2014年6月11日水曜日

円山応挙 「藤花図屏風」 根津美術館ー立ち上がる、すだれる。舞う、うねる。(後編)ー


Inter-text 連載「見ることの誘惑」(全53回)
第三十回  立ち上がる、すだれる。舞う、うねる。(後編)
円山応挙 「藤花図屏風」  六曲一双 江戸時代 根津美術館 東京

早見堯

  円山応挙 「藤花図屏風」  六曲一双 江戸時代 根津美術館 

円山応挙「藤花図屏風」と、尾形光琳「燕子花図屏風」を同じ部屋のなかで見ると、ずいぶん趣が違うことがよくわかる。

光琳「燕子花図屏風」の燕子花は、重力に逆らって垂直に立ち上がる緑の葉に対して、空間に浮かんで漂う藍色の花。
茎と葉とで緑色に差がつけられている。花も濃淡二色の藍色。
応挙「藤花図屏風」では、重力にしたがって垂れる藤の花に対して、空間を上下や前後左右にくねりながら舞うかのような幹。細密に描かれて静かに垂れ下がる藤の花と、いわゆる「付けたて」法で一気呵成に描かれたからなのだろうか、スピード感のある幹。
光琳の葉と花の関係は、応挙では花と幹との関係に対比することができる。
その結果、光琳の燕子花では上昇と無方向的な漂い、応挙の藤では下降と上下と前後への乱舞といった風情をかもしだしている。

けれども、一方で、両方の屏風の背景の金地は平面性と微妙な輝きとで、燕子花と藤を屏風の画面にがっちり位置づけさせると同時に、逆に、自由な上昇や漂い、下降や乱舞をひきたててもいる。
ここは、逆かもしれない。
藤の花が垂れ下がったり、幹がくねったりといったことは、現実の束の間の出来事でしかない。
特に花が開くのは一年間のほんの短い期間だ。
藤の花を愛で、幹の乱舞に心を動かされるとしても、それは、世界の片隅でたまたま生まれ、すぐに消えてなくなる現象でしかない。
身近な日常の断片でしかない藤の花や幹は、背景の金の、現実を包み込み、そして現実を越えて泰然自若とした不変の宇宙の匿名的な輝きの引き立て役であるかのようにさえ感じさせる。
背景の金が釈迦の手のひらだとしたら、手のひらの上の悟空が藤の花や幹ということだ。
屏風の右でも左でも、藤は屏風の上下で断ち切られている。左隻では屏風の左でも断ち切られている。
広い宇宙の一断面、束の間の視野のなかの出来事だと感じさせる。
なんだか、芭蕉の「不易流行」を想いだしてしまう。
移り変わる幻のような日常に流行する出来事と、それを包み込む不易の宇宙。
そんなシーンを想像してしまう。

あるいは、そもそも、応挙「藤花図屏風」は、屏風という物理的に限定された画面のなかで完結することを拒否しているのではないだろうか。
限定された矩形の画面という前提がなければ、中心もあるわけがない。
いわゆる統一されたコスモスにはなりえない。
一点透視図法の遠近法を想いおこしてみればすぐに了解されるが、線遠近法は奥行きの表現以上に、限定された画面に描かれたもう一つの現実世界に、統一や秩序を与えることがより重要な役割だった。
応挙「藤花図屏風」では、いろいろな意味での統一性がない。中心がないからだ。
これこそが日本の絵画のほとんどに見いだされる基本的な特質ではないだろうか。

もっと別なシーンもある。
上昇と無方向的な漂いとか、下降と上下前後への乱舞といった対立する力と動きの絡み合いは、見ていると凛とした感情をかきたてられる。
そうすると、別なイメージへと連想が広がっていく。
応挙の藤、特に幹は水墨画で描かれる龍をイメージさせる。
応挙自身の龍もある。それとは少し雰囲気が違う。
永徳とか等伯、あるいは蕭白のなどの龍のイメージを想い浮かべてみる。藤の幹が龍なら、藤の花は雲ということになるだろうか。
応挙の藤の幹は、ことさらに静止的な花に対抗して動的に描かれているような気がする。
東京国立博物館にある「振袖 鶸色縮緬地桜藤菊尾長鳥模様」では垂れ下がる藤の花は左右に揺れた状態で織りこまれている。その方が他のモチーフと関係をつけやすいためだろう。他のモチーフの桜や菊、尾長鳥などとゆるやかに融和している。
左右に揺れることなく垂直に垂れ下がる応挙の藤の花は、だから、幹に鋭く拮抗していることになる。



描かれた松、特に雪をいただいた松は、応挙の藤にもっと似ているかもしれない。
三井記念美術館の「雪松図屏風」左隻の雪松と応挙「藤花図屏風」右隻の藤花はとても似ている。



雪の重みで下に垂れる松の葉叢,右上に向かう太い幹に対抗して水平方向から少しずれて左下に向かう幹。木の枝振りの定番が踏襲されているにすぎないとしても、藤の幹のくねる乱舞よりも力強い動きを感じさせる。
応挙の藤花に比べると、冷たい雪をおおらかに受け止める骨太で、ゆったりとした雰囲気をかもしだしている。

円山応挙の「藤花図屏風」を尾形光琳「燕子花図屏風」と比較しながら見ていくと、単独で見たときとは違った発見があり、多様な感情的な経験をもたらしてくれたのだった。

円山応挙の「藤花図屏風」と尾形光琳「燕子花図屏風」を見てから、すぐ後、国立新美術館で中村一美の絵画を見た。

拮抗するモチーフ、作品を見てかきたてられる感情、そしてなによりも画面の中で完結することのない空間や中心のなさなど、応挙やそれ以外の日本の絵画に想像が広がっていくのは、とても爽快だった。
中村一美の絵画を初めて見たのは、1985年の東京芸大会館での「風景展」だったのだろうか。力強いY型が印象的だった、力のある絵だと思いながら躊躇する気持ちもあった。あからさまに象徴的であると同時に具体的な垂直のモチーフを感じさせられることに戸惑ったことを憶えている。以後、藤野の野外の立体や、昨年の南天子の「聖」を見ても、Y型がなぜか鮮烈によみがえってくるのだった。
国立新美術館で今年の3月から5月にかけて開催された「中村一美」展を見て、Y型がはじめて納得できた。すると、あらたな眼差しで中村一美の絵画を見ることができるようになった。

逆さまにすると少女の顔が浮かびあがるかのような、逆カンディンスキー体験をもたらす「存在の鳥」を含めて、次回は「中村一美」展について書いてみたい。
(はやみ たかし)