2012年4月11日水曜日

日常を侵犯する生の高揚 ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」


「見ることの誘惑」第十一回


          ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」
          1950年 ©Atelier Robert Doisneau

パリ市庁舎前、朝、人と車が行き交う路上でキスする二人。ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」はよく練りあげられた構図で、束の間の出来事をとらえたかのようなスナップショットに仕立てられている。

斜めに遠ざかる市庁舎はかすんだ遠景となっている。
前方、いわば近景にあたる左下のシーンには、オープンカフェにすわっているらしいぼけた人物と椅子、テーブルも見える。
右端では、右方向に歩いていく人物がフレームで断ち切られている。右下隅には、カフェにいる人が手にもっているのだろうか、カップのようなものがぼけて映りこんでいる。
左下のカフェの人物からキスする二人と後ろの右方向に歩む婦人、その後ろに重なっている左方向に歩くブレた人物、そしてさらにその背後の車などは、市庁舎に並行して後退する空間を形成している。
遠景と近景とが交差する中景でキスする二人。交わす唇を中心にして、手前と奥、左側と右側にゆるやかに拡散していく空間がつくられている。
比較的狭い視野にもかかわらず、広がりのある屋外での束の間のさりげない出来事といった雰囲気が生まれている。

パリコミューン後、1882年に再建されたパリ市庁舎。パリ市庁舎のいわば持続する歴史的時間とキスする二人の束の間の現在とが鋭く直交している。日常を侵犯する生の高揚、と、過剰に言ってみたい。わたしの感覚を揺り動かす。
「芸術」に目的や意味はない。人の感覚をゆさぶり、そのことで生の充実を感じさせるのが「芸術」だ。あるいは、そんな充実感さえもなく感覚の震えが感じられるだけかもしれない。
写真は「芸術」かどうかしばしば議論されてきた。ドアノーのこの写真は、わたしの感覚を強くゆさぶらずにはおかない。
(早見 堯/はやみ たかし)
※「生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー」(東京都写真美術館2012324日〜513日)から取材しました。人と人の欲望がバルザックやモーパッサン、あるいはゾラ風に入り乱れて交差するかつてのパリの胃袋だった市場「レ・アール」を撮影したドアノーの写真展、パリ市庁舎で4月末まで開催中。現在のポンピドゥーセンターとレ・アールとの間の通りは街娼が立つもう一つの欲望の街でもあった。
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1545.html