「川沿いの牛の群れ」
油彩 カンヴァス 32×46,5cm
ル・アーヴル アンドレ・マルロー美術館
「ノルマンディー展 近代風景画のはじまり」、東京、新宿にある東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館で開催中です。
フランスのノルマンディー地方というと、第二次世界大戦やジャン・フランソワ・ミレーでとりわけ知られている。
ノルマンディー半島のつけ根ともいえるセーヌ川の流域のル・アーヴルやオンフルール、サン・シメオン、サン・タドレス、トゥルーヴィルなどの町は、野外での「近代的」レジャーと印象派とによって、フランスの「近代生活」の様子が、日本のわたしたちにも知られるようになった。
これらのセーヌ川の流域の町は、いまでも印象主義の聖地だ。
かつてセーヌ川の潮津波に乗ってノルマン人がパリに遡上しようとしたように、19世紀半ばには、印象主義の潮津波がル・アーヴルやオンフルールからパリ近郊へと逆流してきたのだった。
この展覧会は、ノルマンディーで新たに展開された「近代生活」と従来の田園生活とが二重映しになって提示されている。
19世紀以後の風景画は、伝統的な自然主義絵画から、感覚可能な「もの」を描くレアリスムや、感覚可能な究極は「もの」ではなく光だったとする「目の中で生産される色彩」の発見の影響を受けた印象主義、そして、新印象主義を経て20世紀初頭のフォーヴィスムへの流れを、絵画メディアの特性にもとづいた、自律的で還元的な進化のプロセスとしてとらえられてきた。それが「近代化」だった。
いわゆる筆触分割=色彩分割による細切れのタッチによる小面は、フォーヴィスムにいたって大きくフラットな色面のコントラストとして実現されることになった。そのとき、近代絵画は自律したというのが絵画の言説空間の中で大きな物語となったのである。
他の芸術メディアにはない絵画の固有の特性が、絵具のタッチ、限定された画面型、平面性の三位一体にあるとみなす考え方にもとづいている。
こうした「絵画の進化論的な流れ」はわかりやすく辻褄があっているように思われる。モダニズムの言説空間では長い間、説得力ある絵画物語として機能してきたのはそのためだ。
しかし、「絵画の進化論的な流れ」という近代絵画の神話は、ロザリンド・クラウスやハル・フォスターのみならず、今では、多くの論者によってディスロケーション(脱臼=転位)されているのは周知のことだ。
わたしは、今回、ブーダンの絵画に、とても魅力的ななにごとかを見いだした。
たとえば、ブーダンの牛の絵の前で、2006年、国立国際美術館で開催されたエッセンシャル・ペインティング展のセシリー・ブラウンやリュック・タイマンスを素朴に連想しないわけにはいかなかった。当然、17世紀のパウル・ポッターの時間が停止した空間の中の雄牛も想いおこしたのだが。
こんなことから、ブーダンをきっかけにして、「描く」ことについて「近代絵画」の言説を批判的に回顧しながら再考してみるのは興味深いことだと考えるようになった。
近代生活を「いま、ここ」のポジションから描いたブーダンや印象主義者たちは、どうして細切れのタッチやストロークを用いたのか。
濁っていない明るい色彩を画面上に実現するためだとか、現実から受けた感覚、すなわち色彩の同時対照のような目の中で生産される束の間の網膜現象を即興的に素早く画面に定着させるためだとかと説明されてきた。
敷衍すれば、目の前の現実から、手の下にある画面や絵の具というメディアへ、つまり描くべき対象から描かれるべき絵画そのものへと関心が移動したのだと考えられてきた。モダニズムの王道的言説である。
「近代化」のプロセスにおいて、対象から絵画そのものへと「主題」が移動したということだ。
印象主義から新印象主義、ポスト印象主義、フォーヴィスムを経て、その途中で象徴主義をミックスすれば、「自然から抽象へ」というモンドリアンのキーワードも素直に飲みこみたくなる。実際、わたしたちはそう理解してきた。
だから、目に見える現実の再現から、目に見えない精神性の表現という20世紀絵画の大文字の主題は、モダニズムの進化の必然的帰結だということになる。
けれども、こうしたモダニズムの文脈とは違う場面もあった。
たとえば、アメリカのモダニズムの一つの到達点だとみなされているバーネット・ニューマンでさえこんなことを記している。
カオスに渦巻く自然を前に畏怖の感情にとらえられた最初の人間は、地面に一本の線を描いた。
「描く」ことの始まりは魔術的なもので、再現的なものではなかったのだと主張している。
「自然から抽象へ」あるいは「再現から絵画それ自体へ」ではなく、「抽象から自然へ」あるいは「描くことから再現や絵画へ」と言った方が人の「絵」の進化の説明として説得力があるかも知れない。
ブーダンをモダニズムの文脈からはずすと、画面につけたタッチが、他のタッチとの関係で、ある場所では牛になり、別な場所では雲や空になっているだけなのだと考えることができる。描くことはほとんど降霊術的な行為ではないか。
一つのタッチが、一つのタッチのままで、イメージを受肉する瞬間があるということだ。
ダブルネスとか二重像、あるいはメタファー、さらに意味の方向を違えて、アナグラムということもできるのだろうか。
絵画に近づいてみるとタッチの集積だが、離れて遠くから見ると形象が見えてくるといったこととは異質なことがらだ。
パリコミューンのころ、クロード・モネが妻子とともにイギリスに向かう前に、トゥルーヴィル海岸で描いたストロークによる習作的な絵画も、「ノルマンディー展」で2点展示されている。それを眺めているとこんなことが想いおこされた。
ニューヨーク近代美術館のピーター・ガラシは写真の始まりについて述べながら、伝統的な風景画から印象主義の風景画への推移を、広く当時の西欧の風景画全般を視野にいれて「構想画からスケッチへ」、言い換えれば「フォーマルからカジュアルへ」とでもいえるような見方を提示したことがあった。それはそれで十分説得力があった。
でも、そうした見方を越えて、モネのこれらの絵画は、描くことの原初の地点への退行ではないのだろうかとさえ思わせられた。
ブーダンやモネの絵画のタッチやストロークは、ジャン・フォートリエなどの1950年代のアート・シーンを席巻したアンフォルメルの「ジェスト(身振り)とマチエール(物質)」とは違っていることは、誤解のないようにつけ加えておかなくてはならない。
「ノルマンディー展 近代風景画のはじまり」は、主催者の意図とは違って、印象主義に始まりフォーヴィスムやキュビスムによって20世紀初頭には早くも完成されていたモダニズム絵画の自律性という文脈とか、近代生活、「いま、ここ」といった定番ボキャブラリーを括弧にいれて、絵画での「近代」の始まりを見直さなくてはならないとさらにいっそう感じたのだった。
(はやみ たかし)
※「ノルマンディー展 近代風景画のはじまり」(東京、東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館 9月6日〜11月9日)から取材しました。