「見ることの誘惑」第二十七回
「あいだ」だけ、または「あいだ」なし-その1
篠原有司男
「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」
「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」
1964年
蛍光塗料、ラッカー、カンヴァス、石膏、ビン(コカコーラ)
蛍光塗料、ラッカー、カンヴァス、石膏、ビン(コカコーラ)
横浜美術館
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「中原佑介美術批評 選集」刊行を機会に、「中原佑介を読む」と題した連続講演会が開催されている。
わたしは、1月14日、横浜のバンク・アートで「中原佑介美術批評 選集」第六巻から「現代彫刻」の中の一テキスト「組み合わせと複合」を取りあげて話をした(注)。
1960年代美術批評の問題群の一つは、宮川淳が主張する「表現過程の自立」だった。
もう一つは、ミニマル・アートに関してアレン・リーパなどの主張する作品についての知覚的経験や、ミニマル・アートがもたらす作品の経験を否定的とらえたマイケル・フリードの「演劇性」だった。こちらを、わたしは「知覚過程の自立」と名づけておきたい。
「表現過程の自立」は作者と作品との「あいだ」、つまり「つくる」ことの問題。「知覚過程の自立」は作品と観客との「あいだ」、すなわち「見る」ことに関わることがらだ。
わたしは「中原佑介を読む」で、中原佑介のミニマル・アートやアース・ワークなどを中心に論じた「「組み合わせと複合」を、「表現過程の自立」と「知覚過程の自立」と絡めて読み解こうとしたのだった。
わたしの読解は、「美術手帖」2月号(2月17日発行)で、島田浩太郎さんによってたくみにまとめられている。
バンク・アートでの講演の直前、横浜美術館を訪れた。
そこで期せずして、篠原有司男「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」を見ることができた。以前とはわたしの感じ方が違っていて、とても興味深かった。
篠原有司男のそれは、「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」論議が進行中の時期につくられた作品だ。
「反芸術」論争、ポップアートに関連した「芸術の日常化」をめぐる議論なども、「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」と相互に関係しあっている。
横浜美術館コレクション企画展「ともだちアーティスト 収蔵作品でつづる芸術家の交友関係」(4)
<後日本とアメリカ、具体とネオダダ>展
<後日本とアメリカ、具体とネオダダ>展
わたしが、ここで、数回、断続的に問題にするのは、上記のことを前提にして、次のようなことだ。
篠原有司男「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」を中心に、篠原有司男が自分の「イミテーション・アート」として依拠した、アメリカの本家ネオダダ、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの作品を読みとりなおし、それを再び篠原有司男の作品にフィードバックさせ、同時に「表現過程の自立」や「知覚過程の自立」を再考してみたい。
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「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」がつくられた1964年、篠原有司男は、新宿の椿近代画廊でのネオ・ダダ・オルガナイザーズの流れをくむ仲間との「オフ・ミューゼアム」展を初めとして、神田の内科画廊での「篠原有司男、初夏をうたう」など、東野芳明によって命名された「反芸術」運動の渦中にいた。
同じ年か翌年あたりか、「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」の系列の「コカコーラ・プラン」がシェル美術賞展で展示されていたのを見た記憶がある。
1964年のシェル美術賞展では、他方では、オプティカル・アート系のネオ・ジェオメトリックの名称を冠したグループのアーティストが台頭していた。
篠原有司男の作品は、先の系列の次が「花魁」シリーズだったと思う。
1965年、高松次郎が「影」で1等賞をえたシェル美術賞では3等になっている。このときの作品が「花魁」だったのではないだろうか。
共に、篠原有司男がイミテーション・アートと自称していた作品だ。
「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」と「花魁」は同じ問題にアプローチしている。
横浜美術館の「ともだちアーティスト(4)戦後日本とアメリカ、具体とネオダダ」の部屋では、篠原有司男の「ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)」と一緒に、アメリカのロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズの作品が展示されていた。
当時、ラウシェンバーグとジョーンズというと、日本の現代美術シーンでは、アヴァンギャルド・アーティストにとって飛びぬけた里程標だった。
イミテーション・アートのころ、篠原有司男はボクシング・ペインティングもやっていた。ボクシング・ペインティングの方が早いのかもしれない。
わたしがボクシング・ペインティングなるものを知ったのは、伝説の編集者大田三吉が短期間刊行した1964年の雑誌「現代美術」誌上でだった。中原祐介の評論を読んでなるほど、と思った記憶がある。中原佑介の主張がどういうものだったのかは、明確には記憶していない。
「早く、美しく、リズミカルであれ」をモットーとする篠原有司男は、たとえば、今年の「美術手帖」1月号で次のように語っている。
「『早く』は、考えないってことなんだよ。考えちゃうと美的感覚が頭をもたげて、美しいものに憧れたり、それを享受しようとする弱点がでるからさ・・・」
岡本太郎を彷彿とさせなくもないこの発言は、しかし、当時の現代美術での共通した問題意識だった「つくる」とか「描く」ということと深くかかわっている。
中原祐介は1961年に刊行した初めての著書「ナンセンスの美学」でも、「アクション・ペインティング」のジャクソン・ポロックと、「アンフォルメル」のジョルジュ・マチューを比較しながら、「描く」ことについて記している。
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宮川淳が1964年に「美術手帖」誌上で東野芳明の「反芸術」をめぐって論争したときの、「表現過程の自立」も「つくる」や「描く」に関わったことがらだった。
「表現過程の自立」とは、作者と作品との「あいだ」の問題だ。
他方、作品と観客との「あいだ」の「見る」ことを問題化したのは、同じ1960年代のミニマル・アートだった。
マイケル・フリードはリテラリスト・アート(いわゆるミニマル・アート)を「演劇性(シアトリカリティ)」として否定的に取りあげた。まとまった自立的な空間をもたなくなった作品を前にすると観客の重要さが増す。作品が自立的な不変の表現をもたなければ、作品のもっている表現性から作品を通してそれぞれの観客が受け取る経験へと重点が移動する。これがフリードの「演劇性」のポイントだ。
デイヴィッド・スミスやアンソニー・カロの彫刻を前にすると、いつ、いかなる瞬間にも、作品が完全な姿でたち現れる、と、フリードは「確信」をもって語る。作品のなかに不変の表現があらねばならない。
リテラリスト・アートの作品を前にしたときの「時間の持続」の感覚は、フリードにとっては「演劇性」として否定されるべき経験のあり方だった。だから、スミスやカロは最後のモダニスト彫刻家なのだということになる。
ミニマル・アートに関しては、もう一つ別な立場もある。
フリードの「演劇性」を逆にポジティブな価値としてとらえる、いわば「知覚過程の自立」ともいえるような考え方だ。
作品と観客との「あいだ」の「見る」ことにかかわる問題である。
1960年代はこうした「あいだ」へ関心が深まった時代だった。
「つくる」ことと「見る」こと。メディアやメディウム、媒体や媒介といった単語がキーワードだ。マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」を想いだしておきたい。(つづく)
(はやみ たかし)
(注)中原佑介「現代彫刻」は1965年に角川新書の一つとして刊行された。1982年に美術出版社から同名で再刊されるときに追加されたのが「組み合わせと複合」である。著者も再刊の「あとがき」で危惧しているように、「組み合わせと複合」は他の8編のテキストと並べると唐突な感じはいなめない。そこに評論家中原佑介の成長というか変貌をうかがうことができる。
※この文は1月14日「中原佑介を読む」講演(バンク・アート)と横浜美術館コレクション企画展「ともだちアーティスト 収蔵作品でつづる芸術家の交友関係(4)戦後日本とアメリカ、具体とネオダダ」から取材しました。