2012年4月11日水曜日

日常を侵犯する生の高揚 ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」


「見ることの誘惑」第十三回


          ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」
          1950年 ©Atelier Robert Doisneau

パリ市庁舎前、朝、人と車が行き交う路上でキスする二人。ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」はよく練りあげられた構図で、束の間の出来事をとらえたかのようなスナップショットに仕立てられている。

斜めに遠ざかる市庁舎はかすんだ遠景となっている。
前方、いわば近景にあたる左下のシーンには、オープンカフェにすわっているらしいぼけた人物と椅子、テーブルも見える。
右端では、右方向に歩いていく人物がフレームで断ち切られている。右下隅には、カフェにいる人が手にもっているのだろうか、カップのようなものがぼけて映りこんでいる。
左下のカフェの人物からキスする二人と後ろの右方向に歩む婦人、その後ろに重なっている左方向に歩くブレた人物、そしてさらにその背後の車などは、市庁舎に並行して後退する空間を形成している。
遠景と近景とが交差する中景でキスする二人。交わす唇を中心にして、手前と奥、左側と右側にゆるやかに拡散していく空間がつくられている。
比較的狭い視野にもかかわらず、広がりのある屋外での束の間のさりげない出来事といった雰囲気が生まれている。

パリコミューン後、1882年に再建されたパリ市庁舎。パリ市庁舎のいわば持続する歴史的時間とキスする二人の束の間の現在とが鋭く直交している。日常を侵犯する生の高揚、と、過剰に言ってみたい。わたしの感覚を揺り動かす。
「芸術」に目的や意味はない。人の感覚をゆさぶり、そのことで生の充実を感じさせるのが「芸術」だ。あるいは、そんな充実感さえもなく感覚の震えが感じられるだけかもしれない。
写真は「芸術」かどうかしばしば議論されてきた。ドアノーのこの写真は、わたしの感覚を強くゆさぶらずにはおかない。
(早見 堯/はやみ たかし)
※「生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー」(東京都写真美術館2012324日〜513日)から取材しました。人と人の欲望がバルザックやモーパッサン、あるいはゾラ風に入り乱れて交差するかつてのパリの胃袋だった市場「レ・アール」を撮影したドアノーの写真展、パリ市庁舎で4月末まで開催中。現在のポンピドゥーセンターとレ・アールとの間の通りは街娼が立つもう一つの欲望の街でもあった。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html

2012年3月10日土曜日

ポロックー線の痕跡は「地」を巡遊する


ジャクソン・ポロック「インディアンレッドの地の壁画」1950年 キャンバス 油彩、エナメル塗料、アルミニウム塗料 183×243.5cm テヘラン現代美術館


赤褐色の「地」の上に、主として白、エナメル塗料の黒、アルミニウム塗料の銀の線などの三種類の線が重ねられている。それらの間隙を縫ってオレンジや黄、青色がそこここに小さく散りばめられている。
絵画の前に立ったとき、木立に囲まれて風でうねる樹木の枝々の揺らめきを見あげているときの気分に似ていると、ふと思った。線を見ているわたしのまなざしと、まなざしにつながっているわたしの身体とが線の動きにいつの間にかあわせていることに気づいたのだ。画面が生みだす律動や鼓動にわたしの身体が引きこまれてしまうのだろうか。
細部に目をやると線が形象を形成している様子はない。名詞的な形象は見当たらないので、身体が同調しているのは動詞的な線の痕跡の動きだ。それらの線が展開されているインディアンレッドの「地」は、梢をわたる風になってわたしの前に現れてくる。
見ていると徐々にテンションが高くなる。気分が高揚する。けれども、サスペンスやスリラードラマのテンションや高揚感ではない。不条理ドラマを見ていて意味を失ったオノマトペーが鳴り響いているかのように感じられる経験に似ている。
オレンジや黄、青色はいくぶんアクセント的に働いて、白や黒、銀の線だけだった場合の切迫した物質的な雰囲気をやわらげている。そのあたりが、同じ1950年に制作されたニューヨーク近代美術館の「ワン、31番」やメトロポリタン美術館の「秋のリズム、30番」などとは違うところだ。
オレンジや黄、青色がなければ「地」の赤褐色と白や黒、銀の物質的な線とが離れ過ぎてしまうのではないか。白や黒、銀の線を赤褐色の「地」とオレンジや黄、青色がはさみこんで融和させている。そうでもしなければ、エナメル塗料の黒やアルミ塗料の銀の物質感は形象に見えるのを拒絶するばかりか、線としてさえ見えてこないで、即物的な物質感の強い痕跡になってしまいかねない。
即物的な絵の具の物質感は、わたしたちの論理的な思考や安定した感じ方を脱臼することがある。ポロックの黒や銀、そして白の線はそうした物質の働き方に近い。形象はもとより、視覚的な線であることさえも越えて、感覚可能な線の臨界点で限りなく物質に近いポジションで成りたっている痕跡なのだ。そして壁画のように見ているわたしに正面から立ちはだかっていた。
ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」の9個の目が見る者を正面から凝視していたのを想いだす。ポロックの白や黒、銀の線も正面視でわたしたちと目をあわせる。黒や銀、白の線は混じりあわないで、「地」と三種類の線が個別に関わってトリプルイメージになっている。そうでなければ横にずれて滑っていくばかりだ。
こうしたことは、今回のポロック展に展示されている横長画面に黒の線の「かたち」が三つ並置された、シュトットガルト州立美術館のエナメルの黒だけの「無題」(1950年)によく示されている。三つの「かたち」は「かたち」としてそれぞれの内部に向かって閉じているのではない。アンリ・マチス晩年のペーパー・カットアウトのように外部の「地」に開かれている。だから、三つの「かたち」は離れたまま「地」を通して結合されているのである。
ポロックがキャンバスを床に水平において制作したのは、キャンバスの「地」の文字どおりの地面のような連続性と、キャンバスと自分の身体とのつながりを、垂直に立てたキャンバスよりもよりはっきりと感じたかったからに違いない。すぐ後に展開される画面に絵の具が染みこむステイニング技法はここから始まった。
※愛知県美術館と東京国立近代美術館で巡回開催されている「生誕100年ジャクソン・ポロック展」から取材しました。

2012年2月4日土曜日

草間彌生 有限な網目、サイト・スペシフィックな水玉

 
       草間彌生「No.H.Red1961年 カンヴァス 油彩 東京国立近代美術館

今年の10月からパリのポンピドゥー・センターでも個展が開催されている草間彌生。なんといっても「網目」だろう。

2012年早々に開催の国立国際美術館での個展は「永遠の永遠の永遠」とタイトルがつけられている。草間彌生自身は「無限の網」と繰り返し語っている。永遠と無限、果てのなさ、エンドレスということだろう。

東京国立近代美術館の三枚パネル「No.H.Red」は有限な画面に網目が波打ちながら連なっている。
似てはいてもおそらく同じ網目のかたちはないのだろう。見ていると波打つリズムに巻き込まれ、目が上下左右斜めへと、とりとめもなく、さまよわせられる。たわんだり歪んだりしても連続した網目なのでとても平面的だ。平面的なので一挙に有限な画面のすべてを把握できる。
瞬時にとらえた画面の細部で網目が波打ち揺らいでいる。全体と細部のこの差異にいくぶん陶酔的な気分にさせられる。細部のざわめく多数多様な網目に対して、すぐに視野におさめてしまえる画面の全体は有限なのである。
けれども、「網目」はそれが描かれた場を征服してしまう。

「水玉」は逆に場のなかに消えてしまうような気がする。
2011年の後半、東京のワタリウム美術館で開催されていた「Kusama’s Body Festival in 60’s」の3階展示室ではそう感じた。

ワタリウム美術館「Kusama’s Body Festival in 60’s」のサイトに掲載されている水玉を体に施して水玉突起物の上に腹ばいになっている草間彌生の写真を見てみると、多少、実感できるかもしれない。

1994年に横浜美術館での「戦後日本の前衛美術」展に展示されていた草間彌生の「かぼちゃ」は万華鏡だったことを想いおこす。装置としての無限や永遠なのだ。
「網目」は平面性の固有な特徴を掘り起こし、「水玉」はサイト・スペシフィックな美術の可能性を示唆している。そこが魅力的だ。

2011年9月14日水曜日

アレゴリー・カルテットー「ヨコハマトリエンナーレ2011」から

<ダミアン・ハースト「知識の木」、マッシモ・バルトリーニ「オルガン」、チョン・ジュンホ「弥勒菩薩半跏思惟像」、横浜美術館コレクションのコプト織裂>




116日まで開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2011」は、参加作家のエネルギーとディレクターの冷静なキュレーションとのバランスがすばらしい。一つ一つの作品を越えたクリエイティヴィティが生まれていた。
そのなかから一つ、横浜美術館のドーム型の天井をもった円形の展示室をとりあげてみたい。
ダミアン・ハースト「知識の木」、マッシモ・バルトリーニ「オルガン」、チョン・ジュンホ「弥勒菩薩半跏思惟像」、それに横浜美術館コレクションのコプト織裂が展示されている。

「クール」イギリスを代表するダミアン・ハーストは2点の円形カンヴァスと1点の尖頭アーチのカンヴァス。一見してステンドグラスの窓だと思ってしまう。特に尖頭アーチ型のカンヴァスはゴシックの聖堂のステンドグラス窓に見える。
近づいて見ると、羽を広げた状態で蝶がびっしり貼りつけられているので驚く。光をしみこませて聖なるイメージ、とりわけキリスト教の殉教にまつわる「死=聖性」を出現させる聖堂のステンドグラスが標本状態にされた蝶の死体と重なる。ステンドグラスと蝶は言葉の「語呂あわせ」のように重なりあう。
蝶は物語的な想像力をひきおこさせるのではない。蝶はそのまま水平に横にずれ、蝶のままでステンドグラスになる。物質的な想像力といってみたい。

これと似た経験はハーストの展示壁面のすぐ右のマッシモ・バルトリーニ「オルガン」でもおこる。工事現場の足場に使われる鉄パイプが組み上げられて、そのなかで轟々とオルガンの音がドーム状の展示室に鳴り響いている。鉄パイプとオルガン。文字通りの語呂あわせで「パイプオルガン」。その場所で、クロス型に建築されたキリスト教聖堂の中央、ひときわ高いドーム天井に向かってパイプオルガンの音と共に身体が上昇していくかのような幻覚にとらえられたのはわたしだけだろうか。
「オルガン」はハーストの「蝶=ステンドグラス」と相乗された経験になる。

「オルガン」から振り返ると展示室の二つの出入り口に挟まれた壁の前に、チョン・ジュンホ「弥勒菩薩半跏思惟像」とコレクションのコプト織裂が目に入る。
骸骨になってしまったチョン・ジュンホの弥勒菩薩。仏教が伝えている567千万年修行を積んだ果てに悟りをえるはずの思惟する弥勒菩薩は悟りきれないわたしたちに近い修行者だ。死んでもなお思惟することを通して修行することをやめない。死と生の断絶よりも連続を感じさせないだろうか。ここでは死と生とが弥勒菩薩において重なりあっているといってもいいだろう。

コプト織裂がもたらす経験も似ている。キリスト教黎明期のエジプトのキリスト教徒が死者のために綴ったコプト織裂。織られているのは羊飼い(イエス)や無限の繰り返し(聖性)を思わせる図像だ。そうした図像の物語的な連想作用はそれほど重要ではない。今、現在も朽ちて続けている物質としての織裂を侵食して非物質へと変貌させようとしている時間の力を感じることの方が重要だ。「物質=存在していること」と「非物質=非在であること」とが、本来ありえない語呂あわせとなって重なっている。

見事にキュレーションされた円形展示室では、4種類の作品が、それぞれに物質的想像力を喚起させる。同時に、4種類が重なりあってこの場所でしか成り立たないサイト・スペシフィックなカルテットを演奏している。このカルテットは「水平的アレゴリー(寓意)」だといってみたい(ハル・フォスターやグレゴリー・L・ウルマーを参照)。
蝶とステンドグラス、鉄パイプとオルガン、弥勒菩薩の死と生、コプト織裂の物質と非物質。モチーフがそのままで、横に水平にずれて、もう一つのイメージとダブルのだ。たとえばイソップ物語にみられる当のモチーフやテクストをダミーにして教訓を指示するような喩えとしてのアレゴリーなのではない。

「水平的アレゴリー」はほかにも見られる。横浜美術館のこの展示室は普段はミロやダリ、エルンスト、デルボーらのシュルレアリスム系の展示室だった。美術館という「場所の記憶」に蝶のいる草原、鉄パイプの工事現場、弥勒菩薩の寺院、コプト織裂の墓なども重なってくる。こうした「水平的アレゴリー」はアプロプリエイションといってもいいのかもしれない。

わたしにはこの「水平的アレゴリー」自体に、さらに、もう一つ別の方法が重なりあって見えてくる。モダニズムの一つの頂点を示していたのはミニマリズムとコンセプチュアリズム。そこでのきわだった方法はトートロジー(類義反復)とセルフレファレンス(自己参照)だった。ここでのポスト・モダニズム風な「水平的アレゴリー」はモダニズムのトートロジーやセルフレファレンスのリサイクルなのではないか。

そうすると、ハーストらのYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)は1950年代のリチャード・ハミルトンらイギリス・ポップ・アートのリサイクルかも・・・。では、日本の「クール・ジャパン」はなにのリサイクルだったのだろうか。わたしのささやかな脳内クリエイティブ空間に多数多様なシミュラクルが合わせ鏡の像となって、蝶のように乱舞し、パイプオルガンの音楽のように共鳴し始める。弥勒菩薩の思惟も同じようなものだろう。

2011年8月29日月曜日

「見る」ことのシーソーゲーム 高松次郎「日本語の文字」


高松次郎「日本語の文字」
1970年 オフセット 紙 61.6×25.4cm 東京国立近代美術館

  
「日本語の文字」は、わたしの勝手な推測だが、タイプライターで打ち込んだ文字か、それとも活字を組んで印刷した文字をオフセットで印刷したのだろう。2年後のアルファベット文字を組み合わせて繰り返した「THE STORY」ではゼロックスコピーが使われている。「日本語の文字」でもオフセットで印刷する前に拡大コピーのプロセスがあったに違いない。

オフセットといっても、いわゆる当時の軽オフセット(?)だからなのか、あるいは印刷する前に何度も拡大コピーを繰り返したせいなのか、文字の輪郭がかすれて不規則になっている。紙のいたるところにインクの染みもある。じっくり見たのは3年前の「わたしいまめまいしたわ」展(東京国立近代美術館)だ。

インクの染みは視覚的な芸術性、いいかえると視覚的アクセントだとはわたしには思われない。むしろ、「この七つの文字」という印刷文字が指示する「この七つの文字」という意味内容を脱臼させ、空虚にさせている原因のように思われる。

「この七つの文字」だけに注目し「ことば」や「文」などの記号として理解すると、印刷文字「この七つの文字」は意味内容「この七つの文字」を指し示している自己言及、あるいは類語反復(トートロジー)だということになる。
「指し示すものと指し示されるものが同一であることによって生じる循環が、人に、合わせ鏡の無限廊下に立ったときのような目眩を覚えさせる」(三浦雅士「高松次郎の現在」展図録、1996年)。

なるほど。でも、わたしはそう思わない。「ことば」や「文」の意味は文脈の効果にしかすぎないことを忘れてはならない。「日本語の文字」は版画であり、美術という文脈でプレゼンテーションされている。哲学的アフォリズムでもなければ、文学的な言語表現でもない。白紙にただ「この七つの文字」が置かれているだけではないからだ。

文字の輪郭のかすれや不規則なぎざぎざ、繰り返されるコピーのプロセスを経たので小さな汚れが徐々に鮮明になった染み(1970年前後のありふれた手法だ)などの視覚にさしだされているもの。こうした印刷のインクの痕跡、それらの色と形こそが、色と形という記号性が故意に薄められていようとも、この版画作品で注目すべきところだ。

そこに注目すると、インクの痕跡は痕跡がつけられている紙とともに、わたしの眼前に迫りだしてくる。「この七つの文字」の意味は脱臼され空虚になりながら遠のいていく。次の瞬間には意味が近づき痕跡と紙が遠のく。「目眩」を覚えるのはこの二つの作用の繰り返しが原因なのだ。意味と痕跡、もしこういってよければ記号性と物質性とのズームレンズのようなシーソーゲーム。

夏目漱石の「坊ちゃん」で文字のインクの濃度やかすれ、染みに注目していてはマドンナの美貌は想像できない。小説で文字の視覚的な物質性に着目したのはル・クレジオぐらいだろうか。
美術作品を見るということは、実は、さきほどの「見る」ことのシーソーゲームに目眩しながら自分の意識や考えを革新していくことなのだ。

「この七つの文字」から、1980年代初め、銀座の鎌倉画廊で見たジョセフ・コスースのネオン管による「five words in five colors」をわたしは想いおこす。当然のことだ。けれども、「日本語の文字」はコスースのコンセプチュアル・アートのように「わかる」ことを問題にするために、「見えている」視覚的内容のテーストを名ばかりのもにしてはいない。

高松次郎の意味と痕跡、記号性と物質性との危うい葛藤。拡張して考えると、美術作品での空間的イリュージョンと物質的な材料、絵画での描かれた表面と描かれるべき表面(支持体)、そして、それらの淵源にある「図」と「地」との関係などといった、現代美術を貫いてきたメイン・テーマにつながっているのである。

 早見堯

2011年7月12日火曜日

第6回 岡本太郎「空間」 1934年/1954年再制作

ポールは翻る旗を支えられるのか

                               岡本太郎「空間」 1934年/1954年再制作 
                               油彩・キャンバス 114.3×91cm 川崎市岡本太郎美術館

布状の不規則な形態と棒状の直線的な形態とが左右に並置されている。布状の形態は左上から右下へ向かう動きと左下から右上へ向かう動きと、相反する動きを感じさせる。
棒状の形態は上部を基点にして右から左に振れているのだろうか。それとも下部を基点に左から右に振れているのか。単純なので両義的だ。

左側では平面的なかたちが不規則にカットされ、グラデーションを施され裏が見えているだけで蠢く布状の有機的な生命体になっている。右側には幾何学的な直線が具体的な実在の棒に変貌している。
布状形態も棒状形態も、どちらともとれる両義的な動きと、抽象的で幾何学的な形態と生命的だったり実在的だったりする具体的な形象との間でゆれている。

今年、東京国立近代美術館「岡本太郎展」で「空間」を見たとき、わたしは自宅の近所にある武者小路実篤記念館に飾られている絵を想いおこしていた。
実篤の筆による南瓜(かぼちゃ)と胡瓜(きゅうり)の絵だ。「仲良き事は美しき哉」との添え書きもある。球状の南瓜と棒状の胡瓜。太郎の布状生命体と棒状実在体に似ていないだろうか。南瓜と胡瓜、布と棒は、そう思われがちなように、互いに異質な、もしこういってよければ、岡本太郎風「対極」的なものなのだろうか。そうではない。位相変換としてとらえると両方とも同じ「構造」体だ。見かけは異なっていても実は同じ。太郎も実篤も同じことを考えていたのだと思う。

唐突ながら、シュルレアリスムのキャッチ・コピー「手術台のミシンとこうもり傘」も実は異質どころか、尖っているところなど似すぎている。
太郎が10年に渡るパリ滞在中に描いたほとんど最初の優れた絵画だからといって、後年、太郎が唱えた「対極主義」に通じるものがあるなどと先入観で見るべきではない。

布状の形態は日本の伝統的な「筆意」を通した形の生成を感じさせる。それが、当時、パリで流行していたハンス・アルプなどのバイオモーフィック・フォーム(生物学的形態)に近似しただけなのではないのか。実際、太郎は60年代以後、書道的運筆の「筆意」による絵画に向かった。北大路魯山人が弟子入りした「版下書きの名手」で町書家の岡本可亭が太郎の祖父だったことを、しかし、今、想いだすべきではない。
ただ、見落とすべきでないのは、これら二つの布状と棒状の形態の「形象性」以上に、暗く塗りこめられた背景が、これらの「形象」によって平面的なのに無限の空間だと感じさせられることだ。だからタイトルが「空間」なのだろう。

さらに、棒状形態は「形態性」よりも画面を斜めに方向づける「構成性」として注目すべきだ。斜めであることで、布状の形態の不規則で不安定な動きに半ば拍車をかけ、それを半ば抑制している。翻る旗を支えるポールとして機能しているのである。
右上から左下に向かう対角線状の構成法と、その対角線を機軸にしてそれに反発したり貫入したりする「筆意」から生まれてくる形象の配置。太郎のほとんどすべての絵画の基本だ。「空間」から確実に見えてくるのは、太郎の絵画を太郎の絵画にさせている形態を形象に変貌させる「筆意」と、ダイナミックな動きをもたらす「対角線状の構成法」である。

「空間」を時計方向に90度回転させると、シュルレアリスムのイデオローグ、アンドレ・ブルトンをも魅惑した「傷ましき腕」(1936年/1949年再制作)に位相変換される。・・・、あなたは納得できるだろうか。
わたしには、「空間」は、秀作の誉れ高い「重工業」(1949年)や「森の掟」(1950年)、それを展開した「燃える人」(1955年)、そして巨大な「明日の神話」(1968年)など太郎の大半の作品に二重像となって現れてくる。

2011年6月14日火曜日

生きられる場所ーフィンセント・ファン・ゴッホ「ドービニーの庭」

第五回 フィンセント・ファン・ゴッホ「ドービニーの庭」


           1890年 油彩、カンヴァス 53×104cm 財団法人 ひろしま美術館

生きられる場所
  
パリから50kmほど離れたオワーズ川のオーヴェールでゴッホはガシュ医師に出会う。死ぬ2ヶ月前の18905月のことだ。妻を亡くしたガシェやその娘の肖像画を描く。
彼らは、「なんの下心もなく、芸術のための芸術を愛し、自分の全知性を傾けて仕事に協力してくれる」(ゴッホ書簡638)。

ゴッホが敬愛してやまない今は亡き画家ドービニーの夫人も「近代建築」の館と美しい庭と共にオーヴェールに健在だった。死の前、束の間の安堵をえたのだろうか。

ゴッホ特有の(ムンクもそうだが)有角視透視風の短縮遠近法とそれとは異質な正面視の面との組み合わせが、ドービニーゆずりの横長画面に展開されている。
画面中央下部のバラの花壇や右側の塀や柵、リラ、菩提樹などは斜めに後退していく。
逆に、画面左側下部の白味の強い切り株につながる明るい緑の樹木と、それに重なる暗い緑の樹木は画面に平行した正面視の面になって上部の館につながる。
館の前の暗い緑の菩提樹とそれを間に挟んだ二本の明るい緑の菩提樹は、二つの対抗する空間を融和させている点でこの絵画の象徴的な部分だ。

画面右下から左上に向かって後退するかに思われる空間は館や左の重なる樹木とともにぐっと手前に引きだされる。アトリエ舟で川に包まれながら川岸の光景を描いたドービニーのように、前進してくるドービニーの館と庭の「内部に」ゴッホ自身が包まれているのかもしれない。
館の前の明るい緑の菩提樹に重なっているドービニー夫人とゴッホとが対面するのもこの前進してくる庭の空間の内部でなのだ。

夫人のそばにある「不在」の三つの椅子。12年前に亡くなった画家ドービニーと夫人、そしてゴッホが座るのだろうか。「生きられる場所」、とゴッホは感じたに違いない。
有角視透視で遠のく現実と、正面視で前進してくる死も生もおし包んだ「生きられる場所」。

14年後、詩人ライナ・マリア・リルケの分身マルテは「僕を入れてくれる屋根はどこにもない」とパリで嘆く(「マルテの手記」)。
うつ病か不定愁訴といった雰囲気のマルテは、生の気配が失われた診療所を「ついに僕は、僕の人生のなかで、腰をおろすべき場所に来てしまった」と感じたりもする。

束の間のやすらぎをえたはずのゴッホは、しかし、この絵を描いてた45日後、「そうだ、自分の仕事のために僕は、命を投げ出し、理性を半ば失ってしまい・・・」と記さなければならなかった。診療所のマルテと同じ気分だ。ゴッホはその日に自殺する。

妥協しない自分の「美的趣味(エステート)」を貫いて自由意志で生きる芸術家は典型的な「近代人」、高等遊民だ。

ゴッホよりも少し後に、夏目漱石が「それから」や「三四郎」、「明暗」などで描き出したのも、こうした「近代人」の「病」だったに違いない。
わたしたちは、こうした「病」から自由でいることは、今、可能だろうか。