2014年3月8日土曜日

風に包まれ、水に沈むー児玉靖枝「わたつみ十一」

「見ることの誘惑」第二十八回

児玉靖枝「わたつみ十一」
2010年 油彩 キャンバス 112×162cm

風に包まれ、水に沈む


 児玉靖枝「わたつみ十一」
                  2010年 油彩 キャンバス 112×162cm


児玉靖枝の「ambient light-goldfish」を横浜で見たのは、もう10年前のことだ。
大きく深くたゆたう水面と、輝きと翳りを帯びた金魚。
こんなにも美しい水と金魚に比較できるのは、マティスの「アトリエ、金魚鉢」以外にはないだろう、と、そのとき思った。

「アトリエ、金魚鉢」での深いブルーの水とルージュの金魚。
それは金魚鉢から溢れだして、金魚鉢が置かれているパリのサン・ミシェル河岸にあるマティスのアトリエや、窓の外のセーヌ河やサン・ミシェル橋、シテ島にまで染みわたっている。
画面全体に深くたたえられた水と、いたるところでひらひらと輝く金魚。
絵の前に立っているわたしを金魚に変容させて、静かに盛り上がってくる水がわたしを包みこんでしまう気がした。

「ambient light-goldfish」の水と金魚は、わたしのなかでマティスの水と金魚に重なったのだった。
「わたつみ十一」は「ambient light-goldfish」の展開でもあるようだ。
2010年、葉山の海を眼前にしたときの経験がもとだといわれている。
損保ジャパン東郷青児美術館で開催された展覧会「クインテットー五つの星の作家たち」の会場で、3点の「わたつみ」シリーズの前にたたずんだ。
10年前に見た「ambient light-goldfish」が「わたつみ」と一緒にわたしを包みこむかのような錯覚におそわれた。

同時に、茨木のり子の、よく知られた「根府川の海」の一節が、海面の輝きのように光ったり消えたりしていた。

丈高いカンナの花よ
おだやかな相模の海よ
沖に光る波のひとひら
ああそんな輝きに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月

「根府川の海」は戦争によって青春を奪われた哀しみと、女子としてのひそやかな決意とが伝わってくる。
根府川の海と自分が置かれている社会の状況という目に見える厳しい現実を、そうだとも気づかないまま感情を高揚させていた少女。
記憶のなかで、失われたもの、見えなかったものが甦る。
それから半世紀以上経た東日本大震災の前年、同じ相模の海を根府川の対岸にあたる葉山から見た経験が、児玉靖枝が「わたつみ」を描くモチベーションになっているらしい。

「わたつみ」はフリーズ状にストロークが連ねられている。
ストロークが重ねられた画面の表面と、それらが生みだす深さや暗い輝きとが共鳴している。
深さと暗い輝きは、人の無数の記憶と声を湛えているかのようだ。
それ自体では無秩序なカオスの海は、ストロークによって秩序づけられたコスモスに変貌する。
あるいは、逆に、コスモスが解体されて混沌としたカオスに逆戻りする。
そういうカオスモスの運動を感じないわけにはいかない。
あるときには、海面を撫でる風に包まれて、記憶が海に沈みこんでいく。
別な瞬間には海から湧きおこる記憶が海面に風を生みだす。

「根府川の海」の赤いカンナは「光る波のひとひら」と共鳴して、わたしのなかで「ambient light-goldfish」の金魚に連動していく。
「光る波のひとひら」は、さらに、目の前の壁にかけられている「わたつみ」へと波紋のように広がる。

風を帯びて深く呼吸する「わたつみ」の海。
深い呼吸、息づき、鼓動する空間。
中国とそれの影響を受けた日本の絵画でめざされてきたのは「気韻生動」だ。「気韻生動」は簡単に言えば、世界の万物のエロティックな生の波動である。
児玉靖枝の「わだつみ」に限らず、「深韻ー雨」シリーズや「深韻ー風の棲処(銀杏)二十六」などを特徴づけている雰囲気は、それにとても近くはないだろうか。


「深韻ー雨二」 2010年

                     「深韻ー風の棲処(銀杏)二十六」  2012年



「わたつみ」の前で、わたし自身が「光る波のひとひら」や「赤いカンナ」、そして金魚になってしまうかのようにも感じられた。
現実の世界で、水は人を包みこむ。
「わたつみ」からあふれる深い陰翳を帯びた色彩の光は、わたしがそこに一人で立っていることを確信させる。
同時に、わたしを包みこんで、世界の果てまでわたしの体がつながっていく気持ちにさせる。
高揚した感情的な経験だと思う。
空を見あげたときの気分の高揚にも、どこか、似ている。

(はやみ たかし)

※次の展覧会から取材しました。


「クインテットー五つの星の作家たち」展 損保ジャパン東郷青児美術館 2014年1月11日~2月16日

2014年2月8日土曜日

「あいだ」だけ、または「あいだ」なし<篠原有司男―「つくる」こと、「見る」こと>

「見ることの誘惑」第二十七回

「あいだ」だけ、または「あいだ」なし-その1

      篠原有司男
      「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」
      1964年 
      蛍光塗料、ラッカー、カンヴァス、石膏、ビン(コカコーラ)
      横浜美術館




                  
 * 
「中原介美術批評 選集」刊行を機会に、「中原佑介を読む」と題した連続講演会が開催されている。
わたしは、1月14日、横浜のバンク・アートで「中原介美術批評 選集」第六巻から「現代彫刻」の中の一テキスト「組み合わせと複合」を取りあげて話をした(注)。

1960年代美術批評の問題群の一つは、宮川淳が主張する「表現過程の自立」だった。
もう一つは、ミニマル・アートに関してアレン・リーパなどの主張する作品についての知覚的経験や、ミニマル・アートがもたらす作品の経験を否定的とらえたマイケル・フリードの「演劇性」だった。こちらを、わたしは「知覚過程の自立」と名づけておきたい。

「表現過程の自立」は作者と作品との「あいだ」、つまり「つくる」ことの問題。「知覚過程の自立」は作品と観客との「あいだ」、すなわち「見る」ことに関わることがらだ。
わたしは「中原介を読む」で、中原介のミニマル・アートやアース・ワークなどを中心に論じた「「組み合わせと複合」を、「表現過程の自立」と「知覚過程の自立」と絡めて読み解こうとしたのだった。

わたしの読解は、「美術手帖」2月号(2月17日発行)で、島田浩太郎さんによってたくみにまとめられている。

バンク・アートでの講演の直前、横浜美術館を訪れた。
そこで期せずして、篠原有司男「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」を見ることができた。以前とはわたしの感じ方が違っていて、とても興味深かった。
篠原有司男のそれは、「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」論議が進行中の時期につくられた作品だ。
「反芸術」論争、ポップアートに関連した「芸術の日常化」をめぐる議論なども、「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」と相互に関係しあっている。


 横浜美術館コレクション企画展「ともだちアーティスト 収蔵作品でつづる芸術家の交友関係」(4)
 <後日本とアメリカ、具体とネオダダ>展

わたしが、ここで、数回、断続的に問題にするのは、上記のことを前提にして、次のようなことだ。
篠原有司男「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」を中心に、篠原有司男が自分の「イミテーション・アート」として依拠した、アメリカの本家ネオダダ、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの作品を読みとりなおし、それを再び篠原有司男の作品にフィードバックさせ、同時に「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」を再考してみたい。

 * *
ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」がつくられた1964年、篠原有司男は、新宿の椿近代画廊でのネオ・ダダ・オルガナイザーズの流れをくむ仲間との「オフ・ミューゼアム」展を初めとして、神田の内科画廊での「篠原有司男、初夏をうたう」など、東野芳明によって命名された「反芸術」運動の渦中にいた。
同じ年か翌年あたりか、ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」の系列の「コカコーラ・プラン」がシェル美術賞展で展示されていたのを見た記憶がある。

1964年のシェル美術賞展では、他方では、オプティカル・アート系のネオ・ジェオメトリックの名称を冠したグループのアーティストが台頭していた。
篠原有司男の作品は、先の系列の次が「花魁」シリーズだったと思う。
1965年、高松次郎が「影」で1等賞をえたシェル美術賞では3等になっている。このときの作品が「花魁」だったのではないだろうか。
共に、篠原有司男がイミテーション・アートと自称していた作品だ。
ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」と「花魁」は同じ問題にアプローチしている。

横浜美術館の「ともだちアーティスト(4)戦後日本とアメリカ、具体とネオダダ」の部屋では、篠原有司男のラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」と一緒に、アメリカのロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの作品が展示されていた。
当時、ラウシェンバーグとジョーンズというと、日本の現代美術シーンでは、アヴァンギャルド・アーティストにとって飛びぬけた里程標だった。
イミテーション・アートのころ、篠原有司男はボクシング・ペインティングもやっていた。ボクシング・ペインティングの方が早いのかもしれない。

わたしがボクシング・ペインティングなるものを知ったのは、伝説の編集者大田三吉が短期間刊行した1964年の雑誌「現代美術」誌上でだった。中原祐介の評論を読んでなるほど、と思った記憶がある。中原介の主張がどういうものだったのかは、明確には記憶していない。
「早く、美しく、リズミカルであれ」をモットーとする篠原有司男は、たとえば、今年の「美術手帖」1月号で次のように語っている。
「『早く』は、考えないってことなんだよ。考えちゃうと美的感覚が頭をもたげて、美しいものに憧れたり、それを享受しようとする弱点がでるからさ・・・」

岡本太郎を彷彿とさせなくもないこの発言は、しかし、当時の現代美術での共通した問題意識だった「つくる」とか「描く」ということと深くかかわっている。
中原祐介は1961年に刊行した初めての著書「ナンセンスの美学」でも、「アクション・ペインティング」のジャクソン・ポロックと、「アンフォルメル」のジョルジュ・マチューを比較しながら、「描く」ことについて記している。

 * * *
宮川淳が1964年に「美術手帖」誌上で東野芳明の「反芸術」をめぐって論争したときの、「表現過程の自立」も「つくる」や「描く」に関わったことがらだった。
「表現過程の自立」とは、作者と作品との「あいだ」の問題だ。

他方、作品と観客との「あいだ」の「見る」ことを問題化したのは、同じ1960年代のミニマル・アートだった。
マイケル・フリードはリテラリスト・アート(いわゆるミニマル・アート)を「演劇性(シアトリカリティ)」として否定的に取りあげた。まとまった自立的な空間をもたなくなった作品を前にすると観客の重要さが増す。作品が自立的な不変の表現をもたなければ、作品のもっている表現性から作品を通してそれぞれの観客が受け取る経験へと重点が移動する。これがフリードの「演劇性」のポイントだ。
デイヴィッド・スミスやアンソニー・カロの彫刻を前にすると、いつ、いかなる瞬間にも、作品が完全な姿でたち現れる、と、フリードは「確信」をもって語る。作品のなかに不変の表現があらねばならない。
リテラリスト・アートの作品を前にしたときの「時間の持続」の感覚は、フリードにとっては「演劇性」として否定されるべき経験のあり方だった。だから、スミスやカロは最後のモダニスト彫刻家なのだということになる。

ミニマル・アートに関しては、もう一つ別な立場もある。
フリードの「演劇性」を逆にポジティブな価値としてとらえる、いわば「知覚過程の自立」ともいえるような考え方だ。
作品と観客との「あいだ」の「見る」ことにかかわる問題である。
1960年代はこうした「あいだ」へ関心が深まった時代だった。
「つくる」ことと「見る」こと。メディアやメディウム、媒体や媒介といった単語がキーワードだ。マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」を想いだしておきたい。(つづく)
(はやみ たかし)

(注)中原佑介「現代彫刻」は1965年に角川新書の一つとして刊行された。1982年に美術出版社から同名で再刊されるときに追加されたのが「組み合わせと複合」である。著者も再刊の「あとがき」で危惧しているように、「組み合わせと複合」は他の8編のテキストと並べると唐突な感じはいなめない。そこに評論家中原佑介の成長というか変貌をうかがうことができる。
※この文は1月14日「中原介を読む」講演(バンク・アート)と横浜美術館コレクション企画展「ともだちアーティスト 収蔵作品でつづる芸術家の交友関係(4)戦後日本とアメリカ、具体とネオダダ」から取材しました。


2013年12月10日火曜日

生産する身体  ギュスターヴ・カイユボット「ヨーロッパ橋」


inter−text「見ることの誘惑」第二十六回

ギュスターヴ・カイユボット「ヨーロッパ橋」
1976年 油彩 カンヴァス アソシアシオン・デ・ザミ・デュ・プティ・パレ ジュネーヴ

              
ギュスターヴ・カイユボットの「ヨーロッパ橋」は不思議な絵画だ。
曖昧な表現が多くて謎に満ちていると指摘されてきた。

一見した印象はこんな感じだろうか。
線遠近法による深まっていくパリのウイーン通りに市民や労働者といった、フランス革命と産業技術革命後に誕生した新しい種類の人々が描かれている。散策したりすれ違ったり、眺めたりしている人々。単独で散策する犬も登場している。蒸気機関車とそれがはきだす煙や蒸気。なんといっても、格子状の鉄橋は存在感がある。格子の向こうに別な通りの鉄橋の格子も見える。ウイーン通りの彼方には「近代建築」の建物も現れている。
線遠近法的にとらえられたパリの街は無機質で冷たいようでもあれば、はなやいでいるようでもある。正反対の雰囲気が漂っている。

わたしは、今回、はじめて「ヨーロッパ橋」を見て、ふと、クロード・モネの「アルジャントゥイユの鉄橋」(1874年 フィラデルフィア美術館)を想いださないわけにはいかなかった。


「アルジャントゥイユの鉄橋」は低い視点から川と鉄橋が描かれている。鉄橋には産業技術革命の「生産」や「労働」を象徴する蒸気機関車が煙と蒸気をはきだしている。セーヌ川には「余暇」と「快楽」を象徴するヨット。
蒸気機関車を労働者、ヨットは中産階級だと読み替えてみたい。図式的に単純化すると、労働者は物品を生産し、中産階級は快楽を生産する。
身体というポジションから言い換えれば、労働の「身体」、快楽の「身体」だ。ジョナサン・クレーリーにならって「生産する身体」といっておくことにしたい。

カイユボットは、こうした「生産する身体」を文字通りの人の身体をもちいて表しているのではないだろうか。
鉄橋にもたれてサン・ラザール駅の方を見ている五人。そのうちの三人は橋の下から立ちのぼる煙と蒸気に包まれかけている。そして歩きながら鉄橋の向こうを見ている一人。あわせて六人のうち、四人は当時流行の鍔つきのキャスケットらしい帽子をかぶっている。労働者だと思う。
労働者が見ている鉄橋の右下には、労働する身体の象徴、蒸気機関車が見える。労働者は、自分たちの分身を眺めていることになる、・・・、というのは言い過ぎだろうか。労働者は鉄橋の上にいるにもかかわらず、鉄橋の下のサン・ラザール駅の蒸気機関車の社会的な意味の場に所属している。

こちらに歩いてくるシルクハットの人物、それに重なっている後ろの男性は山高帽なのだろうか。いずれも中産階級だ。
シルクハットの男性に絡んでいる女性もいる。二人の関係は判然としない。
口を開いていないのでしゃべっているようには見えないが、明らかに話しかけたり、話しかけられたりといったポーズだ。
意味が宙づりにされたかのようなこの男女二人。マネの「草上の昼食」の男女を思わせないでもない。いずれにしても、かねてから疑問の対象だったようだ。
わたしは、この二人は、ボードレールやベンヤミンの近代都市パリにしばしば登場するフラヌール(遊歩人)が散策しているときの束の間の出会いと別れのもたらす、もしこう言ってよければ、無目的的目的性としての快楽にふけっているのだと考えたい。当然、女性は娼婦ということもありうるだろう。けれども、それは、無目的的目的性、すなわち、自律的な快楽のポジションからはどうでもよいことだ。

カイユボットの「ヨーロッパ橋」とモネの「アルジャントゥイユの鉄橋」の、構図やモチーフの記号的な意味の近似性はあきらかだ。
でも、カイユボットとモネでは、関心はまったく異なっている。
カイユボットは身体が十分に動くことが可能な奥行きと広がりのある空間のなかでの「生産する身体」に関心を集中させている。

印象主義時代のモネは、人の身体にはあまり興味を抱いていない。人は、ポプラや蒸気機関車、ヨットなどと同じような絵画空間を構成するモチーフの一つでしかない。
モネの「ラ・グルヌイエール」では、人も水面のさざ波も似た大きさのタッチに還元されている。

よく知られているカイユボットの「床削り」と、モネの「石炭の積み降ろし」に描かれている労働者の身体と空間との関係を見れば、さらによく理解されるだろう。
カイユボットは親密な室内空間のなかでの人の身振りや関係に焦点をあてている。
モネの絵画では、人は画面全体の光と大気を盛り上げるシルエットにされている。

カイユボットは、いま、ここで、目や感情などによって何ごとかを「生産する身体」そのものを描いている。
モネは自分の「目」という身体で生産された光景を描く。モネ自身が「生産する身体」なのである。





今回のブリヂストン美術館での展覧会で展示されていた、「ヨーロッパ橋」と並ぶ、<パースペクティブの中の19世紀ヨーロッパの首都パリの人々>などと言ってみたくなるような「パリの通り、雨」、「建物のペンキ塗り」も、「ヨーロッパ橋」と同じように線遠近法的な深まる空間のなかで、身体を動かして、活動している人物が配置されている。




クロード・モネが使う線遠近法とは明らかに違った使い方だということがわかる。
モネの場合には、一方で、線遠近法的空間は、平面化するランダムなタッチの空間に観念的な奥行きをつくりだし、他方で、光がさざ波のようにちらちら揺れる不安定な絵画空間を引き締め、まとめ直す役割をになっている。

カイユボットはそうではない。
その空間に挿入された思い思いの振る舞いをしている人々の身体。それらの身体の振る舞いを可能にする空間を形成するための線遠近法的空間なのである。
しばしば指摘されているように、一点透視図法の線遠近法は、そこにある「対象」と認識する「脳」とが、直接につながっているような装置だ。だから、カメラ・オブスクーラと一点透視図法の線遠近法とが同じポジションから語られてきたのでもある。対象と脳との間の人間の目や感情が欠落している。
対象を加工し再生産する工場とでもいえる目や感情などの身体が介在していない。それが、一点透視図法の線遠近法なのだ。生きた人のまなざしは最初から排除されている。だからこそ、匿名的でユニバーサルなまなざしを獲得することができたのだった。黄金比のユニバーサリティと同じだ。
オスマン改造後の近代都市パリの新しい空間に戸惑いながら、目と感情を持った身体によって、線遠近法的な空間にはなやぎを与えているのがカイユボットの描く人々の身体なのではないだろうか。

とはいえ、「ヨーロッパ橋」のこの犬はなんだろう。
謎の多いこの絵画のなかでの最大の謎ではないか。犬でありながら、なぜ単独で、堂々と画面に侵入し、ウイーン通りを闊歩することができるのか。野犬風でもないのに、リードなしで散策していいのか。
これらの疑問を解決しなくては、「ヨーロッパ橋」を見たことにはならない。

末永照和さんは、クールベの「オルナンの埋葬」の犬などと比較しながら、「実存」としての犬だと指摘している。犬の「実存」とは、言いえて妙ではないか。

画面の下に後ろ脚がはみだしているこの犬は、この通りに、いままさに入りこもうとしている。この犬の後ろには飼い主がいるのかもしれない。犬も存在しているかどうか不明の飼い主も、実は、絵画を見ているわたしたち自身なのでは、と、思いたくなる。
この犬を、1892年の写真に写されているカルーゼル広場をカイユボットと散歩しているカイユボットの愛犬ベルジェールだと言ってみたい。でも16年の隔たりがある。年齢的に無理がある。

過去を忘れた振りをして、モダンライフを生きるのにふさわしく、「いま、ここ」で自らの決断を繰り返す「実存」の犬の姿に、わたしは、次の二種類のシーンを想いだすことを禁じえなかった。

犬とシルクハットの男性はまったく知らない同士とは思えない。でも、思わぬ遭遇といった雰囲気がある。
「ドミネ・クオ・ヴァディス(主よどこに行かれるのですか?)」のシーンに重ねあわせてみたくなる。
アンニバーレ・カラッチを想いだしたい。犬がペテロで、紳士の定番としてシルクハットをかぶっている男性が、十字架を担いでアッピア街道をローマに向かうイエス。人体デッサンの練習帳から抜け出してきたかに見えるイエスは、同じ雰囲気の使徒ペテロの問いかけに答えて、ローマを指差している。
危害をこうむらざるをえないローマから逃れようとしていたペテロにとって、イエスとの遭遇は、思いつくことができなかった未知の思考の示唆だったのだ。ペテロは驚き、たじろいでいる。・・・、日常でこんな人物に出会ったら、それだけで、かなりのサプライズだろうが。



もう一つは、ジョルジオ・デ・キリコ「街の神秘と憂愁」だ。
左側の空間から登場したリングを回すシルエットの少女は、そことは異質な、人物だか彫像だかの謎の影が投影されている右側の空間に入っていくかのようだ。
左側の建物と右側の建物の消失点が違う。だから左と右は交わることのない異質な空間なのである。
でも、空間のなかでつねに移動しているわたしたちの身体と視線に思いいたれば、「一点」透視の方が、逆に「驚きの美学」的空間だと言えなくもない。少女は、ただ単に、ある地点から別の地点へと移動しているだけなのではないか。つまり、異質な空間ではなくて、異質な時間を生きるフツウの少女、というようなことは、いま、ここでは、また別の話題だということにしておきたい。
少女を「ヨーロッパ橋」の犬だと、とりあえず考えておこう。



犬がペテロであれ、少女であろうとも、「ヨーロッパ橋」の舞台は、カイユボットの目の前に立ち現れ、そしてカイユボットの身体を包みこむ近代都市パリ以外ではない。日々新しくなっていくパリの空間は、どこに向かう、どういう空間なのか、カイユボットにも、ほかの近代人にも、いまいち判然としなかったのではないだろうか。
だとすると、「ヨーロッパ橋」の犬は、リードという束縛から解き放たれ、初めての未知の世界に歩み入るカイユボット自身だと考えるのが妥当だ。シルクハットの男性がカイユボットであることは曖昧にされている。それは、犬がカイユボットの分身だとみなしうることと関係があるだろう。

もっと立ち入って、次のように考えてしまうこともできないわけではない。
人間社会の階級に所属しない犬。犬は主人というリードから開放されれば自由になれる。しかし、逆に、犬はリードなしでは安心して自由を楽しめない。ダブルバインド状態だ。リードにつながれている範囲での自由を追求するしか道はない。
「ヨーロッパ橋」の犬のこちら側には描かれていない主人がいるのかもしれない。主人の庇護のもとでの自由人としての犬。
それは、親が残した資産という目に見えないリードに守られて、自由を生産し快楽を消費するブルジョワジー、カイユボットの憧れの姿なのだと考えることはできないだろうか。両親や弟の一人が亡くなったことによって多額の遺産を手に入れ、1880年代にプチ・ジュヌヴィリエに住まいを移して以後のカイユボットは、こうした憧れを実現したのだから。

犬としてのカイユボットは、自分がそこで生まれ、そこで生きている、日々更新され、リセットされるかのような近代都市パリのなかで、もう一人の自分(わたし)と未知との遭遇を経験しているのだということもできる。
目と感情を刺激し、フィーリングをかきたてる近代都市パリとの出会い。それは、「生産する身体」を通して、「わたし」にしか感じられない個人的な経験をすることなのだ。

カイユボットが「ヨーロッパ橋」で描いたのは、未知との遭遇を経験し、戸惑いながらヴィジョンや感情、物品、そして、大げさに言ってしまえば、マルクスやダーウイン、さらに世紀の末にはソシュールやフロイトなどの思想さえも「生産する身体」のさまざまな諸相だったのではないだろうか。
(はやみ たかし)

※ブリヂストン美術館 東京 「カイユボット展—都市の印象派」(20131010日〜1229)から取材しました。



2013年8月17日土曜日

輝く鏡-リキテンスタイン、ルーベンス、モンドリアン、フランク・ステラ

■inter−text「見ることの誘惑」第二十五回

<輝く鏡>
  ロイ・リキテンスタイン「鏡の中の少女」
  エナメル塗料 鋼板 1965年 106.7×106.7cm The Kyobi Foundation所蔵




            ロイ・リキテンスタイン「鏡の中の少女」
  
 ☆1
「鏡を見るヴィーナス(女)」モチーフにした絵画はティツィアーノやベラスケスなどをはじめとして多くの画家によって描かれている。
鏡と女の組み合わせは、おおむね次の三つの効果が期待されているからではないか。一つは、その時ごとにさまざまなものを反映させる鏡の束の間的な様子にかかわった「ヴァニタス(虚栄)」の暗喩として。二つ目には鏡は女のもう一つの側面を表すことができるから。三つ目は、絵画の観客として想定されている男性の眼差しが、自分自身に没頭する女の姿に見てはいけない秘密の姿や陶酔的な表情を垣間見ることができること。

リキテンスタインの「鏡の中の少女」をこうした伝統的なモチーフの系譜においてみると、従来の絵画とはずいぶんと違っていることがわかる。


ピーテル・パウル・ルーベンス「鏡を見るヴィーナス」
油彩 カンヴァス リヒテンシュタイン美術館 ウイーン

たとえば、ピーテル・パウル・ルーベンスの「鏡を見るヴィーナス」(1613-14年)。
ハプスブルグ家に代々仕えた重臣で、ロイ・リキテンスタインと同じ姓のリヒテンシュタイン家のウイーンにある美術館に所蔵されている。キューピッドが差しだす鏡にヴィーナスの顔が映っている。左側のキューピッドが見たヴィーナスの表情や右側にいる召使が見たヴィーナス、そして、ヴィーナス自身が見ている自分の顔が鏡に映されているという設定だろう。ヴィーナスは鏡に映る自分の顔に没頭して見入っている。

しかし、鏡に入る光は同じ角度で反射することを念頭において考えて見るとそうとも言えないことがわかる。このシーンでは、鏡に映されているヴィーナスの顔を見ることができるのは、このシーンを見ている視点の位置にいる者だけだ。召使やヴィーナスは鏡に描かれているようなヴィーナスを見ているわけではない。視点の位置にいる者とは、いうまでもなくこのシーンを描いた画家ルーベンスである。逆にヴィーナスは視点にいるルーベンスを鏡の中に見ているということになる。

こうしたところから、鏡の中の像とそれをだれが見ることができるのか、つまり視点の位置にいるのはだれなのかというポジションから絵画表現の可能性をとりあげ直したのはイギリスの言語分析の哲学者 J・R・サールだった。ベラスケス「鏡の前のヴィーナス」(1644-48年 ナショナルギャラリー ロンドン)についての論考はよく知られている。
ルーベンスの「鏡を見るヴィーナス」でも J・R・サール風に考えれば、ヴィーナスは鏡のなかに自分自身の姿を見ることはできない。見ることができているのは、視点の位置にいるルーベンス、そして、絵画の前で視点の位置からしかこのシーンを見ることができない観客であるわたしたち自身だけだ。

J・R・サール風なポジションをひとまず脇において「鏡を見るヴィーナス」を見てみれば、ヴィーナスは鏡の中の自分自身に没頭しているとみなすことができる。
リキテンスタインの「鏡の中の少女」は自分に没頭してはいない。明らかにわたしたちを見て、くったくなく笑っている。
従来の「鏡を見るヴィーナス(女)」では女性は鏡と自分自身とのある意味で無限鏡像関係の罠に捉えられている。
マイケル・フリードの用語を使えば、シアトリカリティ(劇場性)の対極のアブソープション(没入性)ということになる。ひらたく言って、「ぶりっこ」の反対の「うっとり&まったり」の語感だろう。
リキテンスタインこの少女は、「ぶりっこ」でも「うっとり&まったり」でもない。都会的なノンシャランス、すなわち無頓着で「あっけらかん」だ。

二人のLICHITENSTEINを「鏡と女」のモチーフということで比べてみると、ロイ・リキテンスタインが、自閉的で覗き見的な伝統的モチーフを、「からっ」として「きりっ」、そして「さらっ」と、開放的で明るい方向で展開させていることがよくわかる。
この雰囲気に先行しているのはパブロ・ピカソが1932年に描いた「鏡の前の少女」(ニューヨーク近代美術館)だ。

 2
伝統的なモチーフの革新という観点からばかり見ているのは片手落ちだ。
造形的な要素に注目して、もう一度「鏡の中の少女」を見てみよう。色面や線の力強い造形のセンスには、あらためて感心するほかはない。
正方形の画面に鏡やブロンドヘア、顔、指などの曲線が繰り返されている。グラデーションのないフラットな色面と線。メインは鏡と鏡の中の顔、左側のブロンドヘアだ。後ろ姿の頭部と鏡は左右でほぼ半分ずつ。
左右の二つがわずかに重なって、頭部と鏡の中の顔とが大きさが違うので、奥行きというよりも造形的な調子の変化が生まれている。
鏡は画面の平面に平行しているが、頭部や鏡の中の顔は右に傾けられて、軽快な動きがでている。そのために、鏡の中の「少女」のアッケラカンとした笑いをさらにノンシャランに響かせる。

アメリカで1950年代に隆盛を極めたのはウイレム・デ・クーニングのような「10丁目の筆致」と言われた、ストロークの勢いを活かして絵具の塗りを強調するペインタリー(絵画的)な抽象絵画だった。評論家のクレメント・グリンバーグは、1960年代に登場したモーリス・ルイスやケネス・ノーランドなどの新しい抽象絵画をポスト・ペインタリー・アブストラクション(脱絵画的抽象)と呼んだ。オープンネスとクリヤリーネス、ライトネスが「脱絵画的抽象」の特徴だと指摘している。この三つの特徴を、それぞれ 「からっ」、 「きりっ」、 「さらっ」で言い換えてみると、リキテンスタインにもそのまま当てはまるのではないだろうか。

細かく見ていくと徹底した厳しい造形的な処理が施されていることがわかる。
画面右隅、鏡の縁の曲線は、鏡の中の髪や顔の輪郭、そして、頭部の右端の髪の線で繰り返されている。
この頭部右端の髪の線は絶妙だ。鏡の右側の輪郭線を繰り返しながら、下の方では反り返って鏡の左側の縁に調子をあわせている。だから、頭部の、左上隅の髪の線が鏡の左側の縁に共鳴するのだ。

こんな感じで、すべての線が緊密に連携させられている。だから、部分に還元できない一つの全体として見えてくる。フラットなインパクトの強さはここから生まれている。

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リキテンスタインは、最初、マンガをモチーフに使った。後には抽象絵画の元祖の一人、モンドリアンの絵画をモチーフにしたこともある。
モンドリアンはリキテンスタインにとってモチーフ以上の存在だったのではないだろうか。この絵を見ているとそんな気がしてくる。
わたしが想い浮かべているのは、パリのポンピドゥー・センターにあるモンドリアンの「ニューヨークシティⅠ」(1942年)だ。


ピート・モンドリアン「ニューヨークシティⅠ」
 油彩 カンヴァス 119.3×114.2cm ポンピドゥー・センター 

ほぼ正方形の画面に三原色の線が画面の枠を繰り返すように垂直と水平に繰り返されている。モンドリアンは正方形に近い画面型に直線だった。リキテンスタインは直線を曲線に置き換えて、正方形の画面型と組み合わせたのだ。
直線と曲線だけではなく、重要な違いがもう一つある。モンドリアンの絵画では左右や上下でのシンメトリーはない。中心をずらしてアンバランスのバランスにすることで、こういってよければ、古典的なコントラポスト風な動的調和をつくりだしている。
モンドリアンは史上初めて平面的な絵画を描いた。しかし、美意識は伝統的な「調和美」だったのではないだろうか。
1970年代初頭にバーネット・ニューマンが「だれが赤、黄、青を恐れるだろうか」を描いてモンドリアンに突きつけたアンチ・テーゼは、アンバランスのバランスによる「調和美」の美意識に対してだった。

リキテンスタインのモンドリアンへの態度もなかなか微妙だ。
リキテンスタインは、この絵で左半分の実像と右半分の鏡に画面をほぼ等分している。しかも、二つが交わる頭部の髪と鏡の中の開いた口の左端が対角線の交点になっている。
モンドリアンとは違ってシンメトリーがつくりだすような中心を恐れてはいない。
逆に、左右の均等な分割や中心を設定することによって、画面の枠の直線とは正反対の曲線を用いて、それらを直線状の画面の枠と緊密に結びつけている。
画面全体がフラットに一つになっているのはこのためでもある。

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こう見てくると「鏡の中の少女」は、二十数年前のモンドリアンと並んで、同時代のフランク・ステラも召喚してくる。カナダの大学でのワークショップから生まれたサスカッチュワン・シリーズの「フリン・フロン」(1970年 オーストラリア・ナショナル・ギャラリー)だ。


フランク・ステラ「フリン・フロン」サスカチュワン・シリーズ 
274×274cm  ポリマーと蛍光塗料 1970年 オーストラリア国立美術館


「フリン・フロン」は274cm四方の正方形。正方形の四辺から四隅に収斂する半円、それらの内側や外側でも半円が繰り返されている。対角線上で鏡像関係の構図になっている。
アイルランドのケルトの無限模様をシンプルにした感じだ。あるいは、ステラ自身が意図したようにマチスの壁画「ダンス」を想起してもいいだろう。
ほかの絵画と関連づけたとしても見逃せないことがある。画面型の正方形は繰り返される半円をかいくぐるようにして内側でも繰り返されている。リキテンスタインの「鏡の中の少女」と構造的に近似している。

材料は、ステラはキャンバスに合成ポリマーと蛍光塗料。リキテンスタインは鋼板にエナメル塗料。リキテンスタインの方が、色面の感じがよりハードだ。見ているわたしの視線を跳ね返す。見つづけていると、絵画の表面と視線が格闘しているかのようで、気分が高揚してくる。
フラットな描き方と同時に、手前に輝きでるかのようなエナメル塗料のトランス・フラットな雰囲気。情緒的な感情移入とか、絵画の表面の奥や背後への思いを軽々と跳ね除ける。見ているわたしの見る姿勢を、「からっ」、「きりっ」、 「さらっ」と正させて、いま、ここで、見えてくるものに対峙させるのだ。
ステラの「フリン・フロン」の絵画の表面は、パステル調のやわらかい色調。見ていると、色面の生成と消滅が開いたり閉じたりする花や、次々に現れては消える水面の波紋を連想してしまいそうになる。
そういえば、ステラという名前も花や星を想い起こさせる。繰り返しの中で変化するものが拡張し収縮しながら広がっていくのだ。
このあたりの感じは、リキテンスタインの「鏡と少女」のイメージがもたらす気分に似ている。
とはいっても、ステラの色面もトランス・フラットに手前に輝きだす。リキテンスタインほど硬質ではない。色面の彩度が比較的そろえてあるので、色面がクリヤーに区別されていても、色面の差異以上に、すべての色面が視覚的に連続している感じの方が強い。
画面型と画面内色面とがフラットに一つになっていながら、しなやかな生動感にあふれているのである。

ステラは1960年前半には、すでに画面内の形(フォーム)と画面型(シェイプ)とが一つになったシェイプト・キャンバスの絵画を、「銅塗料」や「アルミ塗料」の絵画で展開させていた。その後、異質ないくつかのモチーフを画面全体として一つにしてしまう力強い「不規則多角形」シリーズに展開させた。
サスカッチュワン・シリーズは、その前の「正方形」シリーズと「同心円」シリーズの統合でもあれば、それらの可能性の追求の延長でもあった。ただ、それまでのステラの絵画にはなかったしなやかで有機的な生動感をもたらしている。ある種の緩みといっていのだろうか、デタント感がある。
30代半ばになって、絵画制作での切迫したテンションに、緩やかで広い表現への欲求が加わったというべきなのかもしれない。

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ここまでで、わたしは、戦火のロンドンからニューヨークに来て以後のモンドリアン、1960年代のステラ、同じく1960年代のリキテンスタインのこれらの絵画を通して、次の二つのことを主張したかったのである。

一つは、画面型と結合した画面全体が一つになった、いわゆる「全体性(ホールネス)」。絵画のフラットネスと切り離すことができない絵画の強さを生み出している。

もう一つは、シュエイプト・キャンバスが明白に示したような、従来の絵画での「図/地」に代わる「表面/支持体」の問題。こちらは、絵画の正面視性の問題や、ドナルド・ジャッドの1971年の表明、「『絵画には少なくとも二つのものがあることが問題だった。矩形それ自体と矩形のなかのもの(イメージ)』。そしてこの二つのものの分離がある限り「空間の戯れ」が生じる」などにかかわった問題だ。すでに何回か言及している。ここでは示唆的にしか記述していない。
リキテンスタインの絵画を、この文脈、すなわち、モダニズム=フォーマリズムの「表面/支持体」やシュエイプト・キャンバスのポジションから論じてみたい誘惑に、今回は、ほんの少し身をまかせただけだ

「いま」、「ここで」、全体が一つになってハードでトランス・フラットに手前にでてくる力感あふれる輝き。そして、それとは異質な有機的な生動感。ステラの場合には花開くような色面に見られる連続性、リキテンスタインの場合には「鏡の中の少女」の魅惑的なイメージ。
「からっ」・「きりっ」・「さらっ」と、それとは異質な、やわらかなイメージ。
リキテンスタインの「鏡の中の少女」もステラの「フリン・フロン」も、1960年代アメリカのもっとも上質なテイストが味わせてくれる絵画だ。

                            (早見 堯/はやみ たかし)


   ロイ・リキテンスタイン「鏡の中の少女」は「アメリカン・ポップ・アート展 ジョン&キミコ・パワーズ・コレクション」(国立新美術館 東京 2013年8月7日~10月21日)から取材しました。