2018年2月19日月曜日

「辰野登恵子のアトリエ」ー回想は、いま、ここで構成される。


辰野登恵子さんの葬儀があったのは2014年秋だった。
国立新美術館で親友の柴田敏雄さんと二人展が開催されて、これまでにない大判の図録がつくられたのは、それの2年前の夏だった。
死後3年半、杉並区の辰野登恵子さんのアトリエは生前のまま維持されているとのこと。
最近、三上豊さんによって「辰野登恵子のアトリエ」が編集、刊行された。


隅々からも探し出した画家のアトリエの一つ一つ、身の回りの物、読んだ本、作品とそれについての画家のコメントが薄暗がりにさしこむほのかな光のように記録されている。
そして、最後、マチス「画家のノート」から引用された「私の感情にとって空間は水平線から私のアトリエの室内に至るまで一体をなしていますし、通り過ぎる舟は私の周囲のなじみの品物と同じく浮かんを生きている」で始まる<アトリエをめぐって>では、回顧のなかで画家の姿が組み立てなおされている。
アトリエ玄関脇の花咲くミモザの光景ではじまった本書の最後は、緑濃いミモザがアトリエをおおっているシーンで閉じられている。
想いでは、いま、ここでつくられる。


「アトリエの画家」の珠玉のドキュメンテーションだ。
いつまでも眺めていたい。
旧知の大石一義さんの辰野さんの制作への支援、わたしの心に深く留めておきたい。

眺めているうちに、なぜか、かつて見た写真を二つ想いだした。
一つは辰野さんなど三人が写された写真。


辰野さんの親友、鎌谷さんの遺作展が開催されたのは2011年2月だった。
鎌谷さんにはわたしが企画した展覧会にもだしてもらったことがある。遺作展に際してつくられた鎌谷さんの作品集の図録に掲載されていた一枚の写真にわたしの目が釘づけになったことをおぼえている。
1972年、三人が学生のころのようだ。
辰野登恵子さん芸大時代の親友、鎌谷伸一さんと柴田敏雄さんと一緒に、多分、辰野登恵子さんの実家に行き、諏訪湖畔で撮影したのだろう。
わたし自身も、自分の学生時代のわけもなく華やいで、どこかほろ苦い気分鬱屈した気分がよみがえる。

もう一枚は、戦後すぐにしばらくパリに滞在していたアメリカのアーティスト、エルズワース・ケリーの画集に掲載されていた写真だ。


エルズワース・ケリーのニューヨークのアトリエの、多分、屋上なのだろう。
中央でタバコを加えているのがエルズワース・ケリー。
右端はアグネス・マーティン。
右側のしゃがんでいるのがジャック・ヤンガーマンと彼の子ども。
左端にいるのがヤンガーマンの妻、デルフィーヌ・セイリッグだ。わたしが学生時代に見たアラン・ロブグリエ作、アラン・レネが監督した映画「去年マリエンバードで」の主役だった。
新宿、伊勢丹横のアートシアター新宿文化で見た。
黒木和雄監督で加賀まりこがでた「飛べない沈黙」もここで見た。
そういえば、エルズワース・ケリーの画集は「美術手帖」にいたころの三上豊さんの依頼で書評を書かせてもらったのだった。
30年以上も前になるのだなあ。



*『辰野登恵子のアトリエ』 
編集&テキスト;三上豊 
撮影;桜井ただひさ 
発行所;株式会社せりか書房
2018年2月15日発行


2018年2月12日月曜日

藤田嗣治「神兵の救出到る」—並置と引用  



<モダニスト-藤田嗣治 2  部分の並置、引用による騎士道物語りのメタファー>

藤田嗣治「神兵の救出到る」 
1944年 油彩・キャンバス   192.8×257.0cm 東京国立近代美術館


藤田嗣治「神兵の救出到る」を見たのは、2015年暮れ、東京国立近代美術館で開催されたコレクション「藤田嗣治、全収蔵作品展示」のときだった。
それをもとに、「モダニスト—藤田嗣治」というタイトルで文を書いたことがある。
気になったのは、「神兵の救出到る」のなかに登場している猫だった。藤田の猫好きはよく知られている。でも、こんな戦争の緊迫状態で登場する猫は一体なんなんだろう、と。

目下、横浜のバンクアートスクールで、短期間、レクチュアをやっている。そこで、藤田嗣治の戦争画、とりわけ「神兵の救出到る」をとりあげてフォーマルに読解してみようと思い、あらためて考えてなおしている。「モダニスト—藤田嗣治」という基本に変化はない。くわえて、あらたな発見が多少あった。考え方の整理もだいぶできた。

「神兵の救出到る」は、1941128日に始まった太平洋戦争の初期、日本軍がまだ勝ち進んでいるころの194237日、ジャワ島のオランダ軍要塞バンドン近郊、レンパンの町に奇襲をかけた光景が、オランダ人が住んでいた住宅への電撃侵入として描かれている。実際には、翌々日の9日にはオランダ軍はあっけなく降伏してしまった。
展覧会の会場をでてから、思い返しているときに、キリスト教の「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」やギリシャ神話の「アンドロメダを救出するペルセウス」、その後、日本神話のスサノウが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを得るエピソードなどに気づいた。いずれも、騎士道精神に連なっていると解釈できるような、高貴な王女の救出がテーマになっている。そのときには、こうしたイメージを「神兵の救出到る」に重ねたのだった。

              ウッチェロ  ドラゴンと戦う聖ゲオルギウス_ 

             パオロ・ヴェロネーゼ アンドロメダを救うペルセウス 


              月岡芳年  素戔嗚尊のヤマタノオロチ退治

その後、いろいろ考えているうちに、もっと別の出典、あるいは、別のイメージが引用されたり、メタファーとして使われているのではないかと思うようになった。過去の絵画や逸話の引用だ。モダニズム絵画の先駆者エドゥワール・マネの絵画でよく知られている。過去の絵画の内容を現在の社会に置きかえたり、当世風な技巧で描き直すのだ。
もう一つ気づいたのは、いくつかの場面を引用して並置しているのではないかということだ。現代美術での「並置」は、それとコインの表裏のようなかたちをなしているのが「分割」だ。「神兵の救出到る」は、こうした並置と、並置された要素の組みあわせになっている。

「神兵の救出到る」を三つの場面の並置からできていると考えてみたい。
一つは、画面左側、日本軍の「神兵」一人が銃剣を身構えて、いま、まさに扉を開いて室内に侵入する場面。この場面の意味を象徴的に示唆している図像は暖炉の上に掛けられた絵画だ。岩に坐っているらしい左の男が大きく両手を開いている。右には駆けつけてきた様子の兜の男が「おうっ!きたぞ!」の雰囲気。


これは、ギリシャ神話の、人間に火を教えたためにゼウスから罰を受けて岩に鎖でつながれているプロメテウスと、それを救出する英雄ヘラクレスだと考えられる。画中画のプロメテウスの外の下には花鳥画風屏風がある。ゼウスの神の罰で、鷲に日ごと肝臓をついばまれるプロメテウスを暗示している。この画面左側の場面は、白刃が輝く銃剣をもった日本「神兵」とともに「男」部門だとみなすことができる。

                     グリーンペンケル プロメテウス

これと対になるのが画面右上部。その部屋は女性のいわゆるブードワールといった趣で、窓に向かう化粧台や鏡などがある。左右の円柱で区切られた画面右上部は、「プロメテウスを救うヘラクレス」の絵画が掛けられた画面左側の傾いた台形のフレームが繰り返されている。つまり、画面左側と画面右上部は、対になって並置されているのである。


ブードワールにも絵画が壁に掛けられている。どうやら横たわる裸婦系の絵画。裸婦に向かって舞い降りるというか降りかかる感じで、たとえば羽をもった擬人像だとしたらどこかマニエリスム風なイメージだと思うが、なにかが描かれている。
この図柄は、ギリシャ神話にでてくる「ダナエ」だと考えてみたい。親に災厄をもたらすと占いがだされて捕囚されたダナエを、黄金の雨に変身したゼウスが救出する。ブードワールと「ダナエ」によって、画面右上部は「女」部門になっている。

                    ティツィアーノ ダナエ

画面左側の「男」部門と画面右上部の「女」部門。並置されて対になっている二つに重なるように並置されているのが、「神兵」と猿ぐつわをされて縛られた白い服の女が「出会う」場面だ。
三つの場面は、シュルレアリスムの異質なものの並置や総合的キュビスムの絵画に代表されるようなコラージュ、あるいは抽象画での面の並置などと比較することができる。20世紀前半のモダニズム絵画の典型的な手法だ。

画面左側の「男」部門と画面右上部の「女」部門は両方とも、引用されている画中画に示されているように「救出」がテーマだ。
「プロメテウスを救うヘラクレス」と「ダナエ」という伝統的な絵画のテーマが画中画として引用されている。そして、「神兵の救出到る」そのものの「救出」のテーマに共鳴しているのだと想定される。
後ろの二つの場面は「神兵の救出到る」では、示唆的な背景の役割を果たしている。本番の前景は、「神兵」と猿ぐつわをされて縛られた白い服の女が「出会う」場面だ。背後の二つの場面にずれながら重なっている。そこで「男」部門と「女」部門が融合することになる。これはキリスト教の「受胎告知」の引用だろう。
「神兵」が構えている男根のように反った銃剣が向かう進路は「プロメテウスを救うヘラクレス」と「ダナエ」のあいだを貫いて、「男」部門の「プロメテウスを救うヘラクレス」と「女」部門の「ダナエ」との関係をさらに強化している。


画面左側の方の床には、下着を詰めこもうとしたが果たせないままになったバリーズが放置されている。そのそばに蒸気機関車の模型が転がっている。子どももいたのか。白い服の女のそばのテーブルにはウイスキーボトルと、倒れているのものも含んで二つのグラス、パイプも残されている。つい、さきほどまで、オランダ人がくつろいでいた様子がうかがえる。日本軍の奇襲を知って、あわてふためいて逃亡したことを暗示している。
召使いの現地人、子どもの養育もやっていたのだろうか。白い服の女はオランダ人の逃亡を日本軍に知らせに行くことができないように縛りあげられ、声をだせないように猿ぐつわをかまされたのだ。

注目したいのは、テーブルの上のガラス器に挿入された白い花、そしてテーブルの下の散らかった衣類を前にしてうずくまる猫だ。シャム猫のようだ。ふてぶてしく「神兵」をみすえている。
猫といえば、おぞましくも利口なのはエドガー・アラン・ポーの「黒猫」。良くも悪くも小悪魔的ではないか。
キリスト教の「受胎告知」の図像では、猫はしばしばマリアにとりついている悪魔のメタファーとして描かれている。「エデンの園」の蛇に比較できる。「受胎告知」の絵画では、神の使いである天使ガブリエルはマリアに神の子の身ごもりを告知するばかりではなくて、悪魔の猫を追い払いマリアを救出することも役割の一つだということが示されることがある。
たとえば、イタリアのベンヴェヌート・ティシ・ダ・ガロファロ の「受胎告知」(1528)。マリアの後ろにうずくまる猫は、「神兵の救出到る」の猫と雰囲気がとても似ている。

               ガロファロ の「受胎告知」

したがって、「神兵の救出到る」のこの下部は、「悪魔」であるオランダ人に捕らえられていたジャワ島の現地の女を「神兵」が、マリアを救出する天使ガブリエルのように、オランダ人から解放し救出している場面だとみなすことができる。


テーブルの上の白い花は、純潔のマリアを証明する白い百合のメタファーとなって、「神兵」がもつ白刃輝く銃剣にも天使ガブリエルが手にする白い百合が重なる。二つは呼応している。「神()」の男根と純潔の相互交通。「皇国」の神が白い服の現地女に降臨したかのようだ。
当時の日本軍の蘭印作戦の主要な目的はジャワ島の石油資源だった。日本のアジア進出を抑えようとするアメリカ中心の連合国側から石油禁輸措置をうけてしまった日本にとって石油は戦争継続の生命線だった。白い服の縛られた女は、だから、皇国の「神兵」によってオランダから解放され、神である皇国の未来をになう子ども、すなわち「石油」を宿しているにちがいない。


「神兵の救出到る」が描かれた1944年、日本で、この絵画に、こんな西洋の伝統的なモチーフを読み取ることができた日本人はいたのだろうか。もしわかられたら「非国民」ということになったのだろうか。
実際の蘭印作戦での「神兵の救出到る」に該当する19423月は、前年128日に真珠湾奇襲に続く奇襲電撃侵攻が成功していて、「皇国」ニッポンイケイケ!のころだった。この絵画が描かれた1944年になると戦況は正反対になっていた。1943418日に山本五十六が乗った戦闘機が撃墜された頃を境にして日本軍は敗走の連続だったといっていい。藤田がどの程度「大本営発表」の真偽を理解していたかは知るよしもないが。
モダニストの特徴は、エドゥワール・マネが描く人物のようにクールでどこかポーカーフェイス、他人のことは詮索しないノンシャランなマイ・ウエイな態度だ。平たく言って「都会的」ということだ。藤田嗣治はそういうセンスで西洋の伝統的な騎士道精神風「救出」のテーマをもった三つのモチーフを「並置」し、メタフォリカルに「引用」して、日本軍「神兵」のジャワ島レンパンの町奇襲を描いている。
20世紀のモダニズム絵画が開発した「並置」と、マネに始まる昔の絵画の「引用」による過去と、当世風な現在とのダブルネスということである。



現代美術の方法では「並置」は「分割」と表裏になっている。「引用」は「流用(アプロプリエイション)」へと展開している場合が多い。
「神兵の救出到る」にもっともうまく適合する「並置」と「引用」の作品がある。ジョン・バルデッサーリの写真による「貝殻・三叉の槍・額縁」(1988)だ。
左右のパネルの海辺にいる三叉の槍の男でギリシャ神話のポセイドン、貝殻と女でヴィーナスを連想させずにはおかない。スーツ姿の男が額縁のなかにいてコレクション、絵画ら装飾のあるロココ風で宮廷的なキャビネットとそのなかに納められた貝殻コレクション。
青、黄、赤のマークがつけられた図像を左右の「ポセイドン」が束ねているといった趣だ。
こうした構成から考えると「所有」を暗示しているように思われる。フェミニスム運動の時期を過ぎてジェンダーというかたちで「性」が問題にされ始めたころだ。「女性」性と「男性」性が「所有」というポジションから視野にいれられている。「所有」がテーマになっているのだ。
「神兵の救出到る」の「救出」の三場面の並置ととても近似してはいないだろうか。


                                       バルデッサーリの「貝殻・三叉の槍・額縁」

「神兵の救出到る」のテーマ「救出」は、他方で、こんなことも考えさせずにはおかない。
「太平洋戦争」は連合国側の名称だ。日本では「大東亜戦争」だった。欧米の植民地にされているアジアを日本が解放して救出するというのが「大東亜共栄圏」の構想だった。藤田の「救出」には、本人が意識するとしないとにかかわらず「大東亜共栄圏」の影響をうかがうことができる。
こう考えると、戦時中に使われた「玉砕」が「全滅」や「敗死」の美化した言い換えであったように、「救出」は欧米列強を模倣した日本による「再侵略」を合理化する言い換えにすぎないことになる。だからといって、絵画でモダニストであることと齟齬をきたすわけではない。

いずれにせよ、「大本営発表」を透視して、実情を察知できた日本人にはわかっていた敗色濃厚な当時の日本で、こんな「ゆとり」がありえたかどうかは、確信はもてない。でも、藤田嗣治は、戦争や戦意高揚に反対や賛成を越えてしまっていたのではないかと想像することはできる。ものごとを突き放して眺めるある種のゲーム感覚をもったモダニストとしてこの絵画を描いたように感じられてならない。マネと似ているのはこんなところにもうかがうことができる。
そうではなくて、藤田が戦況が不利になって追いつめられた皇国の臣民だという気持ちで描いたのだとしたら、栄光に満ちあふれていた太平洋戦争初期を懐かしく想いおこし、「よしっ!いまふたたび!」といったロマンチックな気概をもったのか、それとも「引かれ者の小唄」という古い格言で説明できる気分だったのだろうか。
どちらも考えられるし、どちらとも言えない。
(はやみ たかし)


2017年10月31日火曜日

終わりなき眼差し 揺らぎと響きーまえおき 伊藤誠、平田星司

ブログ「見ることの誘惑」は20177月に所期の役割を終えた、と、思う。
あらたに、というか、なかば継続して「見ることの誘惑—終わりなき眼差し」を始めたい。「見ること」も「誘惑」も「決して終わりがない」のだから。
ヘイミングウェイと村松嘉津の文から時にふれていろいろなことを考えさせられている。ブログの説明に少しだけ書きだしてみた。

今年の9月ごろから美術作品を見る気持ちのゆとりが以前よりも大きくなった。
ゆっくり見ると、これまで見過ごしていたことに気づく。多くの興味深い作品に出会った。いや、もともと興味深いから見にいくのだから当然かもしれないのだが。

最近見た作品で、今、なにげに想いだされて、とくに気になるものが二つある。
引込線2017の伊藤誠の作品と、POST Gallery 4GATSの平田星司の作品だ。
両方とも、わたしの感覚を静かに揺るがして、いつまでもわたしのなかで響きつづけている。

伊藤誠は長年見てきてとても好きな作家だ。
平田星司は特に理由はないが、長い間、見る機会を逃してきていた。今年の6月、東京都美術館で「海のプロセス—言葉をめぐる地図」展で見て共鳴するものがあった。
「見ることの誘惑—終わりなき眼差し」はこの二人から始めたい。
・・・、と、考えていましたが、まだ書けていません。

              伊藤誠 「Dinosaur」  *右の掛け軸

             伊藤誠 「正三角形の頂点」 *手前の作品

            平田星司「Isomorph-異種同形体-」展示光景

               平田星司 「インテリア・ペインティング」

*掲載画像は、それぞれ引込線2017POST Gallery 4GATSから取材しました。

2017年7月9日日曜日

「一つと二つあるいはそれ以上」、「分ける(わかる)」と「組みあわせる(再生産する)」

「見ることの誘惑」第五十三回
  早見 堯(はやみ たかし)

「一つと二つあるいはそれ以上」、「分ける(わかる)」と「組みあわせる(再生産する)」
エドヴァルド・ムンク「雪の中の労働者」
1910年 223 ×162cm 油彩  国立西洋美術館 東京

わたしが強い衝撃を受けた美術作品、あるいは文や出来事などは、多くの人と同じようにいくつもある。
それらのなかの何点かの美術作品をモチーフにして、「一つと二つあるいはそれ以上」というテーマで書いてみたい。これは、おそらく、「分ける(わかる)」と「組みあわせる(再生産する)」に言及することになるのではないかと思う。

ムンク「雪の中の労働者」

エドヴァルド・ムンクの「雪の中の労働者」をはじめて見たのは18歳の春だった。
広島から上京して受験の合間、3月の初め、そんなときに気持ちにどれほどの余裕があったのかは覚えていないが、ともかく上野の国立西洋美術館に行った。国立西洋美術館はたぶん「芸術新潮」で知っていたのだと思う。向かいの東京文化会館のコンサートホールの壁が流政之のレリーフで飾られているのを知ったのは「芸術新潮」だったので、国立西洋美術館も同じようにして目にしていたのだろう。
ほかにもいろいろな作品があったはずだが、覚えているのはムンクの「雪の中の労働者」だけ。
美術館訪問がそもそも初めてだし、ムンクを見るのも初めて、「雪の中の労働者」など知る由もなかった。初めて尽くしのわたしにとって、とても衝撃的だった。いまにして思えば他愛もないことだ。「叫び」のようなムンクらしさがなかったからだ。

                ムンク「叫び」

それは健康的な絵に思えた。不安と絶望、病と死の不健康四重奏という通常のムンクらしさがなかったのだ。絵のサイズも大きくて、絵そのものが元気そうだった。
「えっ!なんじゃこれは!これがムンクかのう(注*広島弁で臨場感を盛りあげてあります)」という気分。
ムンクの絵を見ることができるなどとは予想もしていなかった。絵を前にして、それまでひそかに期待していた病にふせっているムンク像と、目の前の肉体労働をしているムンクのこの絵との激しい落差ゆえに、ムンクの「雪の中の労働者」は、その絵というよりも、この落差こそがわたしの記憶に残されたのだ。
その後、東京の学校に通うようになって以後、国立西洋美術館を何度も訪れた。訪れるたびに気になっていたのだが、不思議なことに「雪の中の労働者」が展示されているのに巡りあったことがない。1970年、鎌倉近代美術館の「ムンク」展も見たが、展示されていた記憶はない。
もしかしたら見たと思っているのは錯覚かもしれないとさえ思ったりしたこともたびたびあった。
わたしが、再び「雪の中の労働者」に出会うのは、2007年から2008年にかけて国立西洋美術館で開催された「ムンク」展でだった。絵の脇に国立西洋美術館所蔵と記されている。そうだ、これだ、これだった、やはり、ここにあったのだ。個人史として40数年ぶりの再会だった。サイズも初めて見たときの印象と同じ、150号くらい。大きい。懐かしい。

絵の前で、18歳の、春先のやるせなく揺れる気分を想いだしはしたが、かつてのような落差を感じることはなかった。ムンクのムンクらしいと思われている「不安」三部作の、「叫び」や「不安」、「絶望」と構造的に同じだと、40数年のあいだにわかっていたからだ。
アーティストは見つけだした唯一のアイデア、あるいは自分の「型」といってもいいかもしれないが、それを「手を変えず品を変えて」一生くりかえすという、わたしがこれまでに発見したただ唯一の定理、「アーティストはワンパターンである」をあらためて確認させられるばかりだった。
「雪の中の労働者」を、国立西洋美術館の「ムンク」展で展示されていた「不安」と比較してみればすぐわかる。

                ムンク「不安」

「不安」では正面を向いた人物に背景の曲線状の空などが連なっている。それに対して画面右下隅から左上に向かう有角視透視的な短縮遠近法の橋が重なっている。人物や背景の正面性と橋の極端な斜傾性。正反対の二つの組みあわせだ。
「雪の中の労働者」では正面を向く労働者に対して左下から右上に向かう労働者の列の斜傾性。こちらの画像を水平反転させてみればよりわかりやすい。後ろの労働者のシャベルが不思議なほど前方にせりだしていることで人物の正面性が強調されている。
「不安」と同じように、異質な二つの正面性と斜傾性のくみあわせだ。ムンクの「叫び」や「絶望」も同じ構造であることはいうまでもない。

             水平反転させた「雪の中の労働者」

               ムンク「絶望」

同じような正面性と極端な斜傾性の組みあわせで際立っているもう一人のアーティストはゴッホだ。
「夜のカフェテラス」や「糸杉のある道」は典型的ではないだろうか。

              ゴッホ「夜のカフェテラス」
    
                                                    ゴッホ「糸杉のある道」


「夜のカフェテラス」では短縮遠近法で一挙に遠ざかるカフェテラスのこちら側に、わたしたちに背を向けたゴッホが正面性で立っているシーンを想像してみたい。
「星月夜」もゴッホの分身である糸杉の正面性と極端に遠ざかる風景。基本的な構造は同じだ。

               ゴッホ「星月夜」
ムンクもゴッホも、正面性の「わたし」や「わたし」の分身と、斜傾性の有角視透視や短縮遠近法による空間や背景が激しく対抗させられている。「わたし」と背景、すなわち「わたし」と「わたし」が所属しているはずの社会とが乖離しているといった雰囲気をつくりだしている。

こうした相反する二つの空間の組みあわせは、それを絵画の構造として考えると、意外にもたくさんつかわれていることがわかる。
クロード・モネは1870年代の印象主義の時代から、画面の平面に並行したタッチやストロークと、それとは異質な奥行きが強調された線遠近法による背景とを組みあわせることが多かった。
もともとは、タッチやストロークが並置されて光をうけてちらちらとさざ波で揺れている水面のような光景に奥行きを与えて安定させるために線遠近法による空間を組みあわせたのだった。
万国博開催にわくパリの光景を描いた「モントルグイユ街1878630日」によく現れている。

            モネ「モントルグイユ街1878630日」

モネの絵では、ムンクやゴッホなどと正面性と斜傾性の組みあわせという点では同じだが、使われ方は違う。「モントルグイユ街1878630日」では、線遠近法による斜傾性の空間は、絵画空間を安定させる、いわば建物の補強構造のような役割を担わされていた。
モネはブリヂストン美術館や川村記念美術館にある「睡蓮の池」では、さらに別な方向に進んでいく。正面性と斜傾性という二つの異質な空間をつかって、現実の睡蓮の池の光景を目眩するような幻想的な空間に変容させている。

             モネ「睡蓮の池」ブリヂストン美術館

さらに、もっと違った使い方をしたアーティストもいた。
アメリカのミニマル・アーティスト、フランク・ステラの「コンウエイ」はどうだろうか。

            フランク・ステラの「コンウエイ」
 
不規則多角形のシリーズの一つ。四角形と平行四辺形とを合体させた不規則なキャンバスのシェイプになっている。正面性で平面的な四角形と、それとは異質な斜傾性で奥行きを感じさせる平行四辺形の組みあわせ。
異質なものの取りあわせ、と言いかえてみると、シュルレアリスムや月とスッポンを想起しそうになる。でも、ここでは、異質な二つが不可分なく融合して一つになっているように見える。
話はそれるが、ステラの「コンウエイ」はアンリ・マティスの「赤のアトリエ(赤のパネル)」との類似を感じさせずにはおかない。マティスの「赤のアトリエ(赤のパネル)」では、左側の壁や窓、テーブル、椅子などと床の「かたち」は奥行きを感じさせる斜傾性だ。しかし、ここでは、そうした「かたち」を凌駕して背景の赤色が正面性による平面性という以上に、絵の前に立つわたしたちに向かって手間にせりだし、同時に左右上下に拡張していく。

          アンリ・マティスの「赤のアトリエ(赤のパネル)」

「赤のアトリエ(赤のパネル)」ではテーブルや椅子などの輪郭線は背景の赤色の塗り残しになっている。赤色の上に輪郭線が描かれているのではなくて、塗り残された隙間なのである。テーブルや椅子などは赤色の背景のなかに塗りこまれているといってもいい。ステラの「コンウエイ」も同じ方法で塗り残して輪郭線がつくられている。
ムンクやゴッホが正面性と斜傾性の異質さを強調していたのとは正反対に、ステラは異質な二つが異質であるままに、違和感なく一つになれることを示しているのだ。
異質性と同質性、相容れるはずのない正反対の二つが、強調されている。単純に言って、違う二つの形だと思ったら実は同じだった!という驚きは、視覚的なインパクトの強さになっている。

こう考えればわかりやすいだろうか。正面性と斜傾性を赤色と青色に置きかえて考えてみる。ムンクやゴッホが赤色と青色との強烈な対比を表現の要にしているのだとしたら、ステラは、赤色と青色を紫色にすることなく、赤色と青色のままで「一つの赤青色」にしている。
マティスの「赤のアトリエ(赤のパネル)」でのテーブルや椅子などの斜傾性は、正面性でしかも前進する赤色の引き立て役だった。ステラでは斜傾性と正面性は同等のまま融合されている。
パブロ・ピカソが「アヴィニヨンの娘たち」に登場する女子で正面性と斜傾性とを不可分なく合体させて、平面的なままで立体感をつくりだしている効果とよく似ていないだろうか

               ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」

モダニズムの絵画では平面性は強い価値をもっていた。なぜなら、平面的であることによって、絵画が一挙にすべて、観客の目に焼きつけられるインパクトの強さがもたらされるからだ。「一挙にすべて」というのは、時間的には瞬間的、空間的には全部ということになる。
たとえば、こんな風にたとえてみたい。立体の地球儀では地球を一挙にすべて見ることはできない。メルカトル図法による平面化された世界地図なら、地球を瞬間的に全部視野におさめることができる。
これが平面性の効果だ。現実の地球とは多少異なるとはいえ、意味の現れを圧倒して、視覚的なインパクトが強調される。一瞬の絶頂感、驚きの美学の最高潮ではないか。時間的に一瞬であり、空間的に一つなのだ。「図」と「地」が一つになり、絵画の描かれた表面とその表面を支えている支持体も一つになる。
こうした状態をポップ・アートのアンディ・ウォーホルは「わたしの作品には背後はない、表面だけだ」といった。ミニマル・アートのフランク・ステラは自分の絵画に注釈を加えたときに「あなたが見ているものがあなたが見ているものです」といったのも、こうしたことを指していた。

平面性を武器にしたトートロジー(類語反復)や「一つ」であること。
これこそが、20世紀のモダニスト・アートの絵画で、ピカソやマティス以後、モンドリアンやバーネット・ニューマンを経て、アンディ・ウォーホルやフランク・ステラで頂点に達した方法だった。

この「一つ」であることに、もっと別なポジションからアプローチした興味深いアーティストが何人かいます。
絵画のなかの空間的な斜傾性と正面性は、絵画の本質的なあり方である「正面視性」に包含される要素であることに留意しながら、「一つ」であることが、「二つあるいはそれ以上」に開かれていく様子を、別な場で書いてみたいと思っています。

*近日中にブログ「終わりなきまなざし」を開始予定です。