「あゆのかぜいたしくあゆはしるー見えないものに触れる時」展 テキスト概要
ピーター・マクミランの「星の林に」(朝日新聞朝刊掲載)はいつも興味深い。
2020年9月2日は芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」。前書きに「明石夜泊」と記されているとか。
明石の蛸壺の蛸の運命と短い夏の夜の月を重ね、壇ノ浦で滅亡した平家のなかで生き残った建礼門院が明石で見た夢などを想起しながら、諸行無常に溜め息をもらす芭蕉、とマクミランは解釈。河合隼雄の「美的解決」や「詠嘆の美学」を思いだす。
平家滅亡にいたる契機の一つが、木曽義仲が越中富山小矢部市の倶利伽羅峠で平家を敗走させた戦いだった。
万葉歌人大伴家持が国司として五年間赴任し多くの歌をつくった高岡市も近い。
メルヘン建築と田圃の中に一国一城の主人のように住まいを構える「散居」も印象深い小矢部市のアートハウスおやべで、大伴家持の歌のことばを合成した「あゆのかぜいたしくあゆはしるー見えないものに触れる時」という長いタイトルの展覧会を企画した。
わたしは、江藤玲奈、本橋大介、大城夏紀の作家を選定し、展覧会名を決めるなどの企画の手伝井をした。
「あゆのかぜ・・・」展も、芭蕉の「蛸壺・・・」のように、意味やイメージの重なりとずれ、想像力や連想力をよびおこすレトリックというようなことを考えた企画だ。
江藤玲奈は、「物語」のシリーズ、「動き」のシリーズ。絵具の痕跡などの物が動いて命が輝く生き物の誕生のような場面を出現させる。
本橋大介は、「版」と「画」の照応によって見る者を鏡の国のアリス状態にする。
大城夏紀の、床に散在する作品は「布勢の水海」、壁にたてかけられているのは大伴家持の「春愁」の三歌、最後の2点組の壁&床作品は「子規庵」がそれぞれモチーフ。記憶と想像が重なりあう万華鏡的異郷の光景。
いまは失われた富山県氷見市一帯にあって家持が遊んだ「布勢の水海」については作家のコメントがある。
http://oshironatsuki.com/works/garden_2020_oyabe.html
大城夏紀「布勢の水海」
◉「あゆのかぜいたしくあゆはしるー見えないものに触れる時」
アートハウスおやべ 2020.8.29〜9.27
富山駅から「あいの風とやま鉄道」で石動(いするぎ)駅下車、南口から車で4分。
◉「あいの風とやま鉄道」の「東」を意味する「あい」は万葉集の家持の歌では「あゆ」と発音されていた富山地域の方言です。
*Facebook「あゆのかぜ展 マクミランの芭蕉と 20200年9月6日」投稿をもとにしています。
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