2016年1月12日火曜日

連想と記憶喪失 ポロック「32番」1950年

見ることの誘惑 第四十二回
連想と記憶喪失
ジャクソン・ポロック「32番」1950年

                ジャクソン・ポロック「32番」1950年 
           デュッセルドルフ ノルトライン・ヴェストファーレン美術館

茅ヶ崎美術館で1月末まで「島谷晃」展が開催されている。
5年前に亡くなったのだが、わたしも旧知の友人なので、多くの友人の支援で、1月10日、島谷晃の作品についてのトークを茅ヶ崎美術館で行わせていただいた。

島谷晃はダジャレというか、自分の名前の「しまやあきら」を「しまったあきらめろ」といいかえるような、いわゆる「地口」の「もじり」が得意だった。ときにはオヤジギャグ風で脱力してしまうことが度々あったが、連想が斬新だと思わずキレの良い頭だなあと感心することもしばしばだった。

連想は、あるものと別なものとをどう関係づけるのかということにかかわっている。花田清輝は異質なもの同士の組み合わせ「月とスッポン」について論じた興味深い文章を書いている。
わたしの自宅の近所の国分寺崖線の斜面にある武者小路実篤庭園の旧宅には、キュウリとカボチャなどを並べて描いて「仲良き事は美しき哉」と人を食ったようなフレーズがそえられた実篤の絵が飾られている。
李禹煥の世評に高いひび割れたガラス板の上に石の作品は、こうしたらこうなるといった因果関係の事実だけが提示されているとみなされている。でも、表象(再現・象徴・兆候)作用や連想をまったく排除しているとはいえない。「こうしたら」というあるものと「こうなる」という別なものとを関係づけるのは連想する力だからだ。

連想とは図式化すれば「〜を・・・として見る」という、わたしたちのごく日常的な知覚認識のカタチにほかならない。
蓮實重彦風にいえば、あるものと別なものとのずれと重なり、すなわち、差異の楽しみということになるのだろう。

島谷晃の20歳代の1970年に描かれた秀作「みのむし イ」が茅ヶ崎美術館に展示されている。同じ頃に描かれた「みのむし ロ」と姉妹作だ。連想する力で描かれた絵画が、わたしたちに差異の楽しみもたらしてくれる。

                島谷晃「みのむし イ」

                   島谷晃「みのむし ロ」

「みのむし ロ」は「女子にもてたい」という青年の願望で、自分をみのむし、女子をみのむしを囲む木の葉に見立てている。空中に浮かぶハーレムか、あるいは、空の雲が魚に見えたりするので竜宮城の浦島太郎を、作者は連想していたのだろうか。
「みのむし イ」は「みのむし ロ」の使用後、あるいは先かもしれないが、二つペアの関係で描かれているようで、当時の末期のベトナム戦争の影が反映している。みのむしも女子も死をイメージさせる。
空には日本の地図が雲になって浮かんでいる。高みの見物でわれ関せずの日本への密かな批判だったのだろうか。
これはアンリ・ルソーからの連想でもある。
また、背景の空は西洋人を驚かせた広重などの浮世絵の上部がベロ藍、下部が紅の空が引用されているのだろう。

               アンリ・ルソー 「自画像」

ハーレム風の「みのむし ロ」は上弦の月状の曲線の構図、「みのむし イ」は逆に下弦の月状曲線構図だ。明らかに、二つセットで企画されていることがわかる。二つを並べて見ていると、差異を伴った連想が次々に眼前に現れてくる。地口の「もじり」的な連想能力全開だ。

連想する力が重要なのは、いうまでもなく推理小説だ。推理小説の元祖エドガー・アラン・ポーは意表を突く差異の関係づけを小説のいたるところで展開している。
 「異質なものの並置」を絵画表現の方法として駆使したルネ・マグリットがポーを好んでいたのは当然だ。ポーの自然美と人工美とが巧みにコントロールされた風景を描いたポーの庭園論小説はいくつかある。現実の風景に美を推理しようとしたわけだ。マグリットはポーの庭園論小説「アルンハイムの領土」をもとに同じタイトルの絵画を描いている。

              マグリットの「アルンハイムの領土」

マグリットの「アルンハイムの領土」は鳥/山と卵/建物とが自然と人工という形で、見る者の連想を誘うように異質なようでもあれば似てもいるものとして並置されている。
さらに、月/宇宙と大地/自然、そして建物/人工が垂直軸で関係づけられている。卵から鳥、そして宇宙への羽ばたきといったマグリット特有の「透視力」を連想できるかもしれない。ポーの庭園論に挑戦とか解釈というようなこととはあまり関係ないだろう。

こうした連想過剰な絵画とは別なシーンがあったことを想いおこしておきたい。
ドイツ、デュッセルドルフにあるジャクソン・ポロックの「32番」(1950年)。
黒の塗料だけがロー・キャンバス(コーティングされていない生のキャンバス)に注ぎ込まれるようにして描かれている。いわゆるオール・オーヴァー・ポード・ペインティング(画面の全体が連続的に同じようなパターンでおおわれた絵の具の注ぎこみ絵画)だ。


じっと見続けていると、人がダンスしている姿が見えてくるという人もいる。たしかにそうかも知れない。絵画は見る人の連想や妄想を誘うのは当然だから。
でも、そういう「わたしに固有」の連想や妄想を、力強かったり、爽快だったり、あるいは、繊細や華麗、重かったり軽かったりするポロックの線は、連想や妄想を、一つ一つ、あるいは連想や妄想が起こるたびごとに消してしまう。
そんなことがあるはずはないが、誇張していってよければ、純粋な線といってみたくなる誘惑からのがれることはむずかしい。
純粋か不純かよりも、線それ自体が、連想と妄想を打ち消しながら繰りかえし現れてくるところが重要だ。

ポロックの絵画からえられる経験をモダニズムの絵画が理想としたいわゆる純粋視覚とまでは、いかになんでもいいたいとは思わない。
けれども、線が人やダンスといった線以外のイメージを表すための道具になってはいないことは強調しておかなくてはならない。
描かれた線が、たとえば人のイメージになると、線それ自体は見る者の視野から後退していく。線がイメージの道具になっているわけだ。色や形でも同じことがいえる。

話しはそれるが、聞きかじりの資本主義論を援用すると、資本家が絵画の中のなんらかの「イメージ」だとすると、「線や色、形」は労働者といえるだろう。

労働者は「生産する身体」として産業技術革命以後の近代化された社会に登場した。資本家に搾取される「生産する身体」としての労働者は、生産の道具だ。個人としての人間性が疎外されている、といった風に考えるのは図式的すぎるだろうか。
実際、産業技術革命が高揚して進行中の19世紀の印象主義者の絵画では、郊外のセーヌ川そばの煙突によって象徴される工場が「生産する身体」の労働者のメタファーとして描かれている。
画家も、実は、灰色の陰を目の中で青色として再生産してしまうほどの「生産する身体」としての「目」の所有者でもあった。画家はプチ・ブルジョワジーでもあれば労働者でもあったわけだ。
道具化された線を、「イメージ」による疎外から解放したのがポロックだとしたら、ポロックはマルクスの「資本論」を実践して無産者階級を解放しようとしたロシア革命のレーニン、そして、ポロックを最初に意義づけて評価した20世紀最大の批評家クレメント・グリンバーグは、さしずめマルクスということになってしまうのだろうか。・・・、連想ならぬ妄想が激しくなってしまった。

ポロックの線はイメージを打ち消す力をもっている。イメージの道具にならない強さがある。そのことで、ピカソの線を継承しながらピカソが乗り越えることができなかった線の再現性、つまり線の道具化を脱臼=転移したのである。そこが素晴らしい。
ポロックの絵画のこうした道具にならない線を強調すると、「それ自体」などはありえないとか、記憶喪失の視覚などといわれてきた。
たしかにその通りだが、ここは、「〜を・・・として見る」という連想作用を「描かれた線を見える線として見る」といってみたい。存在と視覚との一致とでもいいかえられるのかもしれない。「馬から落ちて落馬して」みたいなトートロジー(類語反復)なのだろうか。

こうしたシーンは、アメリカの1960年代の美術が最盛期だった。世間に流通するイメージを引用して繰り返したアンディ・ウォーホルは「わたしの絵画の背後にはなにもない、表面だけだ」といい、もう一方の抽象のチャンピオン、フランク・ステラは「あなたが見ているものがあなたが見ているものです」と自分の作品を説明している。「AをBとして見る」のではなくて「AをAとして見る」ということだ。連想や関係づけはジャマ、不要なのだ。存在と視覚、つまり絵画の画面の表面と目の網膜の表面との間に距離がない感じだろうか。

ウォーホルの繰り返しは、たとえば、こんな感じだ。
母親が毎日子どもに向かっていう「勉強しなさい」のように、毎日いわれ続けている子どもにとっては「勉強しなさい」の意味は遠のいて、注意されているということだけが強迫観念として感じられる。
ここでは、アメリカ人が毎日食べているといわれているキャンベルという商品名の意味は遠のいて、繰り返されているイメージだけが、強迫観念のように視覚的なインパクトの強さとなって見る者に迫ってくる。意味が遠のいて視覚的強度が高まる。

            アンディ・ウォーホル キャンベルスープ缶

ステラは、13色を右側面から色相環の順番に繰り返すだけだ。13色なので、四角形の4辺で順番に繰り返されると、一つずつずれていく。だから、見た目には規則性を感じさせない。
いずれにしても、色相環の配置にしたがって並べて行くので、自分のセンスを排除した色帯の繰り返しということになる。にもかかわらず、ジャズから引用された題名のように、夜中にハイエナがドタバタさわいでいるかのような、色彩の自発的な現れになって、わたしたちの視野をおおい尽くす。
作者の意図や感性による絵画のコントロールは最小限になり、絵画の画面がそれ自体から、あたかも自然に色彩が生まれてきたかのように感じられる。
連想する余地はない。現れてくる色彩の現象を見ているわたしたちは、いわば、ありのままに、受け入れるだけだ。
これが、「あなたが見ているものがあなたが見ているものです」という絵画の状態だ。

            フランク・ステラ「ハイエナ・ストンプ」

これらを突き詰めると、コンセプチュアル・アートの一方を代表するソル・ルゥイットの「122個の不完全な開かれた立方体」のような、言葉や概念を使った連想を一切排除して、12辺あったら完全な立方体だが、不完全な立方体といえるのはどれとどれかなといった風に、しらみつぶしに試してみるような即物的な作品にたどりついてしまう。
ルゥイットの上の画像はテーブルに122個の「不完全な立方体」、壁に黒地に白抜きで「不完全な立方体」122例がビジュアル化して掲示されている。
四辺足りない不完全な立方体の一つは、立体の状態で、東京、御殿山の原美術館の庭に展示されている。ご存知の方も多いだろう。

          ソル・ルゥイットの「122個の不完全な開かれた立方体」

             ソル・ルゥイットの「122個の不完全な開かれた立方体」

「辺に関して不完全な立方体は?」という質問に対して、「辺が12本ではなくて、しかも立方体だと予測できる12本未満の辺による立方体」と言葉で答えれば簡単だ。だれでも「そうだよね」と納得するだろう。
しかし、連想する力がなくなって、言葉を忘れた記憶喪失者のように、あるいは**唯名論者のように、ルゥイットはひたすら辺に関して「不完全な開かれた立方体」を、一つ一つ確認しながら計上したのだ。
辺が二辺や一辺では、三角や四角になることは予測できても、立方体になるとは思われない。だから三辺から始まっている。
*言葉より「物」が先という「唯名論」の観点から、ルゥイットやミニマリズムの作品を取りあげたのはロザリンド・クラウスだ。

なにかをわかるときに不可欠の「〜を・・・として見る」ような連想を旨とする美術と、それとは逆になにもわからせない、つまり意味を排除して視覚的な強さを強調する美術と、モダン・アートの美術作品には正反対の二つのタイプがある。
つけ加えておくと、意味は文脈の効果でしかない。だからマグリットのようなシュルレアリストはイメージそれ自体以上に、イメージとイメージが置かれる「場」、すなわち文脈に気をくばっているのだ。
「わかる」、すなわち認識や意味ということに関連する場面では、日常生活でも、「わかれば良い」というものでもないし、「わからない方が良い」とばかりもいえない。
わたしたちは、今も、この二つの極のあいだにいる。
(はやみ たかし)
※島谷晃作品は茅ヶ崎美術館図録から再録しました。



2015年12月11日金曜日

モダニストー藤田嗣治 東京国立近代美術館の展覧会 2015年12月

モダニストー藤田嗣治

「神兵の救出到る」1944年 192×357cm 
         油彩・キャンバス 東京国立近代美術館

               「神兵の救出到る」1944年 

2015年12月初め、東京国立近代美術館でいくつかの展覧会を見た。どの展覧会もとても刺激的だった。美術館について、いろいろと想いをめぐらせることができた。
ここでは、それとは別に、三つの展覧会について書いた。最後の藤田嗣治の、いわゆる「戦争画」、「神兵の救出到る」が今回のメインだ。
       
1.「Re;Play 1972/2015—「映像表現 72」展、再演」展
「Re;Play 1972/2015—「映像表現 72」展、再演」展会場では、柏原えつとむさんのインタビュー・ビデオと映像作品「足を洗う」を見た直後に、ご本人に、ほとんど20数年ぶりだと思うが、偶然、再会し、思わず握手してしまう出来事もあり、なんだかエキサイトしてしまった。横浜のBゼミアートスクールでの合評会以来かもしれない。
「映像の物質性」や「繰り返し」、まだ高価だったビデオ機器による「遅延」映像など、映像が「美術」の有効なメディアとして注目され始めた1970年代初めの熱気が十分に伝わってくる。この展覧会でも記録されている辻勝之の映像批評を「美術手帖」で熱心に読んだものだった。
わたしは、当時、京都で開催されたこの展覧会を見たことはない。「美術手帖」を通して知っていただけだ。いま、こうして見て、とりわけ注目すべきは次のことだと思うようになった。
できあがった映像を素朴に提示するのではなく、映像というイリュージョンが生成される仕組みや仕掛けが、映像とともに提示されている。だからインスタレーションのかたちがとられている。
そもそも、映像はイリュージョンでいいのか、あるいは、イリュージョンなのか、と問いかけてくる。モダニスト・アートの核心となっていたメディアの自己批評性、さらに、自己言及性につながる。自分自身を振り返ってアイデンティティを確認する近代的個人のあり方と関係させて考えればわかりやすい。
「映像とは何か?」という不毛な問いではなく、「何が映像たりうるのか?」といった映像成立の仕組みや条件を問う生産的な問いなのである。1960 年代に宮川淳が表現過程の自立という言葉で示そうとしたことがらは、おそらく、これだろう。
「Re;Play 1972/2015・・・」展それ自体が、自己自身に問いかけているセルフ・レファレンス状態の展覧会なのだ。当時は、美術がコンセプチュアリズムに傾斜していく時代だった。この時代の気分は、美術がアートなどと呼称されて、惰性化しているのか成熟しているのかわからない現在とはずいぶん違っていた。
1920年代のマン・レイの「理性への回帰」に始まり、日本では、「映像の発見」の松本俊夫などによる「銀輪」で美しい映像になって展開された、映像の物質性とか映像メディアに固有の残像現象の純粋化などのポジションから「Re;Play 1972/2015・・・」展をとらえ直すのも興味深い。考えてみる価値が十分にある。
こうした熱気が続いていた1975年の京都市立美術館で「京都ビエンナーレ」展が開催された。わたしも展覧会企画者の一人として沸騰する現代美術の末端に参加した。もう40年前の出来事だ。

2. 「てぶくろ|ろくぶて」展
 東京近美の、もう一つ別のコレクションによる企画展示「てぶくろ|ろくぶて」。2008年に開催された「わたしいまめまいしたわ self/other」を継承展開する、とても良い展覧会だ。昔、二子玉川の岡崎和郎のアトリエを訪れたことを想いだしながら会場をまわった。映像作品では、懐かしいブルース・ナウマンやヴィト・アコンチを見ることができた。ビル・ビオラなどとはずいぶん違う。自己言及性で「Re;Play 1972/2015・・・」展に重なってくる。
こちらは、メルロー・ポンティの「見る/見られる」や「触る/触られる」の間主観性や、ロザリンド・クラウスが「オリジナリティと反復」でヴィト・アコンチについて指摘したナルシシズムも引用されていて、展覧会の基本コンセプトの一つになっている。
クラウスが同時にとりあげたロマン・ヤコブソン風な発話者によって指示対象が変化する「わたし/おまえ」のシフター(転換子)から考えれば、「見る/見られる」や「触る/触られる」とナルシシズムとの関係がよりわかりやすくなるかもしれない。これは、当然、自己言及性と深い関わりがある。自己言及とくればダブル・バインド、そして、そのループを脱出する方法は?といったかたちの問いかけにいたらざるをえなかった。当時の思考の展開の典型的なパターンだ。
美術のコンセプチュアリズムに影響を与えたヴィトゲンシュタイが、日本で人口に膾炙するのはもう少し後だったかもしれないが、当時、メルロー・ポンティの思考はとても魅力的で、ポンティにとらえられなかった美術家は美術家とはいえないとさえいえるような状況だった。
この二つの東京近美の企画展示はシンクロしながら、モダニズム美術の成熟したシーンをあらためて眼前に突きつけてくる感じだ。

3.「藤田嗣治、全収蔵作品展示」
東京近美でもう一つの興味深かった展示は、コレクションの「藤田嗣治、全収蔵作品展示」だ。藤田嗣治は、十年前の2006年にも東京近美で充実した展覧会が開催された。わたしは、そのときには、藤田嗣治がモダニズムのアヴァンギャルドだとの認識はほとんどもっていなかった。今回の展示を見て、その時、気づかなかったことや見落としていたことが多くあったことに気づかされた。
いまさらのように気づいたことの一つは、藤田はバリバリの絵画のモダニストだったのだということだ。

パリを中心にヨーロッパで注目され始めた1920年代、藤田は多くの秀作をうみだした。東京近美のコレクションでその時代の作品は1923年の「五人の裸婦」だ。世評に高い「乳白色」の魅力的な表面は、京都近美の「タピスリーの裸婦」に匹敵している。二つとも、装飾的な背景が「乳白色」の皮膚に対抗して前方にせり出してくる。1920年代のアンリ・マチスの絵画を薄く半透明にしたかのようだ。

                 「五人の裸婦」


                「タピスリーの裸婦」

2006年の展覧会で展示されていた作品で、初めてヨーロッパの公立美術館に購入されたといわれている1921年の、色彩感を抑制しながら白と黒とのコントラストを中心にして、前景の人物と背景の壁とを浅い空間のなかで対比させた「自画像」(ベルギー王立美術館)や、翌年の「横たわる裸婦」(ニーム美術館)。この二つには、以後の藤田の作品のすべてが予兆されているように思われた。

                                        「自画像」(ベルギー王立美術館)


                                     「横たわる裸婦」(ニーム美術館)
より重要なのは、人物がこちらを向いた正面視で描かれていることだ。浅い空間、前景と背景とのコントラストや前進する背景。それは、モダニズム絵画の平面性を踏襲している。人物の正面視性は平面性に拍車をかけることになる。

東京近美に展示されている作品のなかの、たとえば1929年の「自画像」では、机から床、そして壁と画面の下から上に向かってジグザグに連なりながら空間が上方に迫り上る。リアルな空間表象ではなくて抽象的で平面的な空間構成だ。歌川広重や、それに連なるエドガー・ドガさえ連想させる。そこに面相筆による繊細華麗な曲線と直線が表面を仕切っている。

               「自画像」1929年


                                                    エドガー・ドガ アプサント

衣服に 注目したい。かすかにグラデーションが施された表面は、曲線で皺が描かれている。絵画のほかの部分から切り離して衣服だけを見つめると、線は空から見た山脈の稜線を想起させずにはおかない。すなわち、連続した表面が稜線を頂点にして左右上下に後退していく。すべての山脈は連続しているので、前と後といった関係をつくることはない。
ピカソが1908年に描いた「三人の女」で、レオ・スタインバーグとウイリアム・ルービンが、ピカソをめぐる論争のなかで指摘した背後のない前方だけの立体感のバリエーションではないだろうか。ここでの稜線の比喩も二人から借用した。

                  ピカソ「三人の女」
立体感はあっても背後がない、すなわち、前景だけというところが重要だ。起伏はあっても表面が連続している。それが平面性の前提条件だ。
ピカソは1908年以後、これを推し進めて、断続的な線で必ず開口部をもつように面を仕切って、画面全体の連続性を維持し、平面的なままで具体的な形象を表現しようとした。いわゆる分析的キュビスム絵画の定番だ。
20世紀前半には、同じコンセプトで違ったイメージの出現が試みられていたことも指摘しておきたい。マウリッツ•コルネリウス・エッシャー「爬虫類」では、何もない平面が仕切られ分割されて形が生まれ、それが、さらに三次元空間にふさわしいように立体に変容していくプロセスが図示されている。空間の次元の違いに応じて存在できる形も違うことが示されている。

            マウリッツ•コルネリウスエッシャー「爬虫類」

形は、それが置かれる場、あるいは文脈によって決定される。二次元空間の平面には、前景と背景、図と地が分節される以前には連続してつながった一つの表面があるだけだ。そこに、何らかの痕跡が施されることによって形が生成され始める。

だが、二次元の平面の場合は、表面の連続性を壊してはならない。なぜなら、表面の連続性を壊すことは、連続した一つの表面が図と地に分節されることになるからだ。前と後ろが生まれる、すなわち、伝統的な三次元的な空間のイリュージョンを出現させかねない。点や線の痕跡によって表面が分割されようとも、表面の連続性は維持されなくてはならない。これが、モダニズムの絵画が要請していた絵画に固有の平面性だったのである。

分割されていようとも連続した表面による平面性と、画面のすべてが見る者の視野に一挙に一つの全体として現れること。
たとえば、バーネット・ニューマンのジップは画面を分割すると同時に結合させてもいた。フランク・ステラの繰り返しは、画面全体が一つであることを壊すことはない。
図と地が分節されないで画面が領域に分割され、しかも結合されていること。画面全体が一つであること。1960年代の「ワン・イメージ・ペインティング」を思いおこしたい。
この二つこそが、モダニズム絵画をモダニズム絵画にさせている基本要件なのではないだろうか。
藤田嗣治の1929年「自画像」での衣服の皺は、全体が連続して一つであるままに、線によって分割されている。その線は空から見た山脈の稜線のような機能を果たしている。表面を切断しながら結合させ、かすかなグラデーションで前方にせり出す奥行きをつくっているのだ。
こうした様子は、2006年の展覧会で展示されていた「ライオンの檻のある構図」での、連なる裸体群像においていよいよ明確になっている。

「ライオンの檻のある構図」

               「アッツ島玉砕」
乳白色とは正反対の黒褐色で全体が覆われると「アッツ島玉砕」になる。「ライオンの檻のある構図」で躍動していた裸体群像は、ここでは連綿と折り重なった死にまみれた兵士群像に変えられている。
けれども、連続した表面を維持したまま線による分割が行われているのは、乳白色の絵画と同じだ。最初期の1921年の「自画像」で用いられていた白に対抗する黒褐色が、「アッツ島玉砕」をはじめとする戦争画で多用されているだけだ。
藤田は、ここでもモダニストのままだ。「ライオンの檻のある構図」や「アッツ島玉砕」のような人物群像の絵画は、妄想をふくらませると、草間彌生のミニマリズム風の網目の絵画に呼び起こす。同じようなモチーフが、画面全体で繰り返されて、表面が連続し画面全体は一つになっているからだ。

                  草間彌生

藤田の戦争画成功の要因は、網目が繰り返されるように、同じような人物を画面全体で繰り返すことで、一挙に絵画の全体が見る者の視野をとらえてしまうからだ。視覚的なインパクトが強い。こうした瞬間性と全体性こそがモダニズムの表現言語の基本だったのである。

話が脇道にそれるが、「ライオンの檻のある構図」と「アッツ島玉砕」とを同じ眼差しで見ていると、会田誠がこれらからインスピレーションをえて、「ジューサー・ミキサー」を描いた気持ちがわかるような気がする。裸体も死体も恍惚とした裸の少女として描かれている。

                  会田誠 ジューサー・ミキサー

蘭印作戦のクライマックス、スマトラ島のパレンバン、パラシュート降下挺身隊の絵画では、藤田は、国民をエキサイトさせる演出効果では、今回、コレクション展で展示されていた鶴田吾郎の「神兵パレンバンに降下す」にはおよばない。
鶴田吾郎の遠景を彩る桜花が舞うかと見まがいかねない降下挺身隊と、見る者の眼前の近景に描かれた攻め込む地上の決死の挺身隊。藤田の同じモチーフの絵画よりも、当時の国民を歓喜させたに違いない。歓喜させた最大の理由は、真珠湾攻撃の成功の記憶を想起させるテーマ「奇襲」が遠景では華やかに、近景では勇壮に演出されていたからだろう。
パレンバン降下では、鶴田吾郎は遠景と近景を画面の上と下とで対比させることで、遠景も近景も同一平面上で一挙に見る者の視野をとらえてしまう。こうした平面上での対比こそがモダニズム絵画の本領だ。

                                    鶴田吾郎の「神兵パレンバンに降下す」


              藤田嗣治 大空に花と咲く挺身落下傘部隊の活躍 パレンバン

藤田が「奇襲」をテーマにして描いた別の絵画が、東京近美に展示されていた。 「神兵の救出到る」だ。
降下挺身隊のその後の光景だ。オランダ人によって奴隷状態にされていた原住民を救い出す日本神兵。ドアを開けて侵入した神兵と、彼を見つめる猿ぐつわの女子原住民。前景の部屋には酒瓶や衣類が散乱している。たった今まで、享楽の宴が催されていたことを物語っている。

               「神兵の救出到る」
藤田は、ここでは、モダニズムの瞬間性と全体性とは異なる、時間的で物語的な表現に挑戦している。
一挙に出来事が炸裂する、いわば、モダニスト言語的な「奇襲」のテーマを、それとは異質な物語的な表現へと展開させようとしているのだ。
物語は、西洋風に左から右へと展開される。左の壁には大きな絵画がかけられている。暗くてよくわからないが、「奇襲」や救出に関わる絵画のテーマを推測してみると、ギリシア神話のプロメテウスを救出するヘラクレスあたりではないかと思う。
掛けられた絵画の手前には花鳥画のように鳥が大きく描かれた衝立てが置かれている。絵画の中の左側のプロメテウスは人間に火を教えたために、昼間、肝臓を鷹についばまれるという過酷な罰を与えられて岩山に縛られている。英雄ヘラクレスが鷹を殺して助け出すのだ。



日本の蘭印作戦は燃料エネルギーの石油確保が目的だった。火力のもとになる石油を所有しているはずなのに、今は奴隷状態で半西洋化した原住民女子を英雄の日本人神兵が救出する。「火」=「エネルギー」がキーワードになっている。藤田はこう構想したのだろうか。
けれども、藤田は物語的な表現を試みているだけではない。全体を一挙に知覚、というモダニズムの基本に、ここでも忠実だ。
壁の絵画とこの部屋の光景は、上と下とでシンクロしてわたしたちの視野を一挙にとらえてしまう。壁の絵画のサイズはかなり大きい。
ここでは、モダニズム絵画の典型的な方法「並置」が使われているとみなすことができる。
コラージュやシュルレアリスム絵画での異質なものの「並置」、モンドリアンの色面の「並置」などは、たとえば、1970年代のブライス・マーデンのようなミニマリズムの「分割」によってあらたな展開をした。
モチーフ同士の「並置」は、逆から考えると、全体の「分割」なのだから。共に平面性が前提にあってはじめて機能する。


                                       パブロ・ピカソ 紙によるコラージュ絵画


               異質なものの上下での並置
             ルネ・マグリット アルンハイムの領土


                                      ピート・モンドリアン 赤黄青のコンポジション チューリヒ美術館


 ブライス・マーデン  For Pear

「神兵の救出到る」に戻ろう。
衣類などの日常雑貨が散乱し荒廃しかけた部屋で猿ぐつわをされた原住民女子は、日本兵の察知を遅らせるために、あわてて脱出したオランダ人によって縛られたのだろう。
ネックレスや白い西洋風の衣裳の様子から召使いとは考えられない。現地妻とか情婦だと考えてもいいように思う。いずれにしても、西洋人と西洋文化の虚飾の麻薬に侵されているということが着眼点だ。
テーブルの上には百合ではないだろうが、長い花びらの白い花が器にいれられていて、女に部分的に重なっている。



唐突だが、このシーンに「受胎告知」を、わたしは思わず連想してしまった。
神の使いである神兵は天使ガブリエル。西洋の文化に染まっていた女は、乱れきった西洋社会(部屋)に囲まれながらも、自分で気づかないうちに「神=日本」の子どもを宿していたわけだ。受胎を告知されるマリアが重なる。


                                   シモーネ・マルティーニ 受胎告知


                                               藤田嗣治 受胎告知 1927


                                  「神兵の救出到る」 兵士と女

テーブルの下には猫がうずくまって神兵の方を見ている。猫は藤田の分身といってもいい。だとしたら、女は西洋文化の渦中で生活してきて、いままさに、「奇襲」の稲妻のように「日本文化」という神の子を宿していることに、いまさらのように気づいた藤田自身だとさえ思いたくなるほどだ。
モダニスト藤田嗣治は、ここでは同時に皇国の国民でもあった。

奥の部屋を見てみよう。
左の窓の下の台に置かれているのは化粧品やスタンド類なのだろうか 。
手前の部屋が男子の部だとしたら、男子の部屋に入れ子状になった奥の部屋は女子の部だ。壁に掛けられた絵画は、どうやらヴィーナスに鏡かなにかをさし出しているキューピッドのようだ。
化粧とヴィーナスと鏡だとしたら、女子の虚栄がテーマということになる。




手前の部屋の「救出」、奥の部屋の「虚栄」。二つの部屋は対になって「並置」されている。同時に、手前の部屋の壁の絵画とフレームに入れられたような奥の部屋も「並置」されているのではないだろうか。
「神兵の救出到る」では、「奇襲」という瞬間的なもの、あるものと別なものとの「並置」による同時的な対比といったモダニズム絵画の平面に即した基本言語が用いられている。そうしながら、それとは異質な時間的で物語的な表現が試みられている。
「並置」はモダニズム絵画のなかでは「繰り返し」と異母兄弟だ。「分割」はそれらと表裏一体の関係になっている。

ここでの物語的な表現を三次元的な対象の表現に置き換えれば、藤田のほかのすべての絵画にも該当する。極端にいえば、ピカソの「三人の女」や分析的キュビスムなどの絵画と同じようにモダニズム絵画の問題にアプローチしているのだ。
こうして、藤田は、戦争画であろうと裸体画だろうと自身のすべての絵画で、藤田が生きた20世紀のその時代に寄り添い、時代の先端的なモダニズム絵画の方法を咀嚼して活用していたことがわかる。
藤田嗣治は、いつも、モダニストだったのである。
(はやみ たかし)

※東京国立近代美術館で2015年12月5日に取材したすべての展覧会がもとになっています。
※画像は東京国立近代美術館発行の図録、その他から再録しました。