第三十五回 絵画のテイスト
ルイ・ヴィトン財団コレクション展
「FACE 2015」展 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
パリの郊外、ブローニュの森にあるルイ・ヴィトン財団で、美術作品コレクションが昨年10月から1年間、3期にわたって展示されるとのことだ。
ネットで第一期に展示された作品リストを見た。ボルタンスキーやリヒターなどと一緒に、ベルトラン・ラヴィエの名前がでていた。
いまから、もう30年前の1985年、西武美術館で開催された「フランス現代美術展—空間のなかの12人」でラヴィエの作品を見たことがある。鏡や冷蔵庫に白い絵具をペイントした「絵画」だった。鏡でありながら「鏡の絵画」、冷蔵庫なのに「冷蔵庫の絵画」といった趣だ。
いまから、もう30年前の1985年、西武美術館で開催された「フランス現代美術展—空間のなかの12人」でラヴィエの作品を見たことがある。鏡や冷蔵庫に白い絵具をペイントした「絵画」だった。鏡でありながら「鏡の絵画」、冷蔵庫なのに「冷蔵庫の絵画」といった趣だ。
ベルトラン・ラヴィエ「絵画」
いうまでもなく、ジャスパー・ジョーンズの「旗」のコンセプトに似ている。「旗」は現実の旗として機能すると同時に「絵具で描かれた絵画としての旗」でもあった。描かれた「旗」がコピーではなく「本物」、言い換えると、イメージとしての「旗」が同時に物体としての「旗」にもなっていた。
絵画は何ものかのコピー、あるいは類似物であることを宿命として背負ってきた。絵画をコピーではなくて自律的な本物のオブジェにしたいと願ってきたアーティストの長年の願望が、コロンブスの卵的に「旗」で達成されていたというわけだ。
絵画は何ものかのコピー、あるいは類似物であることを宿命として背負ってきた。絵画をコピーではなくて自律的な本物のオブジェにしたいと願ってきたアーティストの長年の願望が、コロンブスの卵的に「旗」で達成されていたというわけだ。
ジョーンズの「旗」は日常的な現実から離れて「純粋視覚」の世界で自律してしまった「聖なる」絵画が、再び「俗なる」日常的現実に結びつけられていることによる新鮮な衝撃があった。
ラヴィエはジョーンズのコンセプトを応用してはいるものの、かなり異なったテイストだ。ラヴィエはジョーンズのように旗のような二次元の「物体=記号」を絵画にしたのではない。三次元の物体である鏡や冷蔵庫にペイントしたのだ。あたかも、「俗なる」現実の日常品を「聖なる」ペインティングによって暴力的に侵犯しているかのようだった。
あるいは、こういってみればわかりやすいだろう。
舞台の上で芝居を演じている役者が、舞台を抜け出して、けれども、舞台の芝居の延長として何の関わりもない家庭を土足で侵犯する。こうしたイメージに近いのがラヴィエの鏡や冷蔵庫だった。
ロシア革命期のロシア・フォルマリズムのオストラネーニエ(異化)の感覚だ。ほっといてほしいのに、だらだらした惰眠から無理矢理目覚めさせられた気分だといったら言い過ぎだろうか。
表現の卑俗性と方法の暴力性がラヴィエの作品が醸しだすテイストだ。
あるいは、こういってみればわかりやすいだろう。
舞台の上で芝居を演じている役者が、舞台を抜け出して、けれども、舞台の芝居の延長として何の関わりもない家庭を土足で侵犯する。こうしたイメージに近いのがラヴィエの鏡や冷蔵庫だった。
ロシア革命期のロシア・フォルマリズムのオストラネーニエ(異化)の感覚だ。ほっといてほしいのに、だらだらした惰眠から無理矢理目覚めさせられた気分だといったら言い過ぎだろうか。
表現の卑俗性と方法の暴力性がラヴィエの作品が醸しだすテイストだ。
ジョーンズの聖も俗も超越したかのような洗練されたクールなテイストとは正反対ではないか。
ラヴィエが1980年代のシミュレーショニズムやネオ・ポップを彩るフランスのアーティストの一人として認識されるのはこうした理由からだ。
ルイ・ヴィトン財団の展示でのラヴィエの作品は「インドの女帝Ⅱ」(2005年)だったようだ。
ベルトラン・ラヴィエ 「インドの女帝Ⅱ」(2005年)
当時のアメリカで抽象絵画のチャンピオンと目されていたころのフランク・ステラが、ラヴィエよりもちょうど40年前につくった「インドの女帝Ⅱ」(1965年)が元になっている。
抽象系のミニマル・アートのステラ、形象を用いるポップ・アートのアンディ・ウォーホル。1960年代のアート・シーンはこの二つの軸の周りで展開されていた。だが、背後や奥行きのない平面的な表現、同じモチーフの繰り返しという方法が共通していた。平面性と、繰り返しによって画面全体を一つにしてしまう全体性という点で、見かけは違っていてもとても似ていたのだった。
フランク・ステラ「インドの女帝Ⅱ」(1965年)
ステラはシリーズで作品を制作していた。「インドの女帝Ⅱ」は繰り返されるストライプによるVシーズの一つだ。複数の色と形を組み合わせながら、絵画の全体に前や後といった空間的な差をつけず、全体が一つの物体に近い現れをすることが重要なポイントだった。近似した色彩、V字型のストライプの繰り返し。ステラの「インドの女帝Ⅱ」は、わたしを、文字通り、画面に釘づけにしたまま左右への目の動きを誘発するばかりだ。
エドゥワール・マネの「オランピア」の前に立つと、わたしの目が画面の上下(奥と手前方向)よりも左右(平面的な横方向)に動かされるのと似ている。「オランピア」が三角形を左右に回転させた感じの構図になっているからなのだ。
それに似て、ステラの「インドの女帝Ⅱ」は、目を決して画面の上下に誘うことはない。横に滑らせる。空間的な奥行きのイリュージョンを感じさせないということだ。
かすかに揺れる水面を見つめているような、あるいは、ほんのわずかな微風に触れているような、見ているだけの静謐な時間が流れていくばかりだ。
かすかに揺れる水面を見つめているような、あるいは、ほんのわずかな微風に触れているような、見ているだけの静謐な時間が流れていくばかりだ。
ラヴィエがリメイクした「インドの女帝Ⅱ」(2005年)のテイストは正反対だ。ステラは画面の輝きを抑えるためにアルキド絵具を用いて、ストライプを画面の表面にぴったり密着させている。
ラヴィエはステラでのストライプはケバケバしい輝きのネオン管に代えられている。
ネオン管のような卑俗な輝きを作品に持ちこんでもっとも成功したのは、水戸芸術館で個展が開催されたことがあるシミュレーショニズムのジェニー・ホルツアーだ。広告として日常の街頭で使われる電光掲示板で消費社会の人間へのメッセージを掲示したのだった。ホルツアーは見る者への訴求力の強さのために電光掲示板を借用したのだ。
ネオン管のような卑俗な輝きを作品に持ちこんでもっとも成功したのは、水戸芸術館で個展が開催されたことがあるシミュレーショニズムのジェニー・ホルツアーだ。広告として日常の街頭で使われる電光掲示板で消費社会の人間へのメッセージを掲示したのだった。ホルツアーは見る者への訴求力の強さのために電光掲示板を借用したのだ。
ラヴィエはネオン管を卑俗な束の間的な輝きゆえに使っている。ラヴィエの「インドの女帝Ⅱ」を実際に見たことはない。でも、おそらく、この作品の前に立つと、ステラの静謐な時間のテイストとは逆に、ネオン管のちらつく輝きがもたらす出現と消滅の瞬間的な繰り返しのために、束の間の虚ろな時間の空転を経験することになるだろうと思う。
ステラのストライプがもたらす繰り返しによる全体が一つになった持続感は、ラヴィエのストライプでは繰り返される網膜の残像現象の戯れに代えられている。
東郷青児記念損保ジャパンに本興亜美術館で、新人発掘の「FACE2015」展でグランプリをえた宮里紘規の「WALL」を見たときに、ラヴィエの作品に接したときの気分を想いだした。既視感があるということだ。
宮里紘規 「FACE2015」展「WALL」
とてもわかりやすい作品だ。細く短冊状に裁断された印刷物が130号の画面全体の9割程度を「壁」のようにおおっている。左下の空白に「壁」を見上げるかたちで、後ろ姿の人物がシルエットのように佇んでいる。
ことばで説明するのが簡単な作品だ。だから、わかったという実感をえやすい。作者の意図通りに印刷物=情報の「壁」だとみなせば次のように要約できる。
「壮大で崇高な無限の情報の前に力なく佇む小さなわたし」。
「壮大で崇高な無限の情報の前に力なく佇む小さなわたし」。
しかも、情報の「壁」は描かれているのではない。印刷物は平面的であっても物体であるには違いない。ところが、カンヴァスという物体は、そこに絵具などが付着させられると、もはや物体ではなく、何らかの空間的イリュージョンが生みだされることが期待される制度的な絵画の場になる。だから、画面に貼つけられた印刷物とカンヴァスは意味の階層が違っている。
宮里紘規の「WALL」には二つの大きな特徴があることを確認しておきたい。
一つは、巨大なものと微細なものとのコントラストだ。
もう一つは、印刷物という物体と、それとは異質な空間の出現が期待されているカンヴァスとの関わりである。
もう一つは、印刷物という物体と、それとは異質な空間の出現が期待されているカンヴァスとの関わりである。
「FACE2015」展で展示されていた「WALL」は、一つ目の巨大なものと微細なものとのコントラストの妙がテイストの決め手になっている。
このタイプはこれまでかなりの例がある。
一番わかりやすのは、ドイツロマン主義のカスパール・ダーフィト・フリードリヒの「海辺の修道僧」だろうか。フリードリヒではこのタイプが定番だ。画面下中央左寄りの浜辺に小さな修道僧が見える。神に似て崇高で無限の自然に対して無力で有限なちっぽけな人間という、当時の西欧ロマン主義風景画にしばしば用いられた構図だ。
カスパール・ダーフィト・フリードリヒ「海辺の修道僧」
クールベも比較的よく描いている。地中海に面したモンペリエ近郊で描いた「パラヴァスの海辺」はどうだろうか。
ギュスターフ・クールベ「パラヴァスの海辺」
広告ではなんといっても川北秀也のころの「いいちこ」をおいてほかにない。
「いいちこ」 駅ばりポスター
これらを宮里紘規の作品と同じだとみなしてはならない。これらは、イメージとイメージが、大きいと小さいとの関係におかれていた。
宮里紘規はそれを別の方向で展開させている。そこが重要だ。
どういう方向に展開させたのだろうか。
どういう方向に展開させたのだろうか。
アンゼルム・キーファーの「クーネルスドルフ」がわかりやすい。
アンゼルム・キーファー「クーネルスドルフ」
丘に立つ後ろ姿の小さな人物の写真、それを取り巻く鉛の板。イメージと物体、階層が異なっている。世界を変えるという使命を担っていながら、八方塞がり状態のアーティストとしてのドイツ人、キーファー自身といった設定だ。
空間的なイリュージョンを生じさせている人物がいる写真よりも、空間のない鉛の板の物体感や物質感の方が圧倒的な迫力で見る者に迫ってくる。
ステラのような抽象絵画が明らかにしたのは、絵画は伝統的な空間的イリュージョンではもはやリアリティがないということだった。絵画は空間的イリュージョンを失うに従って物体のような状態に近づいていった。キーファーはそのあたりを巧みにすくいあげて「クーネルスドルフ」に組みこんでいる。
ステラのような抽象絵画が明らかにしたのは、絵画は伝統的な空間的イリュージョンではもはやリアリティがないということだった。絵画は空間的イリュージョンを失うに従って物体のような状態に近づいていった。キーファーはそのあたりを巧みにすくいあげて「クーネルスドルフ」に組みこんでいる。
フリードリヒ「雲海の旅人」
周知のように、キーファーの「クーネルスドルフ」は、フリードリヒの「雲海の旅人」を経由して、キーファーにとって画家フリードリヒとともにドイツ精神の英雄である18世紀プロイセンのフリードリヒ大王の記憶につながっている。クーネルスドルフは、1759年8月、ロシア・オーストリア連合軍との戦いに敗れたフリードリヒ大王が四面楚歌の絶体絶命状態になり、地面に剣を突きつけて死ぬ覚悟を決めた丘だ。だが、プロイセンの国と民を背負って窮地に陥ったフリードリヒ大王は、部下プリットヴィッツ中尉の機転で奇跡的に生還する。キーファーは自分を、カスパール・ダーフィト・フリードリヒとフリードリヒ大王とに重ねあわせているのだ。
キーファーは自分にとってのプリットヴィッツ中尉の到来を待ち望んでいるのだ。
キーファーは自分にとってのプリットヴィッツ中尉の到来を待ち望んでいるのだ。
キーファーの主題や内容はともかくとして、重要なのは、キーファーの表現方法だ。キーファー自身は、特別に新しい表現方法を編み出してはいない。すでに開発されていた表現方法への着目と、それらの組み合わせ方が興味深い。
鉛の板という空間のない物体と、伝統的な空間的イリュージョンをつくりだしている写真のイメージ。この階層が違う二つを組み合わせることでキーファーの絵画はドラマティックになっている。
「空間のない物体」は抽象絵画がステラのようなミニマル・アートの絵画に逢着する過程でえた方法だ。写真による空間的イリュージョンはそれ以前の伝統的なものと同じだ。
「空間のない物体」は抽象絵画がステラのようなミニマル・アートの絵画に逢着する過程でえた方法だ。写真による空間的イリュージョンはそれ以前の伝統的なものと同じだ。
キーファーの絵画は、1970年代から80年代にかけて、おおむねこの階層の違う二つの要素を、文字通り重ねあわせて使っている。本来相いれない近接視と遠隔視、あるいは中心視と周縁視が、同時に、一つになって迫ってくるかのようなテイストといい換えることができる。
「FACE2015」展の宮里紘規の「WALL」は、階層の違う二つの要素、つまりイメージと物体の組み合わせ、近接視と遠隔視、あるいは中心視と周縁視の一体化などの点でキーファーに似ている。
後ろ姿の人物のシルエットを加えた結果、印刷物とは違う曖昧な空間的イリュージョンが生みだされている。このために、ことばにしやすくなっている。ことばにしやすいということは、説明するのが簡単ということだ。注釈を加えていると考えてもいいだろう。
その結果、見る者は階層の違う二つの要素がもたらすイメージの強度を味わうよりも、絵画を説明されているという気分を味わってしまう。
後ろ姿の人物は、フリードリヒ大王の危機を救ったプリットヴィッツ中尉の再来を待ち望んでいるのだろうかと、ふと思った。
後ろ姿の人物は、フリードリヒ大王の危機を救ったプリットヴィッツ中尉の再来を待ち望んでいるのだろうかと、ふと思った。
その後、わたしは、六本木の国立新美術館で開催されていた美術大学共催の五美大展を見に行った。そこで、再び宮里紘規の「WALL」に出会ったのだ。
宮里紘規 五美大展 「WALL」会場展示光景
サイズもほぼ130号程度で同じだと思う。後ろ姿の人物のシルエットは挿入されていない。こちらの方が「壁」の色が違うし、暗く重いかもしれない。
印刷物のコラージュ部分の不規則多角形は、画面の上、右、下の縁で画面に関わっている。空白の部分は画面全体につながっているように見えてくる。そうすると、印刷物の部分と画面全体はダイナミックに緊張した関係になって現れてくる。
印刷物のコラージュ部分の不規則多角形は、画面の上、右、下の縁で画面に関わっている。空白の部分は画面全体につながっているように見えてくる。そうすると、印刷物の部分と画面全体はダイナミックに緊張した関係になって現れてくる。
わたしには、どちらかというと、五美大展の「WALL」の方が好みのテイストだ。
これは、わたしに、ルイ・ヴィトン財団の第二期コレクション展示として目下公開されているエルズワース・ケリーの、ハード・エッジといわれたころの絵画を彷彿とさせないわけにはいかなかった。
エルズワース・ケリー ルイ・ヴィトン財団の展示光景
もっと近似しているケリーの作品もある。
ケリーがパリからニューヨークに帰ってほどない1955年につくったコラージュの作品「ブロードウエイのための習作」だ。
ケリーがパリからニューヨークに帰ってほどない1955年につくったコラージュの作品「ブロードウエイのための習作」だ。
ケリー 「ブロードウエイのための習作」
ここでは、コラージュされた部分は画面全体にかかわって画面を揺り動かしている。だから、画面のなかの一つの形というのではなく、画面全体と一つになったフィールドというのがふさわしい。
宮里紘規の五美大展の「WALL」は、こうして、ケリーのような洗練されたテイストのハード・エッジ・アブストラクションから、さらに遡って、骨太で超越的な精神性のテイストをもって、もっとダイナミックに画面全体にかかわり、強度の高い作品をつくりだした抽象表現主義の、バーネット・ニューマンやクリフォード・スティルの絵画にさえ連なっているのではないかとさえ思わせられる。
けれども、本質的な差異を指摘しておかなくてはならない。
ケリーのコラージュ作品「ブロードウエイのための習作」(1955年)では、赤色のコラージュ部分は画面全体と平面性を維持したまま関わっているので、画面全体を揺れ動かしながら、全体が一挙に現れてくる。すなわち、前と後の空間的関係がおこらないようにフレームとコラージュ部分とに微妙な間をつくるなど繊細な調整がおこなわれているのだ。画面全体が一挙に見る者の視野をとらえる。
だから、視覚的なインパクトが強い。こうした全体性や平面性が20世紀の抽象絵画を展開させるための強迫観念にさえなったのは、わたしたちの知覚認識が全体を一挙に把握するのだとする強い確信があったからだ。
宮里紘規の五美大展の「WALL」はそうではない。
コラージュ部分は画面全体から傾いている。左側や下部に奥まった空間が生まれている。ヨーロッパ中世の聖堂のニッチ(壁龕)のように、立体物を収納するのにふさわしい三次元的な空洞に似た空間だ。
だからこそ、そのニッチのような隙間の空間を埋めるために後ろ姿の人物を挿入してみたい気持ちを抑えることの方がむずかしい。
これらのことからわかるのは、当然のことだが、宮里紘規は、全体を一挙に把握するのだとする知覚認識についての強迫観念からは自由な地点にいるのだということだ。
「FACE2015」展の「WALL」と五美大展の「WALL」とを比べてみると、次のように思うのが自然だ。
けれども、本質的な差異を指摘しておかなくてはならない。
ケリーのコラージュ作品「ブロードウエイのための習作」(1955年)では、赤色のコラージュ部分は画面全体と平面性を維持したまま関わっているので、画面全体を揺れ動かしながら、全体が一挙に現れてくる。すなわち、前と後の空間的関係がおこらないようにフレームとコラージュ部分とに微妙な間をつくるなど繊細な調整がおこなわれているのだ。画面全体が一挙に見る者の視野をとらえる。
だから、視覚的なインパクトが強い。こうした全体性や平面性が20世紀の抽象絵画を展開させるための強迫観念にさえなったのは、わたしたちの知覚認識が全体を一挙に把握するのだとする強い確信があったからだ。
宮里紘規の五美大展の「WALL」はそうではない。
コラージュ部分は画面全体から傾いている。左側や下部に奥まった空間が生まれている。ヨーロッパ中世の聖堂のニッチ(壁龕)のように、立体物を収納するのにふさわしい三次元的な空洞に似た空間だ。
だからこそ、そのニッチのような隙間の空間を埋めるために後ろ姿の人物を挿入してみたい気持ちを抑えることの方がむずかしい。
これらのことからわかるのは、当然のことだが、宮里紘規は、全体を一挙に把握するのだとする知覚認識についての強迫観念からは自由な地点にいるのだということだ。
「FACE2015」展の「WALL」と五美大展の「WALL」とを比べてみると、次のように思うのが自然だ。
「FACE2015」展の「WALL」は、五美大展の「WALL」の注釈として描かれたのではないか。コンペの審査で理解されやすいのは「FACE」展の「WALL」の方だ。具象的な絵画の可能性を探るコンペの場面に、20世紀モダン・アートの本流だった抽象絵画が開発した物体化の方法を援用したところが注目される。
絵画として興味深いのは五美大展の「WALL」だ。画面全体に関わって絵画を成り立たせる方法の取り入れ方が巧みだからだ。
宮里紘規の二つの「WALL」は、わたしたちの時代の日常的で身近な気分を物語的にアレンジしていると感じさせる。
自分を取り巻く状況に激しく屹立するのではなく、ひれ伏すわけではもちろんなく、すべてを理解しながら、それはそれとしてさやかな夢をみるといった、ほんのり甘く、かすかにほろ苦い口当たりのなめらかな気分。それが、二点の「WALL」のテイストだ。
五美大展の「WALL」の前に立ったわたしは、「FACE2015」展の「WALL」のなかの後ろ姿の人物を知らず知らずのうちに演じていたのかもしれない。
だとしたら、わたしは、なんのための、どんなプリットヴィッツ中尉を待ち望むべきだったのだろうか。
絵画として興味深いのは五美大展の「WALL」だ。画面全体に関わって絵画を成り立たせる方法の取り入れ方が巧みだからだ。
宮里紘規の二つの「WALL」は、わたしたちの時代の日常的で身近な気分を物語的にアレンジしていると感じさせる。
自分を取り巻く状況に激しく屹立するのではなく、ひれ伏すわけではもちろんなく、すべてを理解しながら、それはそれとしてさやかな夢をみるといった、ほんのり甘く、かすかにほろ苦い口当たりのなめらかな気分。それが、二点の「WALL」のテイストだ。
五美大展の「WALL」の前に立ったわたしは、「FACE2015」展の「WALL」のなかの後ろ姿の人物を知らず知らずのうちに演じていたのかもしれない。
だとしたら、わたしは、なんのための、どんなプリットヴィッツ中尉を待ち望むべきだったのだろうか。
(早見堯 はやみ たかし)
※
次の展覧会、その他から取材しました。
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