辰野登恵子さんの葬儀があったのは2014年秋だった。
国立新美術館で親友の柴田敏雄さんと二人展が開催されて、これまでにない大判の図録がつくられたのは、それの2年前の夏だった。
死後3年半、杉並区の辰野登恵子さんのアトリエは生前のまま維持されているとのこと。
最近、三上豊さんによって「辰野登恵子のアトリエ」が編集、刊行された。
隅々からも探し出した画家のアトリエの一つ一つ、身の回りの物、読んだ本、作品とそれについての画家のコメントが薄暗がりにさしこむほのかな光のように記録されている。
そして、最後、マチス「画家のノート」から引用された「私の感情にとって空間は水平線から私のアトリエの室内に至るまで一体をなしていますし、通り過ぎる舟は私の周囲のなじみの品物と同じく浮かんを生きている」で始まる<アトリエをめぐって>では、回顧のなかで画家の姿が組み立てなおされている。
アトリエ玄関脇の花咲くミモザの光景ではじまった本書の最後は、緑濃いミモザがアトリエをおおっているシーンで閉じられている。
想いでは、いま、ここでつくられる。
「アトリエの画家」の珠玉のドキュメンテーションだ。
いつまでも眺めていたい。
旧知の大石一義さんの辰野さんの制作への支援、わたしの心に深く留めておきたい。
眺めているうちに、なぜか、かつて見た写真を二つ想いだした。
一つは辰野さんなど三人が写された写真。
辰野さんの親友、鎌谷さんの遺作展が開催されたのは2011年2月だった。
鎌谷さんにはわたしが企画した展覧会にもだしてもらったことがある。遺作展に際してつくられた鎌谷さんの作品集の図録に掲載されていた一枚の写真にわたしの目が釘づけになったことをおぼえている。
1972年、三人が学生のころのようだ。
辰野登恵子さん芸大時代の親友、鎌谷伸一さんと柴田敏雄さんと一緒に、多分、辰野登恵子さんの実家に行き、諏訪湖畔で撮影したのだろう。
わたし自身も、自分の学生時代のわけもなく華やいで、どこかほろ苦い気分鬱屈した気分がよみがえる。
もう一枚は、戦後すぐにしばらくパリに滞在していたアメリカのアーティスト、エルズワース・ケリーの画集に掲載されていた写真だ。
エルズワース・ケリーのニューヨークのアトリエの、多分、屋上なのだろう。
中央でタバコを加えているのがエルズワース・ケリー。
右端はアグネス・マーティン。
右側のしゃがんでいるのがジャック・ヤンガーマンと彼の子ども。
左端にいるのがヤンガーマンの妻、デルフィーヌ・セイリッグだ。わたしが学生時代に見たアラン・ロブグリエ作、アラン・レネが監督した映画「去年マリエンバードで」の主役だった。
新宿、伊勢丹横のアートシアター新宿文化で見た。
黒木和雄監督で加賀まりこがでた「飛べない沈黙」もここで見た。
そういえば、エルズワース・ケリーの画集は「美術手帖」にいたころの三上豊さんの依頼で書評を書かせてもらったのだった。
30年以上も前になるのだなあ。
*『辰野登恵子のアトリエ』
編集&テキスト;三上豊
撮影;桜井ただひさ
発行所;株式会社せりか書房
2018年2月15日発行