2016年12月11日日曜日

小鶴幸一 Grid Composition 幾何学と繊細さ

 「見ることの誘惑」第四十九回
幾何学と繊細さ
小鶴幸一 「Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


             Grid Composition-CVB2016年 85×85cm


小鶴幸一の最近の絵画は「グリッド・コンポジション」と名づけられている。使われる色彩はグリーンとレッド・オーカー、ブルー、それにブラック。フラットな色面とグリッドの組み合わせの様子で多少異なる彩度や明度で使われる。色面とグリッドは、ハード・エッジでフラットな接合や並置にもかかわらず、それとは違う重なりや「ずれ」などを視覚的な現象として生じさせ、画面にかすかな波立ちを与えている。
その結果、凛として爽快、たおやかにして優美な雰囲気がうまれている。ハードで人工的な器にソフトで自然的な気分が宿っているといってみたい。ピュアなのにセンシブルだ。

Grid Composition-CVB」を見てみよう。
正方形の画面が太いブラックの仕切り線でグリッド状に四分割されている。画面の上下左右の中央に仕切り線が配置されているので、上下と左右とで対称の静的な構図だ。
けれども、他の三つの正方形よりも大きい右上のグリーンの正方形は、画面のフレームにかかっていて、他の三つと違い、上と右に向かう広がりを感じさせる。そうすると、左下のホワイトの正方形と対角線上で関係づけられる。それにともなって左上のグリーンと右下のブルーの色面も斜めの関係をもつ。
右上のグリーンの正方形によって、対称的な基本構図がわずかに差異化され、ずらされて、静謐なままで、それとは異質なかすかに揺れる収縮と拡張のリズムをかもしだしている。
東京のギャラリー58で、これと同じ構造でサイズの小さい絵画を見たとき、わたしは、なにげなく、根津美術館にある尾形光琳の「燕子花図屏風」を連想してしまった。なぜなのだろうか。

                                               尾形光琳「燕子花図屏風」6曲一双の右隻

「燕子花図屏風」は金地に緑青のグリーンの葉と群青のブルーの花弁が細いブラックで縁取られている。グリーンとブルーの燕子花は、光をたたえた金地の平面上で重なったりずれて融合したりしながら配置されている。厳しいフラットな構図のなかで、燕子花は優美なリズムをたずさえながら凛として息づいている。こうした雰囲気が「Grid Composition-CVB」に「燕子花図屏風」が、わたしのなかでずれながら重なった理由なのかもしれない。

Grid Composition-NUB」はどうだろうか。
                                         Grid Composition-NUB」2014年 164×68.5×4.5cm

Grid Composition-CVB」とは反対に、垂直方向で建築的に構図がつくられている。視線を分散させ面の境界をやわらかくするブルーの縦長の色面に、視線を透過させるが、形にメリハリをつけるブラックのより縦長のグリッドが、寄り添うように並置されているので、色面とグリッドが前後で重なっているかのようなイリュージョンが生まれている。
画面上方ではグリッドが後ろで色面が前、それ以外ではグリッドが色面の前にあるかのように見える前後での重なりと「ずれ」。しかし、それは、画面の最下部で色面とグリッドが水平にそろえられていることでフラットにバランスをとり直している。大地に根づいた巨木や高層建築に似た雄大で力強く、それでいて、伸びやかな開放感が生まれている。
Grid Composition- NUB」は、人工的で幾何学的なハードな構造体が、自然的で「繊細」なソフトなフィーリングをたたえているル・コルビュジエの建築にとてもよく似ている。
ここでは、理性的なものが感性的なものと、あるいは、幾何学的なものが「繊細」なものと絶妙なバランスで共存している。

ここで、こんな逸話を想いだしてみたい。
理性的なエレメンタリズムのアブストラションを創始したピート・モンドリアンは、大戦のさなかの1940年、ニューヨークに移り住む。「アメリカで見たもっとも興味深い作品」だとモンドリアンがペギー・グッケンハイムに進言したのは、ジャクソン・ポロックが反理性的なオートマティスムを応用して描いたモンドリアンとは正反対の「速記の人物」(1942)だ。

                             ジャクソン・ポロック 「速記の人物」 1942年

ペギーの二十世紀美術画廊で開催された「ヤングアーチストの春のサロン」展(1943)で展示された。モンドリアンは自分の絵画の外観とは逆のセンスももっていたわけだ。
ル・コルビュジエと同じように、モンドリアンは、理性と感性、幾何学と「繊細」とのバランス感覚が絶妙だったのである。
小鶴幸一の「グリッド・コンポジション」は、絵画のこうした場所に位置している。

(はやみ たかし)
*このテキストは次の展覧会図録のために書かれました。
「小鶴幸一展」ギャラリー58  201695日〜10日 東京
       ギャラリーとわーる 20161115日〜27日 福岡


                                                                                

2016年11月11日金曜日

水本修二 「空間関係」ー「身体感覚と空間」

「見ることの誘惑」第四十八回
「身体感覚と空間」

水本修二 「空間関係」 
      高さ約400cm 直径約400cm 耐候性鋼 ステンレス
      北海道子府町 レクレーション広場(協成)
      ※東京、青山の「こどもの城」から移転設置 

         セレモニーで挨拶する水本修二ご子息と展示風景(撮影 伊藤誠

彫刻は設置場所と深い関わりがある。
ミケランジェロの「ダヴィデ」はフィレンツェ共和国の再出発の決意表明のために、市庁舎ヴェッキオ宮殿前のテラスに置かれなくてはならなかった。
パリで生まれた「自由の女神」は、パリからニューヨークに運ばれて、自由を具体的に実現するアメリカの象徴として啓蒙の灯明を高く掲げて、その地に根づいている。

東京、青山の「こどもの城」から生まれ故郷、北海道子府町に移転設置された水本修二の記念碑的な彫刻「空間関係」はどうだろうか。

空間を抱きかかえながらやわらかい曲面を描く鋼板。それに、ふわっともたれかかる厚みのある矩形のステンレス板。
曲面と矩形のように、鋼板とステンレス板は、とても対比的だ。光沢のない鋼板に対して光沢のあるステンレス板。暗いグラデーションを漂わせながら空間を巻きこむ鋼板に対して周囲の空間を反映して輝くステンレス板。
二つの関係のあり方が作品のポイントだ。

けれども、異質な二つの関係だけ見ていては水本の作品を見たことにはならない。
対比的な二つは、強く自己主張してはいない。むしろ、自分の存在を軽く希薄にして、周囲の空間に融けこんでいる。そうして、二つの物体の存在感や関係よりも、二つが関わって生成している空間を顕在化させている。

もう一つ注目したいことがある。
重い二種類の鉄が、重さから解き放たれて、さりげなく、置かれているかのようではないか。わたしたちが、作品を見るために立っているのと同じ地面の延長線上、すなわち、わたしたちの日常が営まれているのと同じ場所に作品が置かれているのである。
曲面状の鋼板の緩やかな動き、矩形のステンレスのもたれかかりの均衡の危うさ。高さが4メートル程度あるので、動きと均衡の危うさは、見ているわたしたちの身体感覚をダイレクトに刺激する。

            水本修二「空間関係」反対方向から(撮影 細井篤)

わたしは、水本の北海道に設置された「空間関係」の画像を見ながら、リチャード・セラの彫刻やジョルジュ・スーラの絵画を想いおこさないわけにはいかなかった。
見ているわたしたちと同じ日常的な場に置かれて、ダイレクトに身体感覚を刺激するのが、リチャード・セラが、1977年、カッセルのドクメンタⅥ展でフリティツアヌム城前に設置したランド・マーク「ターミナル」。
ドクメンタⅥ展ではフリティツアヌム城内の小部屋に置かれた原口典之のオイルの作品と並んで、とても印象深かった。あるいは、アムステルダムの市立美術館のテラスから見た鉄板を組み合わせて立てられた同じようなセラの彫刻。
セラの他のシリーズ「プロップ(支え)」も同じように、わたしたちの身体感覚に訴えかけてくる。
水本の「空間関係」よりももっと激しく身体感覚を揺すぶる。

       リチャード・セラ「ターミナル」カッセル、ドクメンタⅥ、フリティツアヌム城前

「空間関係」は、天から舞い降りてきた天女のような軽さと、さりげない日常的な束の間的な動きとを感じさせないだろうか。そして、軽さや束の間の一過性が、それとは逆の、不動の永遠として凍結されてしまったようにも見える。
そうだとしたら、唐突なようだが、わたしは、ジョルジュ・スーラの「シャユ踊り」を連想しないわけにはいかない。空間を巻き込む踊り子のスカート、それを支え、あるいはもたれかかるかのような画面左側の垂直の柱や手前の固い弦楽器奏者。日常の猥雑な動きと歓楽が、それとは正反対の永遠の中に封じこめられている。
「空間関係」とそこが似ていると思う。

             ジョルジュ・スーラの「シャユ踊り」

ダイナミックな空間生成と身体感覚の喚起。
水本修二はこの二つによって彫刻のあらたなカタチを提示したのである。
今は、戦後、彼がそこで育った故郷、子府町で、土地の光を浴び、風に包まれて伸びやかに立っているような気がする。
「ダヴィデ」や「自由の女神」のようなモニュメントとしての意味がまったくないわけではないが、個人的なモニュメント性に限られている。しかし、訪れる人に、いわば、「からだ」で話しかけ、その前に立つ人と空間の豊かな広がりを共有しつづけるに違いない。
(はやみ たかし)

            水本修二「空間関係」こどもの城での設置光景

) 東京、青山の「こどもの城」解体にともない、設置されていた水本修二「空間関係」は、北海道北見市近郊の訓子府町レクレーション広場に移動設置されました。
訓子府町は水本が育った場所。
今年、1028日の設置記念の除幕セレモニー、講演やシンポジウムに参加した武蔵野美術大学の伊藤誠さんから知らせていただきました。
伊藤さんと同じく、水本修二の武蔵美での教え子で彫刻家の細井篤さんを中心とした関係者の方々、訓子府町のみなさまなど、多くの方々の努力の結果です。
わたしは伊藤誠さんから送られてきた写真でしか訓子府町の展示の様子を、いまは、知ることはできません。
写真を見た限りでは「こどもの城」の頃の何かを遮っているといった風情とは違って、周囲の風景と溶けあっているように思われるのです。

1028日、セレモニー後、文化芸術講演会・シンポジウム「芸術がひと・まちにあたえる力」が訓子府町公民館で開催されました。

講演
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講演「水本修二氏の彫刻界における功績と作品」講師 武蔵野美術大学講師 細井篤
 
講演「芸術とひとづくり・まちづくり」
講師 武蔵野美術大学教授 伊藤誠
シンポジウム
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武蔵野美術大学教授伊藤誠氏(彫刻家) 、小川研(北見市 画家)、大幹(町内
キルト・パッチワーク作家)、宮川真智(町内)、*コーディネーター=武蔵野美術大学講師・細井篤










2016年10月10日月曜日

杉本博司「海景ガリラヤ海 ゴラン」ー感覚の戯れを越えて

「見ることの誘惑」第四十七回

感覚の戯れを越えて

杉本博司 「海景 ガリラヤ海 ゴラン」(キリストが歩いたとされる奇跡の場)  
1992年 ゼラチン・シルバー・プリント 119.4×149.2cm 
「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展 東京都写真美術館

杉本博司 「海景 ガリラヤ海 ゴラン」

東京写真美術館のリニューアル後初の展覧会は「世界報道写真展2016」と杉本博司展。束の間の生成消滅を繰り返す現実に肉薄する「世界報道写真展2016」と、そうした現実を越えてほとんど感覚不可能な場へ踏み込む杉本博司。
対極的な二つの世界。
写真の大きな二つの力でもある。

「杉本博司 ロスト・ヒューマン展」は、9種類の映画が上映された<廃墟劇場>と、33部屋から成るシリーズ<今日世界は死んだもしかすると昨日かもしれない>、京都、三十三間堂の千手観音の9枚の写真と「海景五輪塔」で成り立っている<仏の海>の三部構成だ。
「海景」は全部で三点、展示されている。「海景 ガリラヤ海 ゴラン」(1992年)と「海景 カリブ海 ジャマイカ」(1980)、「海景 バルト海 リューゲン島」(1996) だ。
「海景 ガリラヤ海 ゴラン」では(キリストが歩いたとされる奇跡の場)と注記が加えられている。「海景 バルト海 リューゲン島」は<仏の海>の暗い展示会場に置かれている、小さくて透明な「海景五輪塔」の中に封じこめられているのだ。

          杉本博司 海景五輪塔「海景 バルト海 リューゲン島」1996

「海景」はどれも水平線で海と空と均等に二分割されている。写真の前に立って、わたしは、そこにそのようにある海景に目を凝らす。キャプションに気づかなければ、意味から遠く離れたまま、見えている海景の精緻な表面の視覚的な強度に見入るばかりだ。
キャプションと注記に気づくと連想が渦巻き始める。
「海景 ガリラヤ海 ゴラン」では、旧約や新約聖書をはじめとして歴史に繰り返し登場する神話化されたガリラヤ海。過去のできごとばかりではない。今、現在も紛争が続くゴラン高原。
「海景 バルト海 リューゲン島」では、ドイツロマン主義の画家、カスパル・ダーフィト・フリードリヒのリューゲン島が舞台になっている壮絶な「海辺の僧侶」(1808-10年 ベルリン美術館)や、フリードリヒが新婚旅行で訪れて描いた「リューゲン島の白亜岩」(1818年)のバルト海などを連想してしまわないわけにはいかない。これらで印象的なのは、有限な人間の卑小な現実と無限にして超越的な海景との激しいコントラストだ(*)

                                 C・D・フリードリヒ「海辺の僧侶」1808-10 ベルリン美術館

意味を消去することで視覚的な強度を増す写真と、それとは逆に写真につけられたキャプションなどのことばによる想像の連鎖で織りあげられる意味や物語。写真の表面を凝視することと、それとは異質な意味との間で、わたしは宙吊りにされてしまう。

こうしたとき、想いおこさないわけはいかない絵画がある。ロンドンのテート・ギャラリーにあるブライス・マーデンの「アドリア海」(1972-73年)だ。
上下で均等二分割されている。タイトルのアドリアの字義通りに「暗い」、イタリアとギリシャの間に広がるアドリア海と灰青色の空ということになるだろうか。海は地球の生命誕生の場所であると同時に、深い死の闇におおわれてもいるのだと感じさせられる。

ブライス・マーデン「アドリア海」1972-73  テート・ギャラリー

ブライス・マーデンの「アドリア海」は作家自身が述べているように、マーク・ロスコが死ぬ直前に描いた「黒の絵画」シリーズにつながっている。ロスコ「無題」(1969-70年 MOMA ニューヨーク)は、アトモスフェリックなグレーの下半分と、沈黙におおわれた深い黒の上半分。絵画を凝視することを越えて、絵画の前で瞑想するしかない気分に襲われる。

            マーク・ロスコ「無題」1969-70 MOMA N.Y.

けれども、わたしたちは、瞑想を寄せつけない絵画も知っている。
桑山忠明や、ロー・キャンヴァスを二分割してメディム(絵の具の溶剤)をかけた半分となにも施さない生の布の状態で提示した山田正亮や須賀昭初などの絵画だ。
それらの絵画は、視覚の対象から遠のいて、物質の状態に限りなく接近している。だから、絵画として見ることができること(感覚可能)と、絵画としては見ることができないこと(感覚不可能)との境界線上に位置する絵画、あるいは、絵画としての表象作用が機能停止状態だといってもいいだろう。
こうした作品のように、「芸術」としての見え方が最小限になり、現実の物質や物体としての見え方が最大限になっている美術作品を、わたしたちはミニマル・アートと名づけてきた。今日では、ファッション化したライフ・スタイルの「ミニマリスト」が人口に膾炙しているようだ。

杉本博司の「海景」は、次の二つの間で揺れている。
一方の極では、すべての想像力を機能停止にさせて連想をストップさせ、ただ見ることしかできない状態。もう一方の極では、それとは正反対に意味や物語、あるいは心象風景というようなかたちでイメージを喚起させる状態。作品を見ているわたしは、あるときには、二極の間で引き裂かれ、別なときには重なりあった二極の中にいる。
正反対のこの二つの離反と共存の経験は、無に帰してしまうがゆえに沈黙せざるをえない「死」の場面と、存在が生成される「生」の場面に、同時に身を置いているような状態なのかも知れない。
(早見 堯)

(*)
「海景 ガリラヤ海 ゴラン」は33室からなる<今日世界は死んだもしかすると昨日かもしれない>の冒頭に掲げられている。最後の部屋の後の「海景 カリブ海 ジャマイカ」で締めくくられている。図録では、その後に、9点の<廃墟劇場>の一つ「ルキノ・ヴィスコンティ『異邦人』」が置かれている。おそらく、三部構成のそれぞれの展示は相互に入れ子状の関係になるように企図されたのだろう。アルベール・カミユの小説「異邦人」の主人公ムルソーの殺人の理由「太陽が眩しかったから」は、光の痕跡を留めることに腐心する写真にとってなんだか示唆的だ。

*この記事は以下の展覧会で取材しました。
画像は、杉本博司の作品は以下の展覧会図録から、その他は各美術館サイトから取材しました。