郎は、区別されれば異なる色彩として認識できる色彩を融合させ、形態に展開するはずの線を消してしまう。
2015年の正方形の絵画「ハルガスミ」が典型的だ。色彩と形態は混沌として、とりとめのない深みが見る者の視野をおおう。
そこに、かすかな燦めきや、おぼろげな光の漂いが現れる。融合させられたり消されたりした色彩や形態の亡霊だろうか。
1996年の「黄色い太陽」と20年後の「ハルガスミ」とを比較してみるのはとても興味深い。

けれども、画面を見渡していると、油絵の具の盛り上がりやかすれなどの、いわゆる油絵の具の粘稠性が生み出す物質感を感じさせられる。
こうした物質感は、今見ているこの画面が油絵の具という「物質」で「描かれた」のだということをあらためて想いおこさせるのだ。

現在、東京の国立新美術館で開催中の草間彌生の1960年の正方形の画面の秀作「パシフィック・オーシャン」(東京都美術館収蔵)では、離れて見たときのオールオーヴァーに繰り返されている網目は、近づくと油絵の具のストロークがつくりだす絵の具の盛り上がりやかすれをいろいろなところに見いだすことができる。
一様に平面的に繰り返されるように見える網目は、同時に絵の具という物質をコントロールしながら曲線を描いているときの草間彌生の息づかいと情動などの臨場感を感じさせられるのである(草間彌「わが永遠の魂」展 国立新美術館)。

ジャクソン・ポロックのオールオーヴァーの時期の絵画でも同じだ。
ポロックはパブロ・ピカソの1920年代のシュルレアリスムの力動感あふれるオートマティスムをとりいれた絵画を、ピカソの分析的キュビスムの時期の絵画の直線を曲線に変えて、1947年から1950年までのオールオーヴァーの時期の絵画を制作したのだ。
だから、オールオーヴァーの絵画には、同時に、それとは異質な、シュルレリスム風な混沌と分析的キュビスム風な秩序とが重なって交錯している。
丸山圭三郎が解釈し直してからよく使われるようになった言葉をもちだせば、カオスモス(カオス=混沌、コスモス=秩序)の運動ということになる。
異質なものの現在進行形の葛藤の現場、それが、ポロックの絵画なのだと思う。わたしは、そうしたところに、画家の切迫した臨場感を感じるのだ。


                        ジャクソン・ポロック 
                                                          五尋の深み 1947  

馬場健太郎の絵画も、草間彌生やポロックと同じような制作現場の臨場感とカオスモスの運動を感じさせられる。
馬場自身も描いているさなかの油絵の具の物質感にいまさらのように魅せられたことを、制作中の「pieta」(2016年 油彩 エマルジョンキャンバス 90×90cm)の細部を写した画像とともに述べたことがある。
ちなみに、この「pieta」は、海景を描いたターナーやホイッスラーを想いおこさせる。

            馬場健太郎 「pieta」 右上の部分 2016

馬場健太郎の最近のすぐれた絵画のなかでも、とりわけ高い成果をうみだしている「ハルガスミ」は、固く閉じた冬の大地が緩やかに呼吸を取り戻す初春のかすかな吐息を感じさせないだろうか。
おぼろに輝く光が、物質である大地、すなわち油絵の具でおおわれた画面の奥から染み出し、立ち上ってくる気配がとらえられているように思えてくる。
ちょうど、今日、3月10日あたりの木の芽時の雰囲気だ。翳りを帯びていながら、はなやごうとする気分の予兆ではないだろうか。
だから、画面を見ていると自分の外側に向かう視線と、自分の内側に内向していく視線との葛藤が起こる。わたしは、カオスモスの運動の渦中に巻きこまれていく。

              馬場健太郎  ハルガスミ  2015 

こうした馬場健太郎の絵画がもたらす経験は、そこにあるなにかを見ているというよりも、目を閉じて瞼の裏の暗闇を見ている感じがする。
目を閉じて、しかも目を凝らすと、瞼の裏の暗闇は、わたしの体中に浸透して広がりながらわたしを包みこむ。
小説「死霊」を書いた作家・評論家の埴谷雄高(はにや ゆたか)は、第二次世界大戦のある時期、牢獄に拘束されていたときに、目を閉じて、閉じた目の瞼を上から押さえ、燦めくものを眺めて遊んでいたと書いている。
身体は束縛されていても意識や想像は自由だ。吉本隆明は、無から生じるそうしたイメージを「純粋視覚」と名づけた(未来社から出版された埴谷雄高評論集の吉本隆明の解説)。

馬場健太郎の絵画がもたらす経験は、吉本隆明が名づけた「純粋視覚」の経験に似ていないだろうか。
いま、ここで、絵画を見ている。にもかかわらず、それとは異なる自分の想像の世界に浸っているような気分になる。とりとめのない画面の深みから現れるかすかな燦めきやおぼろげな光の漂いは、未来の予兆とか過去の記憶の再生だと思えてくる。
対象に視線を注いでいるときは、想像力は働かない。対象から目をそらしたときにイメージは現れる。哲学者サルトルのよく知られた想像力の考察だ。

馬場健太郎の絵画は、目をそらさないで、いま、ここで、絵画を見ているにもかかわらず、「いま」でもなく、「ここ」でもないイメージが、「いま」と「ここ」に重なる。見えている絵画が限りなく見えなくなってしまう。
見えることの限界で、予兆や記憶に似たなにかが出現するのだ。見えることの限界が突破されると見えなくなる。
そうすると、見えることで成り立っている絵画も消滅せざるをえない。馬場健太郎の絵画は見えることと見えないこととのギリギリの場所で成立している。

2016年秋のティル・ナ・ノーグギャラリーでの展覧会のタイトル「Scences Beyond」は「向こう側の光景」といった意味だ。
色彩と形態が見える「こちら側」のコスモスとしての光景を越えた、色彩や形態が崩壊して見えなくなった「向こう側」のカオスなのかも知れない。
(はやみ たかし)



*ティル・ナ・ノーグギャラリーでの馬場健太郎「Scences Beyond」展、会場風景。中央の壁に展示されているのが「pieta」、その右、奥の部屋に掛けられているのが「ハルガスミ」。


*この文は、東京、世田谷区のティル・ナ・ノーグギャラリーで2016年10月8日から10月30日に開催された馬場健太郎「Scences Beyond」展に際して書いたわたしのテキストをもとにして、一部分書き直したものです。

2017年2月9日木曜日

田中信太郎「無域」ー非在の物質

見ることの誘惑 第五十一回
「非在の物質」
 田中信太郎「無域」(without bounds) 1999年 
          真鍮 260×250×20cm 東京国立近代美術館所蔵

                 田中信太郎「無域」

田中信太郎の「無域」は東京、銀座の東京画廊で1999年に初めて展示された。田中自身の「マイナー・アート」とならぶ秀作だとわたしは思う。
2016年12月に東京国立近代美術館の常設展示で、三木富雄の「耳」を見た直後で、しかも、そこに展示されているとは思わなかったからなのだろうか、見た瞬間、ハッとなってしまった。
「無域」は壁に置かれた十字形。十字形の垂直軸は、展示場の壁に開けられた出入り口と平行している。十字形の水平軸は床に平行している。

遠くからだと何の変哲もない十字形に見える。
物質感を感じさせない。垂直と水平の方向だけを指示している。だから、十字形そのもの以上に、それに平行した出入り口や床を含めた背後の壁の広がりをより強く感じさせられることになる。
言い換えると、十字形はそこにそのように存在しているのに、物質感が削減されて抽象化された方向を指し示すエレメントとしての線になっているといってもいいだろう。
だから広がる壁がより強く感じられる。前景の十字形は仮象の線で、背景の壁が現実の空間になる。

                田中信太郎「無域」

近づいてよく見ると印象が違ってくる。
十字形の軸の太さが違う。物質だからだ、ということがわかる。
十字形の垂直軸は床に接している。逆に言うと、壁を背にして床から立ち上がっているのだ。だから、やはり物質なのだ。
物質感のない十字形というイメージは遠のく。床に置かれた物質なんだと、あらためて実感させられるばかりだ。
ただ、ここでも、十字形は壁や床を空間として感じさせる「引き立て役」のままだ。

              田中信太郎「無域」 細部

さらに注意して、細部を見てみる。
水平軸は丸い断面の細い円柱、垂直軸の上は三角の断面の三角柱、そして下は正方形の四角柱。
クロスの中心部がわかりやすい。
円柱が四角柱を突き抜け、三角柱は四角柱に突き込まれている。物質相互の接合の状態だ。
しかし、わたしたちは、円柱と三角柱、四角柱を、◯、△、□だと、それぞれの切り口に即して見てしまう。そうすると、この三つの柱は抽象的な◯、△、□としてイメージされることになる。
十字形の交差部では、いかにも金属という物質の感じが強い。
にもかかわらず、非物質的な◯、△、□とイメージしてしまうと、物質は遠のいて、物質が抽象化された非物質的なエレメントとしての◯、△、□が、わたしの視野に浮上してくる。「寄る辺なき身体(物)」といった風情ではないか。
再び、十字形の交差部に目をやると、接合状態を通して、金属という物がわたしの視野を占める。エレメント◯、△、□は遠のいていく。身体(物)を失った蜃気楼のような◯、△、□だ。


◯、△、□は、20世紀に発明された抽象の定番だ。具体的な物質の形を還元し、抽象化してエレメントにすると◯、△、□になる(*注1)。
周知のように、抽象絵画の創始者ピート・モンドリアンは、具体的な自然を、色に関してはエレメントの3原色、赤、黄、青に還元し、形では垂直と水平の二つの方向のエレメントに還元した。
つまり、自然の物質を非物質的なエレメントとしてとらえ直したのだった。

なぜそうしたのか。非物質的になればなるほど「精神性」に近づくからだ。わたしたちが生きている世界の中で、見たり、聞いたり、触ったりなどの五感で感覚できるもののすべては物質だ。
20世紀の抽象絵画がめざしたのは、感覚できる物の世界を越えた「精神性」だったのである。
物質を越える精神の勝利、20世紀のキャッチコピーだ。同時に「人間性」の高揚を意味していた。

ピート・モンドリアン ニューヨークシティ1 1941年
油彩、着色した紙 未完成

「精神性」のもっともピュアな状態が「神」。だから「神」は見たり、聞いたり、触ったりなどの五感では感覚できない。見えないのだ。
逆に言うと、「見えない」により近い方がより「精神性」に近いということだ。
しかし、美術作品は見えなくては美術作品として通用しない。美術家のジレンマはここに集約されていた。
見えなくなれば「精神性」により近づく。でも、美術作品は「見える」ことが前提条件なので、見えなくなると美術作品ではなくなってしまう。
感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイドから自由だった20世紀のアーティストはほとんどいない。感覚性v.s.精神性をもっとわかりやすくいいかえると、視覚性v.s.概念性ということになる。
物質をもとにして、この世の物質の中でもっとも物質から遠い非物質的な金をつくりだそうとした錬金術を想いださないわけにはいかない。


よく知られているように、視覚性v.s.概念性に解答を与えたのは1960年代のジョセフ・コスースのコンセプチュアル・アートだった。視覚性は物質のあり方に左右される。
しかし、たとえば「5」という数字は絵の具で描いても、木で構成しても、いつも指示しているのは「5」だ。
視覚性の違いをつくりだす物質はメディウム(媒体)。
ジョセフ・コスースの「三つの椅子、一つの椅子」は、メディウムは写真、物、ことばと、それぞれ違っていても、指示する概念はただ一つの「椅子」だ。
こうして、コスースは物質によるメディウムと、そのメディウムがつくりだす「見てくれ=視覚性」の違いを越えたところに概念を提示したのだった。
「見てくれ=視覚性」は「見る」で、「概念」は「わかる」ということになる。
わたしは、ここで、<感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイド>が克服されたと考えている。

それ以後、現在にいたるまで、感覚性と精神性にかかわっていた「芸術」は崇高な場所から移動し、日常化して「アート」ということばで理解されるようになったのではないだろうか。


                                    ジョセフ・コスース 三つの椅子、一つの椅子

田中信太郎の「無域」では、こうした、実在の物質がそこにあることが明らかになっていながら、非物質的で抽象的なエレメントが現れてくるのを認識しないわけにはいかない。
円柱と三角柱、四角柱は東京国立近代美術館のこの壁にある。でも、それらが円柱と三角柱、四角柱に見えているときには十字形は見えてこない。円柱と三角柱、四角柱が◯、△、□やクロスする線に変貌した時に十字形が見えてくる。
壁と床に実在している円柱と三角柱、四角柱という物質は、自分の姿を遠のかせ消していくにしたがって、◯、△、□や十字形というエレメントが現れてくる。


田中信太郎 無域

物質である円柱と三角柱、四角柱は壁と床に場所を占めている。
けれども、◯、△、□や十字形というエレメントは、具体的な壁と床から遊離して、非在の空間に存在している。
おそらく、田中信太郎はこうした事態を「無域」と名づけたのに違いない。
<感覚可能な物質性と、精神性を実現する非物質性。物質性v.s.非物質性、感覚性v.s.精神性というダブルバイド>から遠く離れていることがわかる。

こういう言い方はどうだろうか。
「十字形」ということばは、発音された瞬間、そこにはない非在の「十字形」を降霊術のように眼前に現れ出させる。
田中信太郎の「無域」は、逆に、「十字形」が円柱と三角柱、四角柱をそこにはないものとして非在にするのである。

「無域」のすぐ後の2000年、自然から抽象したはずの◯、△、□を、もう一度、田中信太郎が、自然のなかに解放したのが「越後妻有大地の芸術祭」の機会に、松代駅から川を越えた小山の途中の棚田に設置されている「◯△□の塔と赤トンボ」(*注2)だ。
ホワイトキューブの美術館という場所で生き生きとしているのが「無域」だとしたら、「◯△□の塔と赤トンボ」はサイトスペシフィックな場所で輝いている。
「◯△□の塔と赤トンボ」は、物質としては錆びていきながら、抽象的なエレメントとしては、いまもなお大空で輝きつづけているだろう。

すぐそばの河口龍夫の、大地と空はくっついているのだということを実感させる「関係・大地—北斗七星」の大地=天空の鉄板の「草=星」と同じように。

               田中信太郎 ◯△□の塔と赤トンボ 2000年

            田中信太郎 ◯△□の塔と赤トンボ *遠景

             「◯△□の塔と赤トンボ」地点から松代駅方面を見る

              河口龍夫の「関係・大地—北斗七星」

(はやみ たかし)

*注1)20世紀抽象の定番、◯△□は、セザンヌの球、円錐、円筒とはほとんど関係がないことは注意しておきたい。セザンヌの球、円錐、円筒は、還元的なエレメンタルな立体のことではない。物を見るにときには、視野の中心、つまり目にもっとも近い頂点ができて、その頂点から曲面状に物が遠のいていく。これは、物が立方体だろうが、壁や床のような平面であろうが同じ。球、円錐、円筒はすべて曲面状だ。お椀を伏せた状態をイメージしてみたい。平らな床もある部分を視野に入れるとその中心が頂点になって周りは同心円を描くように遠のいていく。だから、セザンヌの絵画はゴツゴツ、デコボコしているように感じられる。絵画のなかにいくつも頂点があるからだ。だから、セザンヌの球、円錐、円筒は、物や風景の見え方なのではないだろうか。

*注2)田中信太郎 「◯△□の塔と赤トンボ」2000年 鉄、ステンレス、ウレタン塗装 1600×500×30cm 越後妻有りトリエンナーレ 十日町市

*「無域」は東京国立近代美術館常設展示から取材しました。
*「越後妻有大地の芸術祭」の画像は現地で撮影した写真を使用しました。



2017年1月10日火曜日

山田正亮 光抱く絵画 「endless山田正亮の絵画」展

「見ることの誘惑」第五十回
「光を抱く絵画」
山田正亮 「Work C-273」1966年 162×130cm 埼玉県立近代美術館所蔵

              山田正亮 「Work C-273」1966年

ペイントストロークの微妙で多様な痕跡が残されたホワイトの表面。
空漠としたホワイトがかすかに波立っている。眼の中で生産される色彩を描いたクロード・モネやアルフレッド・シスレーは好んで雪原を描いた。ホワイトは太陽光の下で多様な色彩を生みだすからだ。モネの「かささぎ」では、ホワイトの雪原にモネの眼がとらえた網膜現象のさまざまな色彩が実際に定着されている。

             クロード・モネ かささぎ 1869年

しかし、山田正亮の「Work C-273」では、見る位置とライトの具合で、ホワイトが光を反射して、ときおり、そこには定着されていない色彩がきらめくばかりだ。描かれているのはホワイトだけ。ほかの色彩は文字通りの網膜現象として、見る者の眼のなかにだけ出現する。

画面の中央部分には眼差しを集中させる形や色がない。
だから、ホワイトの表面は上下左右の画面のエッジに広がっていく。四辺のエッジではグレーの下地がわずかに見える。ムラムラした不規則なホワイトのフィールドのエッジと、それとは異質な画面の規則的な直線の縁。二つが接近と反発でせめぎ合う。
せめぎ合いによって、画面の縁はキャンヴァスという「物体」の縁ではなく、ホワイトのフィールドに拮抗する「絵画」としての形になっている。
マーク・ロスコやロバート・ライマンの絵画と比較すればわかりやすい。

キャンヴァスという矩形の表面は、一方で、ホワイトが描かれることで、ホワイトとは違う色彩をうみだす。ホワイトそれ自体であることで、それ自体の状態からそれ自体とは異なる色彩の状態に変貌する。
もう一方では、矩形の縁は、描かれたホワイトと絡み合って、絵画としての形になる。「物」が「絵」に変身する。

山田正亮は、絵画を、作者の抒情的的反応の道具や、感情移入の奴隷にすることを拒絶する。作者から突き放し距離をおいて、絵画の中から自発的に現れてくるものをとらえようとした。「自己表現の絵画」を拒否して、「客体としての絵画」を掘り起こしたということになる。
あるいは、こんな言い方もできるかもしれない。山田は、絵画という子どもに親(作者)のエゴをおしつけたり、過干渉したりせずに、その子なりの、そして、その子にしかできないオンリーワンの能力を自分で発揮できるように育てようとした。絵画自体の自発的な表現を育む。それが絵画の自律性だ。山田正亮はそう確信していた。

別なポジションから見てみると、これは、突き放しの放任主義ともいえる。だから、絵画は自然の「物」の状態、すなわち「客体」に近づく。生れたままの状態を大切にしながら育んだのだ。その結果、作者の表現性(言いたいこと)は後退して、絵画自体の発言力が増したのである。
こうした事態をアメリカの1960年代のミニマル・アートの作品に見いだしたアメリカの評論家マイケル・フリードは、ミニマル・アートをリテラリスト(文字通りの)・アートと名づけて、それの特徴は「劇場性theatricality」だと指摘したのだった。「劇場性theatricality」とは、普遍的な表現をもたない芸術がもたらす効果だと断罪した。もう半世紀前の出来事だ。そこでは、作品の自律性は逆に失われていく。
フリードが、ここから、「theatricality」に対立する概念としての「没入absorption」を駆使して、ギュスターフ・クールベなどの絵画を読み解いたのはよく知られている。

「Work C-273」制作で、山田が自らに課した課題はこうだったのだと思う。
課題=与えられた矩形の平面に、絵の具で描いて、平面が持っている自発的な表現性を引きだして絵画にする。
課題制作の条件=形体と色彩をエコノミーにしたミニマリストな方法を使う。
到達目標=Less is more。見る者の想像力に応じてイメージ豊かな「劇場」になるような絵画。
(はやみ たかし)

*このテキストは次の展覧会から取材しました。
「endless 山田正亮の絵画展」東京国立近代美術館美術館 2016年12月6日〜2017年2月12日
*早見堯は山田正亮の絵画について「東京国立近代美術館「現代の眼」16.12-17.01」に寄稿しています。参照画像平体文枝「告げる鳥」

*早見堯の評論は次の雑誌でも読むことができます。
「ART TRACE PRESS NO.4」 2016年11月発行、評論6点の特集。
「ART TRACE PRESS NO.2」 2014年、「山田正亮特集」