inter-text 見ることの誘惑 第四十五回
※このテキストは人形町ヴィジョンズ「メールマガジン」6月号(2016年6月11日発行)に掲載されました。
あらためて「見ることの誘惑」に採録しました。
※次の展覧会から取材しました。
「αMプロジェクト2016 トランス/リアル—非実体的美術の可能性 Vol.2 牛膓達夫」
キュレーター;梅津元、ギャラリーαM 、2016年5月28日~7月2日
<沿う、ずれる>
牛膓達夫「うちまわり」 2016年 鉄 アクリル
壁から垂直に立ち上がる小さな三つの矩形。矩形に接して壁に貼りつけられた三つの黄色の円板。そして、3分の2の線状の三種類の円環が三つの矩形に接して巡らされている。
三種類の円環は、矩形の内側の「角」、矩形の「外側」、矩形の「上側」に接して3分の2の円環を形成している。まず、「角」の円環が反時計回りに動いていると見える場合には、「角」の円環の終点から「外側」の円環が反時計回りに始まる。
それの終点から「上側」の円環が始まって「角」の円環の始点で終わる。始まりと終わりの連続と断絶。つまり、三種類の円環は、円環が連続しているのだろうと予想しがちなわたしの予定調和的な眼差しを少しだけ脱臼させる。
矩形や3分の2の円環は壁に即し、壁に沿いながら、壁からわずかにずれている。黄色い円板は壁に密着している。
にもかかわらず、見る者の位置や円環、矩形などとの関係で、光を反射して微妙に揺れて動いて壁から漂いだす。
物は空中や床、壁などのどこかに置かれざるをえない。
「うちまわり」は壁に沿って置かれていながら、壁からわずかにずれて、浮きだしている。
壁が呼吸しているのか。
矩形や円環が脈打っているのだろうか。
黄色い円板が吐息をもらすはずはないのに。
壁とこのうえなくクリヤーな矩形と円環、円板は不規則な律動と、途切れて捩じれる連続性のなかで揺れて動いて漂っている。
物が物のままで物ではない視覚性に変貌していく。そのとき、それまで見えなかった空虚な空間が見えてくる。
見ることの醍醐味を深く経験させずにはおかない。
牛膓達夫 うちまわり marukaku
(早見 堯)
※このテキストは次の展覧会から取材しました。
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